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ベストセラー

紙屋悦子の青春

★★★--

2008/4/1
2006年,日本,111分

監督
黒木和雄
原作
松田正隆
脚本
黒木和雄
山田英樹
撮影
川上皓市
音楽
松村禎三
出演
原田知世
永瀬正敏
本上まなみ
小林薫
松岡俊介
preview
 病院の屋上に座る老夫婦が昔を思い出す。昭和20年3月、鹿児島、工場で働く技師の兄とその妻と3人暮らしの紙屋悦子は駅員として働いていた。その悦子に兄が縁談を持ってくる。相手は悦子が密かに思いを寄せる兄の後輩明石少尉の親友だという永与少尉、戦時ということもあり、会うことに決めるが…
  2006年惜しくも亡くなられた黒木和夫監督の遺作。原作は松田正隆の戯曲。常に戦争を考察の対象とした黒木監督らしい遺作となった。
review

 昭和20年3月鹿児島、それが特攻隊を意味するということを日本人は忘れてはいけない。今、イスラム過激派の自爆テロが横行し、それが“カミカゼ”と比較される。もちろん、一般人をも巻き込む無差別テロと戦争の作戦として軍艦を狙う神風特攻隊とはその性質は異なっている。しかし、それに参加する側、それを送り出す側からすれば、それは自分または自分の愛する人の身を犠牲にして敵に損害を与え、魂は天国に行くという意味では変わらない。イスラム過激派の自爆テロでは魂は神のもとに行き、特攻隊の魂は靖国に行く。
  この作品はその特攻隊という言葉を一切発することなくそのことを描く。悦子が昔から思いを寄せていた兄の後輩である明石、その明石が悦子に持ってきた縁談。その訪問の際に明石も悦子を憎からず思っていることがわかれば、その明石の行動の持つ意味は明らかだ。特攻に行く人間の心理、それをこの作品は静かにしかししっかりと描く。物語はやわらかく穏やかだけれど、その底に存在しているのは非常に冷たく厳しい現実だ。
  少し前に自爆テロの実行犯に選ばれた若者を描いた映画『パラダイス・ナウ』を見た。そこで焦点となっていたのはその行動が正しいのかどうかということだった。それは宗教的にではなく、戦術として正しいのかどうか、その自爆テロによってその戦いが終結に向かうのかどうかということだった。もちろんそんなことを表立って口にすることは出来ないのだけれど、少なくとも主人公がそのような悩みを抱えるという部分が描かれていた。
  しかし、この作品にはそのような悩みは無い。特攻に行くことに疑問を挟む余地はなく、周囲もただ武勲を祈るしかない。だが、そこに横たわっているのは『パラダイス・ナウ』と同じ疑問、同じ気持ちだ。今、“トッコウ”に関する映画が作られるのは性質は異なっていても、当事者の気持ちにはイスラム過激派の自爆テロと共通するものがあるからだ。
  この作品は、そのトッコウに参加するに際して、自分が愛する人のために何かをしようとする一人の男を描いたものだ。その行為に対して疑問を投げかけるのではなく、その行為自体は受け入れておいて(ある意味ではあきらめて)、その上で何が出来るかを考える。そんな男を描いたのだ。今から見ればそんなことを考えられる人ばかりなら、戦争はあんなにもひどくならなかったのではと思えてならない。

 この作品は最初の老夫婦となったふたりがどう見ても老人に見えなかったり、昭和20年のシーンのセットやら服装やらなにやらかんやらが妙にきれいだったり、まったく戦争末期の生活の苦しさが見えなかったりとリアリティに欠けるといわざるを得ない部分は多々ある。しかし、リアルな作品でなければ何かを語れないというわけではない。戦争という抜き差しなら無い状況の中でであったふたりが数十年後にともに老いを迎え、その当時を振り返る。そこで思い出された一人の人物がとった行動の意味、その人物の数十年の不在が二人を支えてきたということ、その意味を考えることに意味があるのだ。
  平和ボケした日本人には理解し難い自爆テロ、しかしそのテロに踏み切る人々も私たちと同じ人間なのだ。神風特攻隊という悲惨な運命に身を任せた60年前の日本人が私たちにそれを教えてくれる。

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: 日本90年代以降

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