プリティ・ヘレン
2007/11/28
Rasing Helen
2004年,アメリカ,119分
- 監督
- ゲイリー・マーシャル
- 原案
- パトリック・J・クリフトン
- ベス・リガッツィオ
- 脚本
- ジャック・アミエル
- マイケル・ベグラー
- 撮影
- チャールズ・ミンスキー
- マイケル・ストーン
- 音楽
- ジョン・デブニー
- 出演
- ケイト・ハドソン
- ジョン・コーベット
- ジョーン・キューザック
- ヘイデン・パネッティーア
- フェリシティ・ハフマン
- パリス・ヒルトン
モデル事務所で働くヘレンは将来を約束された敏腕エージェント。ところがある日、3人姉妹の真ん中の姉夫婦がなくなったという連絡が入る。そしてその遺言状で、3人の子供達の親権がすでに2人の子の母である姉のジェニーではなく自分に託されることを知り驚くが、ヘレンは覚悟を決めて3人を引き取ることにする…
ケイト・ハドソン主演で“プリティ”シリーズ(?)のゲイリー・マーシャルが監督したハートウォーミング・コメディ。ケイト・ハドソンはいいんだけどね。
ケイト・ハドソンといえばやはりゴールディ・ホーンの娘というイメージがいつまでも付きまとうが、『あなたにも書ける恋愛小説』『10日間で男を上手にフル方法』という2作品あたりで、うまくコメディエンヌのひとりとして見事にハリウッド・スターの仲間入りを果たしたと言える。この作品はその2作品の直後に作られた作品で、ここでも堅実(コメディなのに堅実というのもおかしな話だが)な演技でしっかりと存在感を示している。しかし、この作品がリリースされた2004年に男の子を出産、復帰はしているが日本では未公開、2006年には離婚もしている。しかし、ハリウッド・スターたるもの離婚ぐらいはたいしたことないだろうから、そろそろまた日本でも彼女の作品が見られるようになると思う。
この作品はそんなケイト・ハドソンの魅力に支えられた作品だ。25歳で華やかな業界で敏腕として仕事をし期待もされる女性が、いきなり3人の甥と姪の母親となり、戸惑いながらも子供達と亡き姉への愛情に支えられて生きていくという役どころをうまく演じている。25歳で姉を失った彼女自身も心に傷を負っているのに、それよりも深い傷を抱えた子供3人の世話をしなければならないというのは本当にタフなことだ。しかも彼女にはその悩みを相談できるパートナーもいないし、やりがいのある仕事もやめざるを得なくなってしまう。しかも、それだけ自分を犠牲にしても子供達はなかなか言うことを聞いてくれない。結局彼らは心の傷を互いに癒すことができないまま離れていってしまうのだ。
これはなかなか考えさせられる題材だ。親を失った子供はある種のトラウマを抱え、それを癒すためには何かが必要だ。思春期のオードリーはそれを外の刺激に求め、男の子であるヘンリーは沈み込み、まだ幼いサラは母親の記憶にしがみつく。そこにヘレンの居場所はないのだが、しかし子供達はヘレンに頼らざるを得ない。子供達はヘレンに感謝しているはずだが、それを示すだけの余裕がない。ヘレンは子供たちから感謝されたり愛されたりすることで自分の傷を癒したいと望むが、それはかなわない。
彼らの傷を癒すのはいったい何なのか、ヘンリーとサラの場合は結局ヘレンの愛が彼らに届くのだが、年齢の近いオードリーの場合はそう簡単ではない。しかもオードリーは両親が生きていた頃には、ヘレンに母親とは違う“お姉さん”としての魅力を感じ、あこがれてもいたのだ。人と人との関係はその立場が変わることによって大きく変化する。その変化に戸惑うオードリーに注目するとこの作品は面白い。
ただ、ちょっとステレオタイプ過ぎるという気はする。3人の子供を引き取ると決まったところからは最後までほぼ展開が読めてしまうし、子供達の反応の仕方もいかにもという反応だ。謎として提示された亡くなった姉からの手紙の内容は興味をそそるが、明かされてみるとそれほど大きな意味を持つものでもない。
ゲイリー・マーシャルというのは基本的にステレオタイプからそれほど外れない作品を作る作家で、それが安心感を生んでいるわけだから、これでいいといえばいいのだけれど、なにか新鮮なものを求めている人には物足りないだろう。ゲイリー・マーシャルかケイト・ハドソン(「と」ではない)を好きな人なら、満足できる作品ではあるが、それほど大きな期待を持って見てはいけない。