弥次喜多道中記
2007/7/4
1938年,日本,102分
- 監督
- マキノ正博
- 脚本
- 江戸川浩二
- 撮影
- 宮川一夫
- 音楽
- 大久保徳二郎
- 出演
- 片岡千恵蔵
- 市川春代
- 志村喬
- 香川良介
- ディック・ミネ
江戸は日本橋の近くで傘張りで生計を立てる浪人の息子お春は隣に住む侍の浅井に惚れていたが、浅井には香川屋の娘おとみも惚れていて、さらには婚約者だという武士の娘藤尾まで登場。父親の骨董道楽で毎日麦こがししか食べられないお春は何とか浅井を自分のものにしようとするが…
マキノ正博が7日間で仕上げた日本初のオペレッタ映画。とにかく奇妙で楽しい迷作の名作。
遠山の金さんと鼠小僧と弥次喜多、誰でも知っている江戸時代の有名人が一堂に会するオールスター作品(笑)。あいも変わらずこの発想がおもしろい。この作品はクレジット上は原作・脚本が本城英太郎となっているが、これは小国英雄のことで、マキノが初めて小国と一緒に仕事をした作品となった。このおもしろさはもちろん遠山の金さん、鼠小僧、弥次喜多という人物を知ってのおもしろさではあるが、さすがに有名人ばかりだけあって大衆受けして、戦後も何度もリメイクされた。そして、遠山の金さんや鼠小僧、弥次喜多という人物のことをよく知らなくてもこの物語は存分に楽しめる。楠木繁夫とディック・ミネの歌は今から見ると少々とってつけたような感があり、あまり効果的とはいえないが、金さんと鼠小僧が偽の弥次喜多になるという設定を生かすためにはこのふたりの存在は欠かすことが出来ないし、笑いを振りまくという意味では十分に意味のある登場人物である。
しかし、この作品はなんと言っても金さんを演じる片岡千恵蔵と鼠小僧を演じる杉狂児がいい。道楽息子のような様子でありながら、実は父親をおもってそのようなふりをしている金さんと、義賊として名を馳せ、足を洗いたいのだが、偽の鼠小僧が強盗を働いているのを捨て置けず、憤慨している鼠小僧。この作品ではそのふたりの出会いはまず、鼠小僧は鼠小僧の装束を着て、ほっかむりをした状態で、そして金さんはお茶屋でひょっとこの面をかぶった状態で実現する。金さんは鼠小僧を鼠小僧と認めるが、その素顔はわからず、鼠小僧は金さんを「只者ではない」と見るだけである。しかし、このふたりの出会いが聞いて、物語の展開はおもしろくなる。ふたりの道中はどちらも身分を明かさず展開されるが、ふたりはどこかで互いが只者ではないということがわかっていて、しかし、それには決して触れようとせず、京都への道すがらを一緒に過ごすのだ。
そして、このプロットが非常にいい。この作品で本城路太郎とクレジットされている小国英雄の脚本が本当にいいのだ。小国英雄とマキノ正博はこの頃コンビを組んで、作品を量産しているが、「一スジ」という父の教訓どおり脚本家を大事にしたマキノだけあって、脚本家を見る目は確実で、小国英雄との仕事には非常におもしろい作品が多い。この作品にも観られる小国英雄の脚本の特徴は、山あり谷ありヒネリありといういわゆる活劇的なおもしろさである。金さんと鼠小僧がいつ互いのことを気づくのか、あるいはもう気づいているのかという作品全体を貫くプロットを軸に、様々なエピソードが加えられ、観客を映画の中に引き込む。のちに黒澤明が小国英雄を徴用したのも、ハリウッド的な作品を指向する黒澤とこの小国英雄の活劇的なプロットの組み方があったからだろう。しかも、小国はマキノのところで鍛えられた時代劇のプロである。マキノが映画界に及ぼした影響の大きさがこのようなところからも伺えるわけだ。
話がそれてしまったが、とにかくこの作品はプロットがおもしろい。歌を楽しむのもいいが、まずはプロットに引っ張られて映画の世界に引き込まれる。その上で歌の楽しさがあるのだ。この作品はオペレッタ映画ではなく、小唄映画とされている。映画の合間に楠木繁夫とディック・ミネや美ち奴の歌が入るというだけで、ミュージカル調になっているわけではないからだ。しかし、これは歌が添え物であるというわけではない。この映画において歌はプロット(劇)と並んでメインとなるものである。
歌というのは、観客の心を捉える。ここに登場する歌手たちは、当時の流行歌手であり、彼らの歌が聴けるということは観客にとって楽しみがひとつ増えることになるからだ。このような歌の取り入れ方は、マキノやこの時代の映画に限られたものではなく、60年代の多くの映画に取り入れられ、そこでは不必要に長いステージシーンが挿入されたりもした。そして、その伝統は(タイアップや歌手自身の出演という違った形で)今も残存しているように思える。映画と歌という愛称のよい組み合わせが実現したのはトーキー以後であり、それを日本で本格的にはじめたのはマキノなのである。
そして、この作品はそのような映画と歌の蜜月への最初のステップとなっている。この作品は確実に、日本初のオペレッタ映画である『鴛鴦歌合戦』への布石というか、それが出来上がるステップにはなっている。トーキーにこだわったマキノが映画に歌を取り入れるというのは至極自然なことであり、それが結実するオペレッタ映画の前にこのような小唄映画を作ったというわけだ。そして、その試みはオペレッタ映画に終わるわけではない。マキノは『鴛鴦歌合戦』の翌年、浪花節映画とでもいうべき『続清水港』を撮っている。これは劇と歌のスクリーン上での融合のまた別のあり方の試みである。
その中でこの『続清水港』などにも出演している美ち奴の存在はおもしろい。美ち奴は当時の流行歌手で、映画の中でも美声を披露しているが、美女ぞろいの女優陣の中で味のあるキャラクターを出し、役者としてもなかなかのものがある。マキノ正博の義理の妹にあたる澤村貞子にも通じるような脇役の味のようなものが感じられる。そしてそれによってこの美ち奴は劇と歌を見事につないでいるのだ。それが歌が映画の添え物ではなくて、劇と歌が融合した映画という印象を与えるひとつの要因になっているのだ。
素晴らしい脚本の時代劇に、歌、そして笑い。まさにエンターテインメントの塊のようなこの映画、私にはこの作品はマキノ正博のひとつの頂点であるように思える。