怒りの街
2009/5/12
1950年,日本,105分
- 監督
- 成瀬巳喜男
- 原作
- 丹羽文雄
- 脚本
- 成瀬巳喜男
- 撮影
- 玉井正夫
- 音楽
- 飯田信夫
- 出演
- 宇野重吉
- 原保美
- 若山セツ子
- 浜田百合子
- 久我美子
- 東山千栄子
- 志村喬
旧華族の大学生須藤茂隆は学友の森と組んで金持ちの女性を騙す詐欺まがいのことをして学費をやりくりし、傾いた家を支えようとしていた。その美貌で次々と女を手玉に取る須藤はいつしか金儲け自体が目的となり、事業家として成功することを夢見るようになるが…
東大生が金融業で成功した“光クラブ事件”をモチーフにした丹羽文雄の小説を成瀬巳喜男が映画化。戦後日本の変化と暗さが色濃く出た作品。
成瀬巳喜男の戦中戦後の作品群を見ると“日本らしい”静謐さのようなものを感じることが多い。日本的なたたずまいの中であまり感情を表に出さない日本人たちがドラマを展開しているわけだ。しかし、それらの作品でも常にその表情の裏には感情が渦巻き、荒々しいドラマが展開している。特に戦後、女性たちを主人公にするようになった成瀬の作品の多くは表面には現れない女性たちの相克や感情の揺らぎが「見所」となっている。
そして、そこでは愛情や人間関係が表面的な問題になってはいるが、その裏には常に“金”という要素が潜む。成瀬は時に夫婦関係を、時に恋愛官営を、時に親子関係を描きながら、常にそれが問題となっている関係外の社会/現実といかに関わってくるかを綿密に描いている。どのような人間関係もそれが社会と関わる場合、現実の問題(つまるところ金)と無関係ではいられない。特に成瀬が描くのが戦後のそれほど豊かではない日本の庶民である以上、それは避けられないテーマとなるわけだ。
さて、この作品『怒りの街』は1950年の作品。成瀬のいわゆる女性映画/ホームドラマ的な作品の最初の作品は1951年の『めし』と考えると、その直前の作品ということになる。敗戦から50年頃までの成瀬は“社会派”と言いうるような作品をいくつか撮っている。49年には『不良少女』、50年にはこの『怒りの街』に加えて『薔薇合戦』と『白い野獣』である。51年には一転、先ほどあげた『めし』に加えて『銀座化粧』という“女性”に焦点を挙げた作品を撮り、その後は社会派的な作品は影を潜める。(そのように50年51年が成瀬にとって転機となった理由には東宝争議があるわけだが、そのことはとりあえずおいておく。)
そんな作品として撮られたこの『怒りの街』でも登場人物たちの感情はあまり表に表れない。表情や身振りによる表現は最小限に抑えられ、文脈から読み取ることの出来る表に表れない感情によってドラマが展開されてゆくのだ。そしてその中心になるのは時代の波に押し流され“金”がすべてという後期資本主義の毒に侵されて行ってしまう青年と一度はその毒にあたられながらも何とか人間性を取り戻そうと抗う青年である。そして彼らに翻弄される女たちだ。
この作品は構成が実に見事だ。最初に一人の女性を騙す手口が紹介され、次に宮部紀美子という成金の肉屋の娘を騙すエピソードが家族をからめて描かれる。と同時に金持ちの歯科医の女性とのエピソードも描かれ、須藤が金儲けという甘い罠にはまっていく様子が克明に描かれていく。
それに対して彼の相棒の森は須藤の妹に再会して自分がその罠にどんどん落ち込んで行っていたことに気づく。その対比がこの作品の最終的な意図であり、ふたりが取っ組み合いのけんかをするところでその対象は明確になる。だが、そのように明確になったところでそれ以上は踏み込まない。一方が他方を説得することも打ち負かすこともなく、ぶつかり合ったふたりはただ互いに跳ね返ってもとの道に戻るのだ。
この作品が描いているのは金儲けの甘い罠にはまった旧華族の学生を糾弾しようとか、その因果関係を明らかにすることで教訓にしようとかいうことではない。この作品が描いているのはあくまでも現状に過ぎない。須藤のような人間もいれば森のような人間もいる。光のあるところには闇があり、闇は人間を惹きつける。それは現代社会の必然であり、コインの裏表であると。そのような現実とどのように渡り合っていくかは個人の選択の問題であるとこの作品は言っているのだろう。
この作品のような“社会派”作品を撮った背景には成瀬が常に持つ現実社会に対する問題意識があるだろう。私は成瀬という監督は常に現実社会の観察者であると考えている。映画を見る語句普通の人々が生きる現実社会で何が起こっているのかをつぶさに観察し、それを映画にする。とにかくそれを続けてきた監督だと。敗戦直後の5年間という時代は大変な時代、社会は変わり、人々は貧しかった。その中で人間の意識も変わり、“金”が生活を支配するようにもなった。成瀬が“光クラブ事件”という学生金融業にまつわる事件と関わる作品を撮ったのもそのような社会背景があるからだろう。
そして、その社会傾向は敗戦後の5年が過ぎたあとでも変わることはなかった。だから、成瀬の戦後作品は常に“金”が付きまとう。社会がある程度豊かになって金そのものが問題になることは少なくなっても、あらゆる関係の背後に金が潜む、成瀬はそれを描き続けていたと思う。そしてこの『怒りの街』をはじめとする“社会派”作品群は成瀬が現実社会の観察者として一度は描かなければならないテーマだったのだと思う。