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あにいもうと

2005/10/28
1953年,日本,86分

監督
成瀬巳喜男
原作
室生犀星
脚本
水木洋子
撮影
峰重義
音楽
斎藤一郎
出演
京マチ子
森雅之
久我美子
浦辺粂子
山本礼三郎
堀雄二
船越英二
潮万太郎
preview
 川べりに家を構える赤座家、昔は土地の名手だったが、今はしがない砂利やで、母親は小さな茶店をやっている。そこに帰ってきた東京で働く次女のサンは姉のモンが帰ってきていることを聞くが、そこにはよからぬ噂話が付いていた。家では兄のイノがモンに喧嘩を吹っかけ、モンを追っ払おうとする…
 室生犀星の原作を成瀬巳喜男が映画化。成瀬が大映で監督した2本のうちの1本(もう1本は『稲妻』)で、いつもの成瀬映画とは少し異なる役者陣が出演しているのが新鮮。
review

 すれっからしをやらせたら日本一、それが京マチ子である。日本が世界に誇るグラマー女優として、海外にも通用する女優という定評もあるが、その日本人離れしたグラマラスな体つきと大振りな顔の作りのおかげで、貞淑なお嬢さんを演じることは出来ない。一般的には京マチ子といえば『羅生門』『雨月物語』で、“妖艶”という言葉が当てはまるイメージなのだと思うが、私にとっては京マチ子といえば『赤線地帯』のミッキーであり、『黒蜥蜴』の緑川夫人であって、妖艶というよりももっと肉体的なイメージである。
 だから、この映画の京マチ子も私にはしっくり来るし、成瀬もそんな京マチ子を非常にうまく使っていると思う。京マチ子の役どころは男にほれて男のために尽くすのだけれど結局は男に捨てられ、その繰り返しによってどんどんすれっからしになって行ってしまう女である。これは成瀬の映画、大衆的な日常を描いた多くの映画にはなかなか登場しないキャラクターであるわけだが、しかし、これはその大衆的な日常に埋没した女たちのひとつの傾向を極大化したキャラクターであると見ることも出来る。
 例えば、夫婦三部作と呼ばれる成瀬の3つの作品(『めし』『夫婦』『妻』)では3人の女優が上原謙演じる情けない夫の妻を演じているが、その女たちはその情けない夫に振り回されながら、どうしても夫を捨てることが出来ず、不幸をかこつという共通するパターンが見える。これも結局は男に尽くしたのに裏切られるというパターンのひとつのバリエーションである。この『あにいもうと』で京マチ子が演じるモンは裏切られたときに次の男へと映り行くのに対して、夫婦三部作の妻たちはその裏切られた夫に再びすがりつくのだ。しかも、この『あにいもうと』と夫婦三部作が作られた時期は非常に近い。この昭和20年代の終わりという時期に、成瀬はそんな女のあり方について描写を深めて行っていたのだろう。

 いうまでもないことだが、成瀬巳喜男という映画監督は、あるひとつのテーマがあったらそれを徹底的に掘り下げて行く作家である。そして、その中でも生涯をかけて描き続けたのが“女の生き様”というテーマである。社会の変化の中で女性がどのように生きて行くのか、娘として、妻として、母として、それを成瀬は描き続けた。その流れの中にこの作品もある。ここで描かれているのは、家族という旧来の社会的制度の中における女性と、そこからはみ出した女性についてだろう。旧来の家族的関係が残っている田舎(と言ってもおそらく川崎あたりだが)から東京に出て、田舎には受け入れられない存在になってしまった女とその家族との関係、それを描くことで、成瀬は女性と家族の関係性の変化を考える。従来ならば、女性は嫁になることで家を出て夫の家に入るという単純な構図があった。しかし、都市化によってその構図は崩れ、様々な女性のあり方がありえるようになった。そのひとつがこの作品のモンのような一人で生きる女性というあり方であり、それは以前よりは社会的に受け入れられる存在になってきた。そして、もうひとつは核家族の妻/母というあり方であり、成瀬はそれを夫婦三部作で描いた。
 その流れの中でこの作品を観ると、この作品は少し中途半端だという感じもする。それは、この作品の中心がモンにあるのではなく、家族にあるからだ。しかし、それはそれでひとつの面白い見方をあらわしてもいる。モンは確かに自分の身ひとつで生きる自立した女であり、彼女のいうとおりそんなに“汚れた”女ではないのだろう。しかし彼女は男に頼らずにはいられないし、さらには家族にも頼らずにはいられない。彼女と家族をつなぐのは細い糸に過ぎないのだが、それでもやはり彼女は家族とつながっている必要があるのだ。社会の変化の中で家族という場が密接なつながりを持つ場から、細い糸同士が結び付けられる結び目のような場に変化する。
 この作品が描くのはそのような家族のあり方の変化であり、それでもそれには意味があること、新しい時代を生きる女性にとっても家族という場が必要であるということなのだ。

Database参照
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監督順: 
国別・年順: 日本50年代以前

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