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善き人のためのソナタ

★★★★-

2007/9/25
Das Leben der Anderen
2006年,ドイツ,138分

監督
フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
脚本
フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
撮影
ハーゲン・ボグダンスキー
音楽
ガブリエル・ヤレド
ステファン・ムーシャ
出演
ウルリッヒ・ミューエ
セバスチャン・コッホ
マルティナ・ゲデック
ウルリッヒ・トゥクール
preview
 1983年東ベルリン、シュタージ(国家保安局)の局員ヴィースラー大尉は尋問のスペシャリストで、教官も勤める。その彼は同期で上官でもあるブルビッツに連れられて行った劇場で、そこに来ていた大臣の意向もあって劇作家のドライマンの監視を始める。誠実な共産党員であるヴィースラーは忠実に監視をするが…
  旧東ドイツの秘密警察“シュタージ”の姿を描き、ヒューマンドラマに仕上げた力作。ナチスとはまた違う迫害のあり方が描かれていて鋭い。
review

 この作品の背景にはいろいろなことがあるのだけれど、まずこれはヒューマンドラマとして非常に見ごたえのある作品だ。忠実な党員として反革命分子を告発するスペシャリストとして活動を続けてきたヴィースラーがひとりの劇作家と触れることで信念が揺らぐ。ヴィースラーの上司であるブルビッツは自分の出世という目的のために動き、彼がへつらう大臣は自分の欲望に従って生きる。しかし、ヴィースラーは何を信念として生きているのか。彼自身としては共産主義というイデオロギーのために生き、それを守るために忠実に仕事をしてきたということになるわけだが、果たしてそれは本当なのか。彼は自分が監視する反革命分子かもしれない人間と、自分が従うべき人間とを比べ、そこに違和感を感じる。自分が従うべきものへの疑問を感じる。それは社会主義という特定の背景とは関係なしに、誰にでも起きることだ。そのような普遍的なドラマ、あるいは悩みが描かれているからこの物語は非常に魅力的なのだ。
  ヴィースラーは芸術に触れることで疑問を抱くけれど、しかしやはり従来のイデオロギーも捨てきれない。彼は葛藤し、妥協し、その妥協が新たな展開を生み、流されるようにして違う人生に足を踏み出す。そこには喜びもあるが後悔もあり、新たな迷いもある。しかし、それが人生なのだ。ただ盲目的に言われた仕事をこなしていくだけが人生ではない。人生とは孤独を感じたり、疑問を持ったり、迷ったり、悩んだりするものだ。官僚というものが非人間的なものの象徴と考えられてしまうのは、彼らが疑問を持ったり悩んだりする暇も余裕も与えられず、集団の中にいることで孤独も感じず、迷ったりもしないからだ。しかし、ヴィースラーはその安全な世界とは別のものを目にしてしまう。盗み聞きによって見ることができた生々しい人間同士の触れ合い、それは彼の生活に欠けていたものだった。その欠落に気づいた彼は自分の中にある空虚を意識せざるを得なくなく。官僚機構によって満たされていたはずの自分の内側にぽっかりと空いていた空虚、それに直面したとき彼は同時にイデオロギーの危機に直面する。
  そしてこの作品はそのようなイデオロギーの危機に直面した主人公をじっくりと描く。ほとんど言葉を発しないこの主人公の行動をつぶさに観察することによって、彼の内側で起こっていることを表現していくのだ。それは言葉によらないけれど非常にわかりやすく、私達の心にじかに迫ってくる。そして、それは最後の最後まで続く。ベルリンの壁が崩壊し、東ドイツという国がなくなってもみな同じ人間として生き続ける。この言葉少なな主人公が最後の最後に発するせりふには重みがあり、感動を誘う。

 官僚とはある種の職人である。職人的な人間というのは誠実であればあるほど、巨視的な視点を失うという陥穽に陥りがちである。目の前にある仕事を着実にこなしていくことに悦びを見出し、その結果生じる大きな流れには目が行かなくなるのだ。そのような人々は時に利用され、愚民かされてしまう。ヴィースラーはエリートでありながら、党によって盲目にされ、愚民かされてしまっている。彼は自分では気づかずに権力を振りかざし、その行為が彼の信じるイデオロギーと矛盾していることに気づかない。そのことは彼がドライマンの向かいに住む女性に対して見せる態度に表れている。彼はこの女性を脅した上で、協力したお礼を送っておけと部下に命ずるのだ。
  この構造は「悪の凡庸さ」と表現される権力による人権の侵害の繰り返しである。これはナチスドイツでも、第2次大戦時の日本でも、国民をあいまいな概念で二分する国家においてはどこにでも表れる構造なのだ。ヴィースラーはその構造にどっぷりと入り込んでしまっているから、その構造自体が見えなくなってしまっているのだが、ドライマンという対象から鏡像として自分を見ることで、その構造が目に入ってしまう。それによって彼は変わっていくのだ。

 ついつい、小難しい解釈をしてしまったが、それはやはりこの物語がひとつの歴史を語っているからである。私達は歴史をただ物語としてみるのではなく、現在と未来への教訓としてみるように習慣付けられてしまっている。この作品はそのような歴史への言及なしでひとつの物語としてすばらしいものであり、そこに存在するのは普遍的な“人間”の物語なのだから、このように書くことは蛇足でしかない。しかしやはり、このようなドラマを描くことができるのは、その基になる事実があったからなのである。
  旧東ドイツであったことを私達はほとんど目にしない。映画では近年『グッバイ、レーニン』『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』という作品によって東ドイツが語られるようになったが、それらは非常に断片的で一面的なものだった。ソ連とベルリンの壁の崩壊によってほぼ壊滅してしまった「社会主義」の実情の解明は緊急を要することではないが、北朝鮮やキューバ、中国といった形式的には社会主義を標榜する国々があり、それが国際的な問題を起こしている以上、無視できる問題でもない。特に東ドイツは20世紀の半分近く続いた冷戦の象徴的な国家として考える必要があるのではないか。
  このような作品が編まれるということ自体、私達がそこに描かれていることを考えるべき時が来たということを示唆しているのではないかと私は思う。

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国別・年順: ドイツ

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