ファーストフード・ネイション
2008/9/23
Fast Food Nation
2006年,アメリカ,108分
- 監督
- リチャード・リンクレイター
- 原作
- エリック・シュローサー
- 脚本
- リチャード・リンクレイター
- エリック・シュローサー
- 撮影
- リー・ダニエル
- 音楽
- フレンズ・オブ・ディーン・マルティネス
- 出演
- グレッグ・キニア
- カタリーナ・サンディノ・モレノ
- パトリシア・アークエット
- アシュレイ・ジョンソン
- イーサン・ホーク
- ポール・ダノ
- アヴリル・ラヴィーン
- ブルース・ウィリス
ハンバーガー・チェーン“ミッキーズ”のマーケティング部長ドンは社長にパテに牛糞が混入しているという疑惑の調査を命じられ、工場のあるコロラド州へと向かう。一方、メキシコから不法入国をしてきたシルヴィアたちもブローカーに連れられてその工場で働くことになる。ドンは清潔できちんと管理された工場に満足するが…
エリック・シュローサーのノンフィクション「ファストフードが世界を食いつくす」を『スクール・オブ・ロック』のリチャード・リンクレイターがフィクション化した社会派ドラマ。
社会問題に対して、ドキュメンタリー映画というのは概して告発的で、劇映画というのは概して説得的であると私は思う。ファーストフードという題材に関していえば『スーパーサイズ・ミー』というヒットしたドキュメンタリーがあって、それは自分の体でファーストフードの危険性を告発するという人体実験ドキュメンタリーだった。ファーストフードに関する劇映画というのはぱっとは思いつかないが、たとえばホロコーストを描いた作品でも、劇映画というのは観客の共感を誘い、観客を説得する作品が多い。
この作品はどうかといえば、どちらでもないと思う。ノンフィクションを原作にしたフィクションという出自がそうさせるのだと思うが、それが中途半端さを生んでしまっているという印象は否めない。しかし私はそれでいいのだと思う。
“ファーストフード”は私たちの生活にすでに深く入り込み、生活の一部になっている。ファーストフードは単に食べ物のあり方ではなく、生活スタイルでもあるし、社会のあり方でもある。それは生々しい現実から切りはなされた生活、見たくないものを見なくていい社会、商品化された製品にのみ価値がある社会である。牛を知らずに牛肉が食べられる社会、蛇口をひねれば飲み水が出てくる社会(私は最初のファーストフードは水道水なんじゃないかと思う)である。
この作品では最後に牛を屠殺し、それを肉にしていく過程が(私からするとかなり穏やかに)描かれているシーンがあるが、それを見て「気持ちが悪い」とか「残酷だ」と思ってしまうようでは、その人はすでに“ファーストフード化”されてしまっているのだ。動物や植物が、最後に手を加えれば食べられる状態で供されることになれきってしまい、それを元の生きている姿と結びつけることをしない。魚が切り身で泳いでいると思っている子供たちの将来を憂うが、実際に生きた魚を自分でさばくという機会はほとんどない。
それがいけないとは私は思わないが、“ファーストフード化”とはつまり他者への理解を放棄する姿勢のことであると私は思う。本来は人間という生き物にとっての他者である他の動物であったものが単なる“肉”と化してしまったとき、私たちは生きるために他者を犠牲にしているということを忘れてしまう。それは他者の痛みに鈍感になることであり、突き詰めれば同じ人間の中に存在する他者の痛みに鈍感にあることにも通じるのではないかと私は思う。
この作品の主人公の一人ドンは正直さと誠実さで調査を始めるが、その調査の過程で自分が売り、食べている肉と生きている牛をつなげて考えるようになる。そこが大事なのだ。はじめから工場に違和感を覚えるシルヴィアもそうだし、いろいろな知識を得て違和感を覚えるようになるアンバーもそうだ。
その感覚を覚えたからといって、必ずしもその感覚に正直に生きるようになるとは限らない。ファーストフード化した社会の中で生き残るには、その感覚から目をそむけることが必要なこともある。しかし、その非ファーストフード的な感覚を持つことだけでも大きな一歩になる。アンバーと彼の若い仲間達が若者らしい行動に出て失敗するのは、変化は一足飛びには進まないということの象徴かもしれない。
この作品はなんだか中途半端な印象だと思うが、それはこの社会がそれほど単純にはいかないからだ。この作品は告発的でも説得的でもない。しかし間違いなく主張はしている。徹底的にファーストフード化した大企業に支配された世界で、非ファーストフード的なことを語るというのは難しい。いろいろなことが言われて少しずついいやすく、受け入れやすくなって入るけれど、なかなか人々には届かない。
この作品には安易な部分もたくさんあるが、安易とも取れるわかりやすさなくしては目くらましされている人々には届かない。だからこの作品はこれでいいのだと思う。この作品で何かを感じたら、『いのちの食べ方』なんかを見てもっと知識を得て、それからワイズマンの『肉』を見て衝撃を受ければいい。それくらいの時間はまだ残されているはずだ。