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要塞警察

2005/5/18
Assault on Precinct
1976年,アメリカ,90分

監督
ジョン・カーペンター
脚本
ジョン・カーペンター
撮影
ダグラス・ナップ
音楽
ジョン・カーペンター
出演
オースティン・ストーカー
ダーウィン・ジョストン
ローリー・ジマー
マーティン・ウェスト
トニー・バートン
preview
 ロサンゼルスでは少年による凶悪犯罪が相次いでいた。警部補になったばかりのビショップは引越しにより今日で閉鎖となるアンダーソン署の留守を一晩預かることになり、そこに向かうが、そこでは銃を盗んだギャングの一味が血で誓いをたてていた。一方、スターカーは殺人犯ナポレオン・ウィルソンを含む囚人を護送するが、囚人の1人が病気で苦しんだためアンダーソン署に立ち寄ることにする…
 B級映画の巨匠ジョン・カーペンターの長編第2作。この作品で評価を得て、『ハロウィン』につながった。現在も変わらない無機質なアクションシーンは秀逸。
review

 ジョン・カーペンターの映画に常に付きまとうのは「閉塞感」である。何か邪悪なものに閉じ込められているという感覚、それが彼の作品の最大の特徴ではないか。その閉塞感が端的に表れているのがこの『要塞警察』である。この作品の閉塞感の最大の特徴は主人公(たち)が警察署という閉ざされた空間に閉じ込められ、邪悪なものがその空間から隔たれた外側にいるという点である。つまり、彼らは完全に閉じ込められている。閉じ込められた内側はとりあえずは安全地帯だが、彼らはどうあってもそこから抜け出すことが出来ないのだ。
 これに対して『ニューヨーク1997』やその続編の『エスケープ・フロム・L.A.』では、同じく閉ざされた空間(ここでは孤立した都市)に閉じ込められているのだが、邪悪なものはその閉ざされた空間の内側にいる。つまり、彼は閉じ込められており、その中は危険ではあるが、そこから抜け出せばそこには安全地帯があるということになって、『要塞警察』とは完全に逆転した空間がそこにはあるのだ。
 このふたつを比べると、『要塞警察』のほうが単純でわかりやすい構造になっている。彼らは閉じ込められており、迫り来る邪悪なものを何とかして食い止め、救済されるのを待てばいいのだ。
 しかし、ジョン・カーペンターの作品の主人公には必ず迷いがある。ひとつの目標に向かって突き進めばいいというのではなく、他の選択肢が必ずあり、そこに迷いが生じるのだ。この作品ではそれは戦うか逃げ出すかという迷いである。ヒーローになるにはその迷いを振り払って戦わなければならない。ジョン・カーペンターは常にヒーロー(たち)を描くから、結局彼らは戦うのだが、そこに迷いが存在することで物語は面白くなるのだ。

 閉塞感に話を戻すと、この閉塞感は必ずしも物理的に閉じ込められたという感覚に限ったものではない。『ハロウィン』では、(物理的に閉じ込められるというシーンも出てくるし、ギブスで固定されるという閉じ込められることのメタファーと取れる物まで持ち出されるが)基本的にその閉塞感は心理的なものである。つまり、いつブギーマンに襲われるかわからないという恐怖が、「決して逃げることが出来ない」という心理的な閉塞感につながるわけだ。物理的にはどこにでも逃げられるのだけれど、どれだけ逃げてもブギーマンから逃れることは出来ない。その閉塞感は物理的なものよりもむしろ恐ろしい。
 そう考えると、『ニューヨーク1997』の閉塞感というのは物理的に閉じ込められているという閉塞感と、いつ襲われるかわからないという心理的な閉塞感とが二重にかぶさったものと考えることが出来るかもしれない。
 そして、最近の作品である『ゴースト・オブ・マーズ』などを見ると、その二重の閉塞感はジョン・カーペンターのスタイルのひとつの完成形として確立されたのではないかと思う。『ゴースト…』も火星という閉じられた空間の中でいつ襲ってくるかわからない邪悪なものに取り囲まれているという映画だ。しかも、物理的にも火星と基地とで二重に閉じ込められているともいえるのである。

 というわけで、ジョン・カーペンターは「閉じ込める」映画作家であるというわけだが、他方でその閉塞感を打ち破るためかどうかはわからないが、過剰な暴力を使う映画作家でもある。この作品でも、迫り来る敵をショットガンで次々と撃ち抜いて行くシーンの暴力性などは開いて口がふさがらないほどのすごさである。これはまるでゲームセンターの射撃ゲームのようで、なんともいえない恐ろしさを覚える。
 しかし、ジョン・カーペンターの作品でこのようにして撃ち殺されていくのは基本的に“エイリアン”である。この作品でも撃ち殺されるストリートギャングといわれる若者たちは“エイリアン”なのである。“エイリアン”であるということはつまりコミュニケーションが不可能だということであり、その証拠に彼らは一切口を利かない。“人間”に対して言葉を発しないのはもちろんのこと、仲間同士の間でさえ口を利かないのだ。だから彼らを殺すことに罪悪感を感じることはない。
 しかし、そこに罪悪感が存在しないことが湛える意味を考えるとさらに恐ろしくなってくるのだが…

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: アメリカ60~80年代

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