接吻
2008/3/7
2008年,日本,108分
- 監督
- 万田邦敏
- 脚本
- 万田珠実
- 万田邦敏
- 撮影
- 渡部眞
- 音楽
- 長嶌寛幸
- 出演
- 小池栄子
- 豊川悦司
- 仲村トオル
- 篠田三郎
閑静な住宅街を歩く男が突然一軒の家に侵入し、殺人を犯す。一家3人を惨殺したその男坂口は自ら告知して報道陣が集まる中逮捕される。会社員の遠藤京子は同僚と打ち解けられず、一人くらいオフィスで残業をする日々だった。ある日彼女は坂口が逮捕されるニュースを見て、彼が逮捕される瞬間に浮かべた笑顔に釘付けになる。その後彼女は憑かれたように坂口のことを調べ始める…
『UNLOVED』の万田邦敏監督によるラブ・ストーリー。狂気を感じさせる愛が心に響く。
一家3人を惨殺する事件なんてのは映画にしやすい題材だ。通り魔的な反抗で一家3人を惨殺、しかも母親を殺したあと子供と父親が帰ってくるのを待って3人を皆殺しにする。そんな犯人の心理を描くというのはサイコ・サスペンス的な物語として興味深いものになるはずだ。
しかし、この作品はそのような犯人の心理の分析ということはせず、その犯人が見せた一瞬の笑顔の虜になってしまった女性の心理を描くことである種の社会的な病を描き出していくのだ。
映画の序盤は殺人を犯した男坂口を中心に展開されるが、まず気づくのは彼の声がないという点だ。電話をしているシーンがあるのでしゃべっていないわけではないが、彼の声は映画には表れない。そして、小池栄子演じる京子もそのことに気づく。彼女がノートに書いた初めての自分の言葉は「彼の声が聞きたい」というものだったのだ。
しゃべらないというのはその人がかなり異常に見える要素だ。坂口はまったくしゃべらず、京子もほとんどしゃべらない。職場でも同僚との交流はあるのだが、言葉はほとんど発しない。家に帰っても一人でしゃべる相手もいない。裁判が始まっても坂口は黙秘を続ける。京子は裁判の後、弁護士の長谷川に話しかけはするが、それは坂口に差し入れするために必要な最小限に過ぎない。
しゃべらないことの異常さというのはそのしゃべらない人物がいったい何を考えているのかわからないというところが一番大きいのだろう。京子は長谷川に話しかけても必要最小限のことしかしゃべらない。質問にはちゃんと答えているのだけれど、そこに感情が表れることは無いのだ。
京子はさらに無表情でもある。常に目を見開いているが顔の筋肉は能面のように動かない。この作品はこの京子を演じた小池栄子に尽きるのではないか。もちろん殺人犯に事故を投影してしまうというこの主人公のキャラクターの創造ももちろん重要だが、それを映像として表現する上で小池栄子のは非常に大きな役割を果たしているだろう。
徹底的に殺人者と同一化し、彼の行動を予言し、それに合わせて自分の行動を決める。彼のために生きると決意し、仕事もやめて引越しまでする。それは献身的な恋人のようだが、彼女の無表情はそこにわずかな違和感を感じさせる。坂口と面会するとき、彼女は笑顔を浮かべもするけれど、その笑顔には常にぎこちなさがあり、笑顔とは裏腹に笑っていない目は坂口を突き抜けてどこか遠くを見つめているように見える。
この京子の感情、考え方は非常に興味深い。彼女はずっとエゴを抱えながらそれを吐き出すことができないまま生きてきた。その彼女が坂口の中に見たのは、そのエゴを過激な形で吐き出すことのカタルシスである。自殺するのではなく死刑を望む坂口、周囲にいつも「自殺しそう」と見られることに怒りをにじませる京子、京子が坂口を愛するのは、彼を通して自分のエゴを吐き出すことができるからだ。坂口と一体になることによって彼の犯した殺人を自らの体験とし、カタルシスを得ようというのだ。彼女の行動は坂口のための行動といいながら、実はエゴイスティックな行動であり、それは終始一貫している。
果たしてこの物語から何を受け取るか、それは人によって違う。しかし京子の異常さは必ず何かを残す。それは完全な拒絶かもしれないし、共感かもしれない。「映画史上誰も見たことの無い衝撃のラスト」と誇大に宣伝されたラストの意味も、それぞれが京子から何を受け取ったかによって異なってくるだろう。それは衝撃かどうかは別にして、意表をつくものではある。そこからさらに浮き彫りにされていく京子の人物像、それを考えるとこの物語に深みが出てくる。