フィレーネのキライなこと
2007/8/21
Phileine Zegt Sorry
2003年,オランダ,94分
- 監督
- ロバート・ヤン・ウェストダイク
- 原作
- ロナルド・ジファート
- 脚本
- ロバート・ヤン・ウェストダイク
- 撮影
- ベルト・ポット
- 音楽
- リチャード・キャメロン
- 出演
- キム・ファン・コーテン
- ミヒル・ホイスマン
- タラ・エルダース
- ハデヴィック・ミニス
- キーナン・レイヴン
- マッド・ウィッターマン
オランダのユトレヒトに暮らすフィレーネは浮気男と別れ、その親友のマックスと付き合い始める。しかし、そのマックスにも「話がある」と切り出され、いやな予感がするが、彼が切り出したのは1年ニューヨークへ行くという話しだった。3ヵ月後、我慢しきれなくなったフィレーネはニューヨークへと行くが…
『アムス→シベリア』などのロバート・ヤン・ウェストダイク監督によるオランダ発の過激なラブ・コメディ。
基本的にはオランダ人の主人公フィレーネが今までになく「本物だ」と感じた恋人(マックス)がニューヨークに行ってしまい、3ヶ月は我慢したけれど、ついに我慢しきれなくなって欲求不満でニューヨークにいってしまうという話だ。そしてオランダでもニューヨークでもやったやらないですったもんだがあるというセックスを中心としたラブストーリーである。
この映画は日本ではR18となったが、それはおそらく性器が映っているからだろう。会話なども確かに過激で、映画の中心はセックスだが、行為自体はまっとうで、暴力的な描写があるわけでもない。R-18となると、公開はほぼレイトショーに限られ、この作品もその例に漏れず単館のレイトショー公開となり、まったく話題にならずに終わったわけだが、内容的には普通に公開されている映画とそれほど変わらないのだから、やはり日本の映画に対する規制というのは腑に落ちないところがある。
しかしまあ、この作品がレイトではなく終日上映されたからといってヒットしたかといわれれば、そんなことはないだろう。映画の全体にわたる女たちのあけすけな会話と主人公のキャラクターはなかなか面白いし、主人公がカメラに向かって真情を語る(もはや使い古された)手法もそれなりに効果的で、主人公の夢想を映像化したシーンもアクセントになってはいる。しかし、どれをとってもどこかで見たような作品という印象は否めない。
「いったい何かなぁ…」と考えていたら、それは『アメリ』だと気がついた。このセックスを前面に押し出した過激な作品と、乙女チックな印象がある『アメリ』は正反対の作品のようにも見えるけれど、恋愛を女性主人公の視点に立って、その心理をカメラに向かった独白という形で観客に提示し、主人公の夢想を実際に映像化することで表現するという点でまったく一緒だといっていい。違うのは恋愛において最も重要な要素を肉体的なものにおくか、精神的なものにおくかという点である。
『アメリ』の結末はどんなものだったかすっかり忘れてしまったが、この作品では最後には精神的なもの「も」大事だということに主人公が気づく。そのことは、フィレーネの母親が何人もの男と浮気しながら、「愛しているのはお父さんだ」と臆面もなく言うところですでに示唆されている。
と、そのような話なわけで、実際見ていると中盤からは話の展開も見え見えで、結末に至るまでの展開がほぼ完全にわかってしまう。そうなるとどうも展開がじれったくていらいらし、面白いのはフィレーネとクロッチが男達を馬鹿にするところくらいになってしまう。となると、前半の勢いはどこへやら、フィレーネのキャラクターも小さくまとまってキャラが立たず、脇のラーラやフルールのエピソードも蛇足にしか思われなくなってしまう。
オランダ映画には『アントニア』や『オランダの光』などという佳作もあり、最近ではポール・バーホーベンがオランダに戻って撮った『ブラックブック』という注目作もあったが、まだまだ珍しいことは確かだ。しかし、珍しいだけでは映画の魅力にはならず、オランダ映画という以外にこれいとった特徴もないこの映画は、すぐに忘れ去られると思う。