グレイズ・アナトミー
2003/10/31
Gray's Anatomy
1996年,アメリカ=イギリス,79分
- 監督
- スティーヴン・ソダーバーグ
- 脚本
- スポルティング・グレイ
- 撮影
- エリオット・デイヴィス
- 音楽
- クリフ・マルティネス
- 出演
- スポルティング・グレイ
人間は目が大事。最初、目に怪我をしたり疾患を追った人たちのインタビューが流れる。鉄くずが目に入ったり、視神経の後ろに動脈瘤が出来るなどして失明の危機を経験した。場面は変わってスポルティング・グレイが登場。彼は現行の執筆中に目に異常を感じて医者にかかる。検査の結果「変視症」と診断されるが、グレイはその診断に納得がいかず…
“マスター・オブ・モノローグ”と呼ばれる舞台芸人スポルティング・グレイのショーをスティーヴン・ソダーバーグが映画化。『セックスと嘘とビデオテープ』後の停滞期のインディペンデント作品で、なかなか意欲的な作品。
1996年、ソダーバーグはこの作品と『スキゾポリス』の2本の作品を撮っている。どちらも決してヒットはしないし、そもそも商業ベースに乗せようという意図すら感じられないインディーズ的な作品だ。『スキゾポリス』のほうがほぼソダーバーグのワンマン・ショーなのに対し、この映画はそもそもワンマン・ショーである舞台の映画化である。『スキゾポリス』は完全にソダーバーグの撮りたい映画。自分がやりたいことを思い切りやったという映画である。それは未完成であるけれど非常に意欲的で、追求された理想、理想的な映画を追求し、しかし完成させることができなかった野心的な作品ということができる。これはある意味では今さまざまな映画を撮っているソダーバーグにとってまだ未来にあるものの出発点であるということができるだろう。
それに対してこの映画は、ソダーバーグがこのスポルティング・グレイが好きで、ただただ映画に撮りたかった作品であるように思える。グレイのショーの面白さを映画によって伝えたいがために、一般人(多分)のインタビューなどを織り交ぜて、彼のショーに広がりを与える。しかし主役はあくまでグレイであって、ソダーバーグは黒子としてさまざまな舞台装置を用意するだけの存在である。しかしおそらく、ソダーバーグはその役割に満足し、自分が創り上げたグレイのショーに満足しただろう。自分が好きなグレイの魅力を画面に定着させることができてうれしかったことだろう。そして彼は多分他のどの人が撮るよりもグレイを魅力的に見せることが出来ただろう。
このようにして人の魅力を引き出すこと。これが今のソダーバーグの監督としての最大の特色である。『エリン・ブロコビッチ』のジュリア・ロバーツを筆頭に、ジョージ・クルーニーやテレンス・スタンプの魅力を引き出してきたソダーバーグ。彼の俳優の魅力を引き出す黒子の役割の出発点がこの映画にあったのでは?と思う。自分が撮る被写体に魅力を感じているからこそ、その魅力を最大限に引き出すことができる。それがソダーバーグの監督としての最大の力量であると言える。
もちろんこの映画のもとになっているスポルティング・グレイの話は面白い。多分ショーも面白いだろう。結局のところ何の話だかわからないけれど、展開は気になるし、一つ一つのエピソードも面白い。しかしやはり映画としてはソダーバーグの力量もまた重要なのである。
一般的には停滞期といわれる1996年にとられた2つの作品。これを見ると、今はハリウッドの寵児としてただ売れ線の映画を撮っているようにしか見えないソダーバーグが実はやはり理想を持ち、才能を持っているということがわかる。その理想を持ち続ければ、映画史に燦然と輝くような名作を生み出すこともあるのかもしれないと思う。