アクロス・ザ・ユニバース
2008/8/8
Across The Universe
2007年,アメリカ,131分
- 監督
- ジュリー・テイモア
- 原案
- ジュリー・テイモア
- ディック・クレメント
- イアン・ラ・フレネ
- 脚本
- ディック・クレメント
- イアン・ラ・フレネ
- 撮影
- ブリュノ・デルボネル
- 音楽
- エリオット・ゴールデンサール
- 出演
- エヴァン・レイチェル・ウッド
- ジム・スタージェス
- ジョー・アンダーソン
- デイナ・ヒュークス
- サルマ・ハエック
1960年代イギリス、造船所で働くジュードはアメリカ行きの船で働くため恋人を置いてイギリスを離れた。しかし実は、米兵だったというまだ見ぬ父に会うためにアメリカにわたることが目的だった。そしてプリンストン大で用務員として働く父親に会い目的を果たした彼は学生のマックスと知り合い、遊ぶようになるが…
全編ビートルズナンバーで彩られるミュージカル。60年代という時代を表現しようという意欲が感じられる。そしてやっぱりビートルズはいい。
始まりはイギリスの田舎の普通の若者の話し、リバプールというところが無理やりビートルズを意識している感じがし、主人公の名前が“ジュード”ということで、“あの歌”がどこか重要なポイントでかかるのだろうと予感させる。
ジュードはアメリカにわたって、彼という息子の存在すら知らない父親に会いに行く。別に親子のつながりを求めたわけでも、謝罪を求めたわけでもなく、ただ父親にあってみたかった、そんな衝動に任せて彼はやってきたのだ。ここにまずこの60年代という時代の影がのぞく。戦争がもたらすのは破壊と死ばかりではない。戦争は常に“父なし子”を生む。『サラエボの花』はユーゴ内戦のその悲惨な例を示した映画だったし、日本にも日本人女性と黒人米兵の間に生まれた姉弟を描いた『キクとイサム』という素晴らしい作品があった。60年代という時代は第2次大戦の落とし子たちが大人になろうという時代、世界中で同じことが起こっていたに違いない。
ジュードはアメリカの大学生たちの仲間に入り、友だちになったマックスとニューヨークへ行く。そこにあったのは、ドラッグ、ブルース、ベトナム反戦運動、ヒッピームーブメントだ。まさに60年代であり、ビートルズの活動とも見事に重なる。
この映画はつまりはビートルズを通して60年代という時代を描いた作品である。前半部分は60年代の若者文化を比較的穏やかに描き、中盤でヒッピー文化をエキセントリックに描く。この中盤部分が妙に長くて中だるみという感じはしてしまうが、この時代を描く上では必要なものだったと思う。それにジュリー・テイモアはどこかでこういったわけのわからないというか幻想的なシーンを入れたがるようだ。
終盤はベトナム戦争とその反戦運動、そしてジュードの恋愛が中心となり、一気に盛り上がっていく。
という感じの映画なわけだが、この映画に力を与えているのはやはりビートルズの曲の歌詞が伝えるメッセージである。ビートルズのオリジナルではなく、出演者たちがそれぞれの気持ちに合う曲をそれぞれの局面で歌うという構成は、その曲がそれぞれの心情の吐露となり、とても感動的だ。もちろん、そうなるように物語を構成し、登場人物の名前を決めたのだろうから、物語にぴたりぴたりと曲がはまっていくのは当たり前なのだが、それでもぐっと来る。
最近、音楽の力を借りる映画というのが結構多いと思うが、これもそのひとつであり、ビートルズの音楽の力というのは絶大だ。
この映画を見たら、ビートルズの曲を丹念に聞きなおしたくなることは間違いない。歌詞カードを手に取りながらじっくりと。彼らのメッセージは60年代や70年代という時代にぴたりと来るものだが、現在でも同じことが言える場合がほとんどだ。だからこそこんな作品が出来たのだろうし、ビートルズは今も聞き続けられているのだ。
私はこの作品をビートルズをあまり知らない人にこそ見て欲しい。もちろんビートルズの好きな人たちも楽しめるのだが、別にビートルズを意識してきたことがないという人のほうがそのメッセージをストレートに受け取ることが出来る気がするからだ。
ビートルズの曲を使ったミュージカルというよりは、ビートルズの曲を聴くためのミュージカル、ビートルズをよく知る人にはそのように見えるのではないかと思う。それはそれでいいのだが、映画の意図や狙った効果からは少し外れるように思えるのだ。