獄門島
2008/5/8
1977年,日本,141分
- 監督
- 市川崑
- 原作
- 横溝正史
- 脚本
- 久里子亭
- 撮影
- 長谷川清
- 音楽
- 田辺信一
- 出演
- 石坂浩二
- 司葉子
- 大原麗子
- 草笛光子
- 佐分利信
- 東野英治郎
- 加藤武
- 大滝秀治
- ピーター
- 坂口良子
- 浅野ゆう子
昭和二十一年、瀬戸内海に浮かぶ獄門島、金田一耕助は友人の依頼でその島から出征した千万太の死を告げるためその島に渡る。しかし金田一はその千万太の謎のメッセージの解明も目的としていた。そしてその予言どおりに千万太の3人の妹の1人花子が殺される。金田一は次の殺人を防ぐべく動き出すのだが…
市川崑と石坂浩二による金田一シリーズの第3作。前2作に比べるとおどろおどろしさが減り、サスペンスとして見やすくなった感じ。原作と犯人を変えたことが話題になったという。
この市川崑の金田一シリーズの特徴は、おどろおどろしい事件とそれを再現したショッキングな映像である。『犬神家の一族』の湖に脚が突き出している有名なシーンに代表される死体の気味悪さ、殺人の瞬間の残酷さ、それらが見るものにショックを与え、作品の印象を強烈にする。この作品も確かに最初の花子の死体を初めとしてショッキングな映像も登場する。しかし、これまでのシリーズで慣れたしまったためか、それとも実際に残酷さが薄れたためか、前2作ほどの衝撃はない。
しかし、それがマイナスかというと必ずしもそういうわけでもなく、残虐なシーンに驚かされない代わりにミステリーの本筋である謎解き部分に焦点が当たっていてその部分を楽しむことが出来る。シリーズ第1作の『犬神家の一族』は謎解きのサスペンスとしても一流、衝撃度も一流だったが、第2作はおどろおどろしさばかりが押し出されて謎解きの部分は今ひとつだった。この第3作はおどろおどろしさを抑えて謎解きに力を入れることでミステリー作品としての面白さを取り戻した。原作と犯人を変えたというのだから、謎解きへの力の入れようは只者ではなかっただろう。
犯人への手がかりをわずかに示す思わせぶりなシーンと、犯人がトリックに使いうるものやヒントをさりげなく示す構成のしかた、そして謎解きをする金田一のひらめき、それらをうまく使ってさまざまな犯人の可能性と、複数の関係者の複雑な関わり方を見事に描いている。
さて、このシリーズのもうひとつの共通点はある土地で大きな力を持つ家が舞台となり、その独裁者的な当主が死んで跡目争いが起こっているという点である。第1作は犬神家の内紛、第2作は由良家と仁礼家という2つの勢力の争い、この作品では本季冬と分鬼頭という半ば内紛の2つの勢力の争いである。
私は横溝正史の作品はほとんど読んだことがないのだが、横溝正史の作品のすべてがこのような設定とは思えないので、市川崑がこのような題材を選んでいるということだろう。このような題材では殺人犯は外からやってくるのではなく内部に必ずいる。そのほうが謎解きは複雑になり、多くの関係者の心理が問題となってくるので、ミステリーとして面白くなるということなのだろう。
このあり方はなんだか非常に日本的なものな気がする。“家”の存在が大きく、地縁=血縁の濃い環境の中でその利害が衝突し、怨恨が生じたときのすさまじさ、それを解決できるのは外部の人間しかいない。それがこのシリーズの面白さなのかもしれない。外部の人間として金田一とともにそのどろどろとした“家”に入っていく、そのスリルがいい。その意味では『犬神家』に続いて登場した坂口良子の存在は大きい。その土地にいながら事件と直接関係ない外部の人間を演じる坂口良子は金田一と事件と観客をうまくつなぐ役割を果たす。第2作の『悪魔の手毬唄』にはそのような存在がいなかったことが少し面白みが感じられないひとつの要因だったのかもしれない。
このシリーズは同じ役者が違う登場人物を同じ人物像で演じている。加藤武、大滝秀治、草笛光子、そして坂口良子、なかなか型破りなこの方法が実は効果的であるというのを坂口良子が実証している。やはりなかなか侮れないシリーズだ。