Schizopolis
1996年,アメリカ,93分
監督:スティーヴン・ソダーバーグ
脚本:スティーヴン・ソダーバーグ
撮影:スティーヴン・ソダーバーグ
出演:スティーヴン・ソダーバーグ、ベッツィ・ブラントリー、デヴィッド・ジェンセン

 マンソンは「イヴェンチャリズム」という自己啓発本の著者シュイターズという人物のオフィスで働く。そのオフィスでは、スパイ疑惑などというものが持ち上がっていた。それに、マンソンと同じ顔をした歯科医コルチェック(二人ともスダーバーグ自身が演じる)、害虫駆除を仕事としているらしいエルモという人物がからみ、話は展開していく。
 「セックスと嘘とビデオテープ」以後なかず飛ばずで、資金も底をつき、ハリウッドから見放されたソダーバーグがインディペンデントで撮った一作。あまりにわけがわからず、観客が入らなかったらしい。ということは逆に映画ファンを自認するなら必見。

 監督が、映画の最初で宣言したとおり本当にわけがわからない変な映画だけれど、これまた監督が宣言したとおり映画史に残る作品になるかもしれない。われわれに見える「セックスと嘘とビデオテープ」から「アウト・オブ・サイト」へのソダーバーグのジャンプのその最後がこの作品で、となるとその間の変化を探るということになりますが、この作品はむしろそれ以後の作品よりも革新的で、実験的なものであり、これこそが終着点であるという気もします。
 つまり、「セックス~」から「スキゾポリス」へ至る道をソダーバーグは「アウト・オブ・サイト」から再び(分かりやすい形で)歩み始めているのかもしれないということ。「アウト・オブ・サイト」の分かりやすさから「トラフィック」の斬新さへと進んだその道が、今後さらに進んでいくとするならば、それは再び「スキゾポリス」へと至るのだろうということです。
 確かに、映像の作り方や編集の仕方では現在のソダーバーグ作品に通じるところもあるが、これがいまの「完成された」ソダーバーグへの一つの段階であると考えるのは間違っていると私は思う。いまのソダーバーグ作品は監督が前面には出てこず、前衛性の中で生き返らされた役者達がその存在を輝かせている。本当にソダーバーグがソダーバーグらしくいられる作品が撮れるのはまだまだ先のことになりそうな気がする。
 異なった形で、資金も潤沢に、キャストも豪華に「スキゾポリス」的なものを作る。そして作りつづける。それがゴダールを敬愛してやまないソダーバーグの本当の終着点なのかもしれない。と思います。
 それにしてもわけのわからないこの映画。日本語を解してしまう私たちは幸せなのか不幸せなのか英語だけを理解してこれを見る観客が感じるものと日本語やイタリア語やフランス語を理解してしまう観客が感じるものはきっと違っている。そのような受け手によってあまりに見え方が違ってくる要素をふんだんに盛り込んだ作品なので、冒頭にソダーバーグ自身が言っているように何度も見なくてはわからないのかもしれない。それはあまりにわからなすぎて途中うたた寝してしまうという事も含めて…

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