アフタースクール
2008/12/17
2008年,日本,102分
- 監督
- 内田けんじ
- 脚本
- 内田けんじ
- 撮影
- 柴崎幸三
- 音楽
- 羽岡佳
- 出演
- 大泉洋
- 佐々木蔵之介
- 堺雅人
- 常盤貴子
- 田畑智子
- 伊武雅刀
中学校の同級生の神野と木村は今も仲がよく、木村は神野のポルシェを借りて仕事に出かけた。神野は中学教師で今は夏休み中だが、その夜、木村の妻が産気づき急いで病院へ連れて行った。次の日、神野は学校で同級生だと名乗る男と会うが、その男は木村の会社の上司に依頼され、木村の行方を捜す探偵だった…
『運命じゃない人』の内田けんじの長編第2作。ほのぼのとした雰囲気の中でサスペンスフルな展開をするというパターンを維持し、よく練られた脚本が見事。
夏休み中の教師神野と、その親友木村、そして臨月のその妻、映画の始まりは至極平穏で変わったことといえばその神野の車がポルシェだということくらい。しかも、木村は仕事に行くのにこともなげにその車を借りていく。
しかしその木村は会社には行かず、横浜のホテルに女といたところを同僚に目撃されてしまう。それだけならよくあることだが、それを目にした上司の一人が木村の居場所を探るべく、武器やらヤクやらを扱う探偵に捜索を依頼することできな臭くなってくる。
そしてその探偵は情報をたどって神野に行き着く。神野はその探偵に振り回され、そして真相が少しずつ明らかになっていくという展開だ。
しかし、素直に物語が展開していくわけではない。真相を明らかにしようとする探偵の意図に反して、まったく予想外の展開が待っている。その展開には最後まで目を離せず、驚きもなるほどと手を打つ快感も備えている。それでこの作品は十分なエンターテインメントとして成立し、面白い作品と文句なく言えるものになっているだろう。
ただ、何か物足りなさを感じてしまうのも事実だ。
うまく真相を隠しながら整合性のある物語を展開して行く、それが可能なのは、観客に真実が知れないように慎重に脚本が構成してあるからだ。そのカモフラージュの仕方が非常にうまい。それは映画作りというよりはわなを仕掛けるのを楽しんでいるかのような感じだ。真相を隠しながら表面にいかに本物らしい光景を築き上げるか、この作品は作り手がそんなゲームをしているように感じる。
内田けんじはデビュー作となった前作の『運命じゃない人』でも同じようなタイプの作品を作った。しかし、前作では異なった複数の視点から同じ物事を見て、その見え方の違いが真実を隠し、それによって真実が明らかになったときの驚きを生むというものだった。この複数の視点というのが実は重要で、ただ隠しているのではなく、それぞれの人間にとっては真実に見えるものが、巨視的に見ると真実ではないという一般的な事実を表現していたわけだ。
第2作となったこの『アフタースクール』がどこか物足りないのは、この作品が「真相をばらさないこと」に重点を置きすぎて、登場人物たちがそのための駒に成り下がってしまっているからではないか。この作品ではそれぞれの人物が自分にとっての真実に従って行動しているというよりは、この仕組みを維持するために各人物の行動の都合のいい部分だけを組み合わせているという印象がある。
もちろんそれらを組み合わせれば、隠された真相とカモフラージュとして構築された表面的な展開のどちらとも整合性を保つ構造が出来上がるのだけれど、それだけでは「そうだったのか、騙された」という感想が残るだけで、そこから先には何もない。
この「真相をばらさない」というこだわりは内田けんじの映画をエンターテインメントとしてアピールする上では重要なポイントになると思う。しかし、一過性のエンタメではなく映画作品としてくり返し、あるいは後の時代にも見られるような作品になるには、その隠された真実が明らかになったときに、そのさらに先に何かが見えてこなければならないのではないか。
前作の『運命じゃない人』のほうがその感覚に近かったのが、この作品が物足りなく感じてしまう大きな要因だったと思う。
でも、大泉洋はよかった。なんかすごく普通なんだが、その普通さがしっくり来るし、見て目のおかしさもすごく自然なのだ。演技がうまいわけでも、見た目がいいわけでもないのに、すっと作品に溶け込める。そんな存在になったと思う。役者として成長したんだなぁ…