奇跡のシンフォニー
2008/11/23
August Rush
2007年,アメリカ,114分
- 監督
- カーステン・シェリダン
- 原案
- ポール・カストロ
- ニック・キャッスル
- 脚本
- ニック・キャッスル
- ジェームズ・V・ハート
- 撮影
- ジョン・マシソン
- 音楽
- マーク・マンシーナ
- ハンス・ジマー
- 出演
- フレディ・ハイモア
- ライラ・ノヴァチェク
- ジョナサン・リス=マイヤーズ
- テレンス・ハワード
- ロビン・ウィリアムズ
- レオン・トマス3世
ニューヨークの養護施設で育った11歳のエヴァンは心に響く音楽を頼りに両親と再会できる日を待ちわびていた。その両親は11年前、運命の出会いをしたチェリストのライラとロックミュージシャンのルイス。ふたりは運命を感じるがライラの父親によって引き離されてしまった。エヴァンは顔も名も知らぬ両親を探すため養護施設を抜け出すが…
『チャーリーとチョコレート工場』のフレディ・ハイモアが主演した感動ドラマ。
両親の名前も顔も生きているかどうかもわからないけれど、心に聞こえてくる音楽によって両親とのつながりを感じる少年エヴァン、その少年が音楽の天才で初めて手に触れたギターで誰もが聞き入ってしまうような音楽を奏でる。
両親のほうは運命の出会いながら一夜限りで引き離されてしまい、母のライラは子供が生きていることを知らず、父のルイスは子供がいることすら知らない。ふたりは10年以上がたっても互いのことが忘れられず、それ以来音楽から遠ざかってしまっている。
そして、エヴァンが施設を抜け出したのと同じ頃、ライラ、ルイスそれぞれの運命の歯車が回りだす。
と、完全なる御伽噺の舞台設定が整ったこの映画、物語のほうは予想にたがわぬ完全なる御伽噺、色々な紆余曲折を経て予定調和の結末へと順調に進んでいく。
御伽噺や予定調和というとあまりいいイメージではないかもしれないが、必ずしもそうではない。御伽噺というのはリアリティを欠いた物語ではあるけれど、そのような物語に観客を浸らせるのもまた映画のエンターテインメントとしての役割のひとつであるのだ。
物語の全体としては予定調和であるけれど、こういう物語につき物の紆余曲折の部分にはありとあらゆるバリエーションがあり、予測はつきにくい。この映画はそれをうまく使って主にエヴァンをさまざまな横道に迷い込ませてエピソードを重ねていく。
そしてそれは、物語とは別のもうひとつの重要な要素であるエヴァンの純粋さ、偏見のなさを描くために重要な部分になるのだ。
エヴァンが迷い込むのは、ストリートチルドレンを集めてパフォーマンスをさせるロビン・ウィリアムス演じるウィザードのところ、黒人の教会など、養護施設の中で育った偏見のないエヴァンには彼らに対する社会的評価はまったく関係なく、同じように人々に接する。
そしてそのエヴァンの音楽を聴いた人々も彼の天才を例外なく認め、何の疑いも軋轢もなく、彼を受け入れるのだ。こんなことは現実にはありえないのだが、それが御伽噺であり、御伽噺だからこそ描けるユートピアがそこにあるのだ。
ユートピアを描くことは無意味ではない。現実にまみれた私たちが理想というものを思い出すために、ユートピアを垣間見ることは時に必要だ。それを「ありえない」と片付けるのではなく、「ありえないけれど、そんな世の中になったらいいな」と想像してみること、それは私たちが現実の罠に絡みとられ、理想を忘れてしまわないために必要なことなのではないだろうか。
私はこういう御伽噺の映画というのはあまり好きではない。やはりそれはどこか嘘っぽいし、無心に浸ることができないからだ。だから、何とはなしにそういう映画を避けることが多いのだが、この作品は見てよかったと思う。
もちろん大部分は「うそ臭い」と思ってしまうようなことだ。しかしその嘘の中に忘れてはいけない大事なものが潜んでいて、それが時々心に響く。
音楽が映画の中心になっているというのもいいのかもしれない。言葉だけでは嘘っぽくなってしまい、直視できないようなことも、音楽を使うとすっと心に入ってしまうことはよくある。音楽を使うことで過剰な甘さが和らいでいいのだろう。