悦楽
2004/4/6
1965年,日本,96分
- 監督
- 大島渚
- 原作
- 山田風太郎
- 脚本
- 大島渚
- 撮影
- 高田昭
- 音楽
- 湯浅謙二
- 出演
- 中村賀津雄
- 加賀まりこ
- 野川由美子
- 清水宏子
- 樋口年子
- 八木昌子
脇坂は大学生のころ、家庭教師をしていた匠子の結婚式に出席した。脇坂は実は匠子の両親に、かつて小学生だった匠子に暴行を働いた男を殺すよう頼まれ、匠子への愛情からそれを実行していたのだった。そして、そのことが原因で脇坂は更なる面倒に巻き込まれるが、匠子への気持ちを抱えたままじっとこらえていた。しかしそれも匠子の結婚によって崩れていく…
教え子への恋心、それにまつわる殺人、そこから巻き込まれる横領事件と、物語の導入は非常に面白く、ぐっと映画に引き込まれる。大島渚は非常に脚本が巧みで、どの作品を見ても映画の序盤で、観客をぐっと映画に引き込む。この映画もそれが当てはまり、そうなるとその後の展開に期待がもてるというわけだが、それが今ひとつ盛り上がっていかない。サスペンスの部分は弱まり、タイトルでもある「悦楽」が物語の中心となっていくわけだが、しかし今ひとつ焦点が定まらない。一人目の野川由美子の辺りはいいのだが、次の清水宏子のパートは必要だろうか? 『好色一代男』のように女遍歴を描こうとするならば、逆にこのサペンフルな物語は不要だし、それがなくとも映画として成立するくらいに女優陣に力がほしい。逆にサスペンスとして作るなら、『悦楽』というタイトルとそれに引きずられたかのような間延びした情事は不要となる。
この映画は原作ものなので、若手の監督に過ぎなかった大島は、原作を無視できなかったということがあるのかもしれない。が、それは出来上がった映画とは無関係のこと。とにかくこの映画なんともテンポが悪い。一本の映画としてペース配分があいまいで、どこで盛り上がっていいのかよくわからない。
それでも物語の表層部分は大島渚らしい、ドロリとしたドラマになっている。何か喉にものがつっかえたようでありながら力強い、そんなドラマの雰囲気は持っている。しかし、映画の幹の部分にグッとおなかをえぐってくるような強さがない。中村賀津雄からは重苦しさが伝わってこないし、加賀まりこの「小悪魔的」と評される魅力も生かしきれていない。
どうして大胆に対象に切り込むことができなかったのか、大胆さを書いてしまったら「大島映画」は面白くない。
ただ、大島渚ということを忘れて、この時代のプログラム・ピクチュアのひとつと考えれば、それなりに楽しめる。『月曜日のユカ』と『乾いた花』を経て、主役急の女優となった加賀まりこと、まだデビューしたての野川由美子。加賀まりこが徹底的に偶像化されているのに対して、野川由美子はあくまでもありふれた女性として登場する。しかし、映画として魅力的なシーンを生み出すのは野川由美子のほうだ。この野川由美子が登場するパートでは60年代という時代の雰囲気を存分に味わうことができる。そして野川由美子は60年代を体現したかのようなモダン・ガールである。描かれる世界は、華やかな表の世界と常につながっている裏の世界であり、このころ繰り返し描かれる都市のモティーフがここでも持ち出され、大島渚なりの描き方がなされる。それは『青春残酷物語』の続きであるかのように、現代を生きる若者の生き様を描いたものだ。
さりげなく柳宗理のバタフライ・スツールなども登場し、このころの若者の生き方、理想の生活、理想のイメージ、そして現実、などが画面にあふれている。さらに言えば、その60年代のイメージはいますごく格好いいと考えられているものであるということも付け加えておこう。