ディア・ドクター
2009/6/23
2009年,日本,127分
- 監督
- 西川美和
- 原作
- 西川美和
- 脚本
- 西川美和
- 撮影
- 柳島克己
- 音楽
- モアリズム
- 出演
- 笑福亭鶴瓶
- 瑛太
- 余貴美子
- 松重豊
- 岩松了
- 香川照之
- 井川遥
- 八千草薫
山間の小さな村、その村の医師伊野はみなに頼られる存在だったが突然失踪してしまう。時はさかのぼって数ヶ月前、その村に若い研修医・相馬がやってくる。伊野は相馬にも感銘を与えるが、伊野は一人の患者に病状について嘘をついてほしいといわれ困惑する…
『ゆれる』の西川美和が笑福亭鶴瓶を主演に迎えて撮り上げた異色ヒューマンドラマ。西川と鶴瓶のバランスが素晴らしく、一皮剥けた感じ。
この映画の第一の印象を挙げるなら笑福亭鶴瓶の圧倒的な存在感だ。TVでもおなじみのあのくしゃくしゃの笑顔を時に浮かべ、時には基本的には人相の悪い顔がシリアスにカメラを見据える。その圧倒的な存在感が映画を覆いつくす。
映画はその鶴瓶演じる医師の伊野が失踪するところからはじまり、時を数ヶ月前にさかのぼる。BMWに乗った研修医の相馬が都会からやってくるのだ。彼は要するに目撃者としてそこにいる。伊野の診療が村人たちの支えとなり、彼が本当に信頼されていることの。映画はそんな伊野の行動を追い、時に失踪後の捜査の状況を描く。この映画のプロットの中心は伊野の抱えていた秘密である。伊野が失踪した背景に隠された秘密を解き明かすことである。
伊野は秘密を抱え、悩み、それを隠そうと苦闘する。しかし彼は基本的には善人だ。だが、善人であることがイコールヒーローであることにはつながらない。社会と制度は彼の善意をくじき、人と人との関係が彼を切り裂く。監督は人間関係やそれを敷衍した社会と人間の関係を緻密に分析することで伊野という人物に深みを与えている。
西川美和は力量もあり、自分なりの文法も持つ監督だ。是枝裕和の許で学んだだけあって社会的なテーマへの関心が高く、ドキュメンタリー的な手法も取り入れる。そして何より真面目だ。だから、彼女は緻密な演出で伊野という人物を造形しえた。
しかしその西川美和をもってしても鶴瓶の存在感を凌駕することは出来ない。前作の『ゆれる』はよく出来た作品だったが、私がそこから感じたのは西川美和の監督としてのあざとさだ。登場人物を駒のように使い、自分の話法を貫き、観客を枠にはめ込もうとする。もちろんそれが出来る監督というのは力のある監督なわけだが、同時にどこか四角四面で面白くないという印象も与える。
しかしこの作品で鶴瓶の存在に圧倒されることで西川美和は殻を破ったように見える。鶴瓶の存在によってプロットは役者のために存在する“筋”になり、演出は役者を生かすための“小道具”になった。私としてはそれでよかったのだと思う。そのおかげでこの作品は『ゆれる』を凌駕する作品になれた。
今度は同じように圧倒的な存在感のある役者と正面からぶつかって彼女の演出が相手を凌駕することができれば作品はさらに進歩するはずだ。この作品の難点はどこかで安易なヒューマニズムを感じさせてしまうという点だ。結局、鶴瓶のキャラクターは徹底的な残酷さを受け容れることができないものだった。それを振り切ってもっと残酷でリアルな物語を徹底することができれば西川美和は本当に名監督になれるはずだ。
唯一鶴瓶に対抗しえたのは余貴美子だろう。プロットの上でも彼女の存在は重要であり、目立たないが彼女がいる意味は大きい。そして演者としてその目立たないけれど常に存在感があるという感じをうまく出していた。瑛太はいてもいなくてもよかった。彼の存在は物語をわかりやすくするわけで、この辺りも監督がより大衆的な方向にシフトしたことの証左なのだろうか?