青春シンドローム
2003/7/7
Le Peril Jeune
1994年,フランス,106分
- 監督
- セドリック・クラピッシュ
- 脚本
- セドリック・クラピッシュ
- サンティアゴ・アミゴレーナ
- アレクシス・ガルモ
- ダニエル・シュー
- 撮影
- ドミニク・コリン
- 出演
- ロマン・デュリス
- ヴァンサン・エルバズ
- ニコラス・コレンツキー
- ジュリアン・ランブロスキーニ
- ジョアキム・ロンバール
出産の場に集まった4人の旧友たち。久しぶりに集まったことを喜ぶが、実は生まれる子供の父親であるトマジは1ヶ月前に亡くなっていた。赤ん坊が産まれるのを待つ間。4人は楽しかった高校時代とトマジの思い出を語る。舞台は70年代で、彼らは学生運動に、恋愛に、ドラッグに、受験にと忙しく青春時代を送っていたのだ。
若者の苛立ちや悪ふざけを群像劇として描くというのはよくある話だが、舞台を70年代にしながらそれをノスタルジックには描かないところにクラピッシュのうまさがある。クラピッシュとしては『百貨店大百科』に続く2本目の長編作品。
この映画は回想という一つのクッションを置くことで、クラピッシュらしい現実感というものは薄れているように見える。確かに回想として描かれる青春時代は何か夢の中のような、そんな雰囲気も漂う。しかし、それは今、産婦人科の待合室で話をしているまさに今の現実感と表裏一体をなすものである。
その夢のように見える青春時代には彼らは実は本当の現実感の中にいて、それにはトマジの存在が大きかったんだということに彼らは気づかされる。それがこの映画の物語だ。一見ただ青春を懐かしむノスタルジーのように見えるが、実は逆なのだと思う(逆という意味はこの続きを読んでもらえればわかると思います、たぶん)。
<ネタばれしていきますが、読んでもそれほど問題ないと思います>
受験という一つの出来事によって彼らは何かを奪われ、現実から一歩はなれてしまった。トマジはドラッグによって現実から逃れようとしているように見えたが、実は一番現実に近いところにいた。現実とは現在であり、現在をいかに生きるのかということなのだ。受験をし、将来に希望をかけた彼らは先を見つめることで現在の何かをあきらめ、現実から一歩遠ざかってしまった。クリスティーヌはそれを「賢くなること」だといったが、賢くなった彼らは生きるすべを見つけ、器用に世の中を渡り歩く。なぜ亡きトマジの子供が生まれるその場に自分たちが呼ばれたのかを考える。そして夢のように見える青春時代の回想を通して、自分たちが失ってしまった「現実」に気づくのだ。もちろんそう簡単にあきらめてしまった現在(すでに過去になっている)を取り戻すことは出来ないが、今の現在を現実として取り戻すことは可能だ。ラストシーンで奥さん(名前忘れた)におこられるといいながら仲間とカフェに行くことを選んだシャベール(だと思う多分)はそこで「現実」を少し取り戻したのだと思う。トマジと彼のことを本当にわかっていたソフィーとによって彼らは「現実」を思い出させてもらった。彼らはまた「賢い」生活に戻り、現実を少しずつあきらめながら生きて行くのだろうけれど、トマジから受け取ったメッセージを忘れることはないだろう。
しかし、トマジはなぜ死ななければならなかったのか。彼が固執した「現実」に殺されてしまったのだろうか? 映画の中盤で出てくるLSDでトリップしていたときのトマジの異常なほどに幸せそうな顔、それを見ると、その時彼は幻覚ではあるが本当のリアリティを感じていたのではないかと感じる。現実の世界ではあらゆるものに疎外され、現実を奪われていた彼が充足感を感じる場所がトリップした世界であったのではないかと思う。トマジはシャベールのように子供なのではなくて、あまりに大人で(それは仲間たちに対する発言からもわかる)、しかし/だからこそ世の中から疎外されてしまう。その時、彼は現実の世界で何をしてもそこに充足感(リアリティ)を感じることができなかった。だから彼はドラッグの世界に充足感(リアリティ)を求め、それに捉えられてしまった。彼はあまりに周りがよく見えてしまったがゆえに「賢く」なれなかった。
この映画はそのことによって何か普遍的なものを描こうとしているわけではないだろう。こういうことは(これほど劇的ではないにしても)誰の身にもおきることだ。現実感が失われていく今の世の中で、それに抗って生きる人というのは必ずどこかにいる。その人自身は非常に生き難さを感じているし、周囲からは白い目で見られるわけだが、その生き方を感じ取れる人がいれば、その人も人生で重要な何かを得ることができるはずだ。この映画自体もそのような現実感を奪おうとする何かに抗おうとする一つの営為なのだろう。それが私がクラピッシュを好きな理由の一つでもある。
そういえば、『猫が行方不明』のおばあさん(マダム・レネ)が1カットだけ登場していました。