日本一のホラ吹き男
2007/9/27
1964年,日本,93分
- 監督
- 古澤憲吾
- 脚本
- 笠原良三
- 撮影
- 飯村正
- 音楽
- 宮川泰
- 萩原哲晶
- 出演
- 植木等
- 浜美枝
- 曽我廼家明蝶
- 山茶花究
- 三井弘次
- 谷啓
- 飯田蝶子
- 草笛光子
オリンピックの三段跳びの有力選手だった初等は、アキレス腱を切る怪我でオリンピックを断念、田舎で大ぼら吹きとして知られたというご先祖様の自伝を読む。それに感化された等は自分も大ぼらを吹いて成功しようと、大会社益増電器に入社すると吹くのだが…
「日本一の男」ものの2作目。植木等の豪快なキャラクターが前面に出され、ハナ肇も出演していないので、クレージーキャッツの映画といえるかどうかは微妙なところ。
この作品が作られたのは1964年、東京オリンピックのその年である。なので、植木等の設定は三段跳びの代表候補選手となり、練習で軽々と世界記録を跳んでしまう。しかし、怪我をして田舎に引っ込み本番には間に合わなくなってしまうというもの。さらに、映画の後半でも“TOKYO OLYMPIC”と書かれた公園が登場し、オリンピックムードがそこここに見られる作品となっている。
それもあってかこの作品は全体的に浮かれムード、植木等演じるお調子者の社員が手練手管でのし上がるというストーリーはおなじみだが、そこにだましだまされるというどろどろとした要素はない。ほとんど敵も作らず、やばい橋も渡らず、それこそ自分の頭で勝負をするのだ。これはこれで面白く、植木等の笑い声が軽やかに響き渡る作品となったわけだが、あまりに能天気すぎる物足りなさもある。
ただ、娯楽映画が日本で量産されたこの時代、東宝というのは明るく元気な映画を作る色彩が強かった。東宝はコメディ、日活はアクション、大映はサスペンス、松竹はドラマ、そんな色分けがなされていたように今の時代からは見える。だから、時代が下るにつれて、クレージーものもどんどん明るさを強め、どんどん能天気になっていくのかもしれない。私は『ニッポン無責任時代』『ニッポン無責任野郎』『くたばれ!無責任』という初期の3作品こそクレージーキャッツの代表作だと思うが、マンネリ化というのもひとつの価値であり、明るい時代に安心感を与える能天気な作品というのは受け入れられやすかったのだろう。
そのような中でこの植木等という役者はまさに時代の寵児というべき人物だったろう。同じコメディでも“社長シリーズ”の森繁や“駅前シリーズ”のフランキー堺にはどこか湿っぽさがあるが、この植木等にはまったく湿っぽさがなく、すべてを快活な笑い声で笑い飛ばしてしまう乾いた明るさがある。だからこそ、他のクレージーメンバーから離れても一本の映画を担うことができる。この作品にも登場する谷啓は植木等と対照的な人物として(この作品でも研究室の片隅でこつこつと研究する吃音の研究員として登場する)欠かせない存在ではあるけれど、それもやはり植木等あっての谷啓、谷啓あっての植木等ではないのだ。
植木等というのはお祭り騒ぎの高度成長期の日本にあって、その音頭を取る宴会部長のようなものなのだろう。もちろん高度成長期といっても、その裏には暗い部分もあり、つらい生活もあったわけだが、お祭りというのはそのような暗さを忘れる場だ。日常はつらいが、世の中はよくなっていると実感できる中で、週末に見る植木等の映画は世の中の明るさを実感できる機会だったのではないか。それは現実逃避ではなく、現実的な希望なのだ。植木等が明るく笑いながら出世するその姿は、見ている観客それぞれとそして日本という国の明るい未来を象徴しているのだ。
暗さやフアンが目立つ今の時代に見るには、少しバカっぽ過ぎるが、それが時代の変化というもの。同じ日本という国にあっても、時代が隔たれば理解し難いこともある。少々退屈してそんなことをちらりと思った。
でもやはり、植木等の笑い声には人を元気付ける力があるとも思う。