やじきた道中 てれすこ
2008/6/25
2007年,日本,108分
- 監督
- 平山秀幸
- 脚本
- 安倍照雄
- 撮影
- 柴崎幸三
- 音楽
- 安川午朗
- 出演
- 中村勘三郎
- 柄本明
- 小泉今日子
- ラサール石井
- 松重豊
- 笑福亭松之助
- 吉川晃司
新粉細工職人の弥次郎兵衛は花魁のお喜乃に頼まれて偽の切り指を山ほど作っていた。弥次郎兵衛が切り指を届けに行った夜、それが知れたお喜乃はおかみさんにしかられ、自分に気がある弥次郎兵衛をそそのかして足抜けを謀る。同じとき、芝居に失敗した弥次郎兵衛の幼馴染で役者の喜多八も弥次郎兵衛につれてってくれと頼むが…
おなじみの弥次喜多道中に花魁を加え、古典落語のネタをいろいろちりばめた時代劇コメディ。軽妙な語り口が楽しく、落語ファンでなくとも一見の価値あり。
「てれすこ」は古典落語のネタで、内容はこの映画の通り、謎の魚の名前を知っているものに褒美を出すというおふれを見た男が、“てれすこ”という適当な名前を告げてその褒美をせしめる。怪しいと思った奉行は、これを干物にして再びお触れを出したら案の定その男がもう一度名乗り出て今度は“すてれんきょう”だと言ったところで御用となった。しかし気転を利かせた男は最後に妻子に会いたいと言って、その場で子供に「イカを干したものをするめと言ってはいかん」と言って無罪放免となったという話。
元のネタでは舞台は九州だったと思うが、まあこの話自体は映画の筋とはあまり関係がないので、それが大阪になろうとあまり関係ない。というよりそもそもこの「てれすこ」という落語はこの映画主プロットではなく、ひとつのエピソードに過ぎず、しかも主役3人とは関係のないエピソードということで、なぜこの話が題名になっているのかもよくわからない。
映画のプロットのほうは、弥次さん喜多さんと花魁のお喜乃の道行で、お喜乃に惚れた弥次さんとお喜乃の関係も気になるし、足抜けしたお喜乃に追っ手がかけられているというのも気になる。“足抜け”というのは要するに女郎屋から逃げ出すことで、花魁というのはお喜乃のように売られてくることが多く、お上に借金を負っている。花魁をやめるにはその借金を自分で返す(年季が明ける)か、返してくれる人を見つける(身請け)しかない。しかし、花魁は服代やらなんやらでさらに借金がかさむものなので自分で返すことはなかなか難しく、身請けがいやなら逃げるしかない。逃げるとはすなわち借金を踏み倒すことなので追っ手がかかる。その追っ手におびえつつ、3人は旅を続けるのだ。
この映画の面白さはその筋にあるのではなく、落語をモチーフにした小さなエピソードの積み重ねにある。
最初にラサール石井演じる太鼓もちが茶を目じりにつけて涙に見せるのは「お茶汲み」、将棋のくだりは「浮世床」、狸がサイコロに化けるのは「狸賽」、しゃれこうべに酒をかけるくだりは「野ざらし」などなど落語の一部分やエッセンスが存分に含まれている。『しゃべれどもしゃべれども』の監督である平山秀幸は大の落語ファンで川島雄三監督の『幕末太陽傳』を意識してこの作品を作ったという。
「居残り左平次」を題材とした『幕末太陽傳』ほどの名作とはならなかったが、この作品も落語への愛と“粋”を感じさせる佳作にはなった。オチまで使うのは題ともなっている「てれすこ」だけで、他はオチまでは使わないというのも落語の本当の面白さをわかっているという気がする。と、いうのも出来のいい落語でもオチがお粗末なものは意外と多く、落語というのは“落とし噺”といいながら、実は“落とし”を味わうものではなく、“噺”を味わうものだからだ。その意味で、なんだか尻切れトンボで終わっているように見えるこの作品の終わり方も粋だということになるのだろう。
落語を知らなくても落語の面白さが詰まっているから楽しめる映画ではあるけれど、落語を知っていると、「これはあれだな」などと考えながら見れてもっと楽しい。