イラク -狼の谷-
2008/4/10
Kurtlar vadisi - Irak
2006年,トルコ,122分
- 監督
- セルダル・アカル
- 脚本
- ラージ・シャシュマズ
- バハドゥル・オズデネル
- 撮影
- セラハティン・サンカクリ
- 音楽
- ゴハン・キルダル
- 出演
- ネジャーティ・シャシュマズ
- ビリー・ゼイン
- ゲイリー・ビューシイ
- ハッサン・マスード
2003年、イラク北部クルド人自治区、アメリカ軍が同盟国であるはずのトルコ軍の司令部を訪れ、司令官らを拘束した。それを屈辱に感じた将校スレイマンは自ら命を絶つ。トルコの元諜報員であるポラットはその事件を指揮したアメリカ軍の司令官サム・マーシャルに会うためイラクに潜入する…
イラクでのアメリカ軍の傍若無人振りを描いてトルコ及びイスラム圏で喝采で迎えられたが、アメリカでは公開が見送られた。
2003年7月、イラク北部のクルド人自治区で実際に起きたトルコ兵拘束事件、これはトルコ国民にとって大きな屈辱として記憶され、人々の反米感情を描きたてることとなった。この作品はその事件にインスパイあされる形でアメリカが介入することで泥沼化したイラクにおける、アラブ人、クルド人、トルコ人の対立を描く。
ニュースなどで問題になった米兵のイラク人に対する虐待問題なんかも取り込んでいるのだけれど、その見方は完全に一方的である。だからこそイスラム圏で受けたわけで、その見方は不公平極まりないのだけれど、ハリウッドがやっていることも同じだから、バランスをとるという意味ではこういう作品も公開されたほうがいい。
最終的にはアクション映画で、その文法はまったくもってハリウッド映画そのままだが、そこでアメリカの影響を強く受けていることにはまったく無反省にアメリカ批判に終始する。そのあたりも作品としては未熟といわざるを得ない。
さらには、トラックの荷台に詰まれたイラク人たちを機関銃で撃ったり、自民族の優越性を信じることで他の民族を迫害することを正当化したりというシーンを入れることで、アメリカ軍がナチスを髣髴とさせるように構成されているのもちょっとやりすぎという感じがある。そして、同時にユダヤ人医師を臓器売買の黒幕に仕立て上げもする。アメリカ憎しがユダヤ憎しにもつながり、とにかくなんでも攻撃してやろうという姿勢になる。まあ別にいいけど、あまり気持ちいいものではない。
しかし、よく考えてみると、この拘束事件が屈辱的であるという一員には自分達はアラブ人とは違うという差別意識があるだろうし、クルド人がアメリカ人と結託した悪者として描かれている点も、トルコ国内におけるクルド人のあり方を考えると、また別の差別意識なのだと思う。反米という点では一致する三者だが、この作品に描かれているように対立が止むこともない。この作品はアメリカがそれを利用して自分達の思い通りの国をイラクに作ろうとしていると批判しているわけだけれど、その策にまんまとはまっている自分たちのことを省みはしないのだろうか。
自爆テロは神の道に反するという導師の言葉に焦点を当てたり、主人公は無実の人たちを傷つけることは決してしないということによってアメリカやテロリストと自分達の差異を明確にしようとしているのだろうけれど、結局最終的にはアメリカ軍を皆殺しにし、暴力によって何かが解決したかのような幻想を与えている。映画の作りもそうだけれど、このような解決の仕方はアメリカ軍のやり方とどこが違うのか。そして、これで何かが解決したかのように見せるごまかし方もハリウッド映画そのものだ。
この作品はアメリカを批判しながら、作品内外でアメリカのやり方がいかに効率的であるかということを宣伝してしまってもいる。アメリカはにくいけれど、アメリカの文法を使ってアメリカと同じやり方でしか表現できない、そのことにこそ問題があるのではないか。
この憎しみと暴力の連鎖が止むためには何かこれまでとは違う方法論が必要だ。しかし、この作品がそのことに触れることはまったくない。最初に書いたようにバランスをとるという意味では意味があるが、それ以外には何も残さない。アメリカ軍とアメリカ政府のムスリム達に対する扱い方の不当性を訴えた作品としては『グアンタナモ、僕達が見た真実』に遠く及ばない。
アクション映画としてはハリウッドならば、B級の中の上というところだろうか。アクション映画としてもつまらなくはない。