What Would Jesus Buy?
2009/8/5
What Would Jesus Buy?
2007年,アメリカ,91分
- 監督
- ロブ・ヴァン・アルケメイド
- 撮影
- アラン・ダッチ
- ダニエル・マラチーノ
- マーティン・パラフォックス
- アレックス・スティキッチ
- ロブ・ヴァン・アルケメイド
- 音楽
- スティーヴ・ホロウィッツ
- ウィリアム・モーゼス
- 出演
- ビリー牧師
アメリカ各地で1ヶ月間繰り広げられるクリスマス商戦、みんなが狂ったように買い物をする姿に危機感を覚えたビリー牧師は“買い物やめろ教会”を作ってみんなに買い物をやめるよう訴え始めた。ただの酔狂のように見える活動だが、その裏にはアメリカ社会にはびこる問題の深い根が…
消費大国アメリカの実情に宗教という視点から迫ったドキュメンタリー。かなり作りこまれているのでどこまで信じていいものかわからないが、エンターテインメントとしてはいい出来。
消費大国アメリカの買い物の規模たるやすごいものだとは思っていたが、クリスマスシーズン1ヶ月のショッピングの金額が1000億ドルと聞いてびっくり、10兆円ものお金が1つの国で1ヶ月に使われるとはいったい… しかも、その大半は現金ではなくカードによるもの、みんなこの1ヶ月の買い物で出来た借金を残りの11ヶ月で返そうというんだから本当に一体何を考えているのか。
そんな風に思った人なら、このビリー牧師の考えには共感できるはず。クリスマスが買い物イベントと化してしまったことに危惧を覚えたビリー牧師は風変わりな菓子の賛美歌を歌うゴスペル隊を連れて各地のモールを回って“買い物するな”教会の教えを伝道する。しかしもちろん買い物をしに来ている人はそんな言葉に聞く耳を持つはずもなく、「キリストだったらクリスマスに何を買うと思いますか?」という質問に「XOBXじゃない?」と無邪気に答える。
それでもめげずにど派手なパフォーマンスで「買い物やめろ!」と叫び続けるビリー牧師は面白い。そしてその牧師の手綱をしっかりと握っている奥さんとのコンビがとてもいい。
買い物に来ている人々よりも店の人のほうがむしろビリー牧師の思想に敏感だったりして、隠しカメラ風の映像が「いわれてみればちょっと行き過ぎよね」なんて話している店員の姿をとらえるのが面白い。そして、一番おかしかったのがビリー牧師とゴスペル隊が家々を回ってクリスマスの賛美歌の替え歌を歌うシーン、画面の下に表示された歌詞をビリー牧師の生首(顔?)が指し、パロディ賛美歌を歌う。この歌詞がまた最高。これをやっていけばこのコミックバンド(!?)のファンは増えるだろう。
そんなバカなことばかりをやっているビリー牧師だが、彼の指摘は最もだ以前取り上げた『Maxed out』というドキュメンタリー映画でも指摘されているようにアメリカのカード破産の現実は悲惨なもので、その破産にこのクリスマスが大きく寄与していることは疑いようもない。途中で登場したお母さんが子供にはお金を惜しまないと言い、新しく作ったカードの限度額まで使うと語るその屈託のなさになんとも背筋が凍る思いがする。
そして、モールで売られている大量生産品が途上国の労働者たちの犠牲のもとに安価で提供されているという問題、クリスマスという人々に幸せをもたらすはずの日が多くの人々にとっては苦痛をもたらす結果になっている。そこに問題を見出す。
そして、ビリー牧師の最終的な目的はクリスマスの本来の意味を人々に思い出させること。彼の言うとおりモールで買ったプレゼントをもらって本当にその相手を愛することができるのか。作品の最後にプレゼントをもらって大喜びの女の子の映像があり、それを見るとやはりプレゼントって言うのは人を喜ばせるのだとは思うけれど、そのこが果たしてどれだけの間そのおもちゃで遊ぶのか、子供はそんなたいそうなプレゼントを上げなくても、ちょっとしたものでも自分で工夫をして遊ぶもの。
人に物をあげるというのは一種のコミュニケーションである。ビリー牧師が異を唱えるクリスマスの問題点は、そのコミュニケーションがモノ(しかも大量生産品)を通して年に1回しか行われないということに対してなのかもしれない。彼はおそらくモノもそれが人と人とのコミュニケーションの手段になるなら買い物は悪ではないと考えているのだろう。彼が「メイド・イン・アメリカ」にこだわるのは、それならば生産者との間にコミュニケーションが成り立つと彼が考えるからだ。彼の考え方ははっきり言って甘い(メイド・イン・アメリカだからと言ってすべてがアメリカで作られているわけではない。彼が買ったセーターの原料となる羊毛を作っているのは一体どこの誰なのか?)が、その発想は理解できる。
彼はどう見てもパフォーマーに過ぎないが、彼自身は誠実な人間で言っていることもまともだ。彼のようなやり方で人々のころに届くとは思えないが、それをドキュメンタリー映画という形で拾っていく人もいる。それによって思想は少しずつ広がりを見せる。まあそういうのもありかな。