クワイエットルームにようこそ
2008/4/11
2007年,日本,118分
- 監督
- 松尾スズキ
- 原作
- 松尾スズキ
- 脚本
- 松尾スズキ
- 撮影
- 岡林昭宏
- 音楽
- 門司肇
- 森敬
- 出演
- 内田有紀
- 宮藤官九郎
- 蒼井優
- りょう
- 平岩紙
- 馬渕英俚可
- 塚本晋也
- 徳井優
- 大竹しのぶ
- 妻武木聡
- 伊勢志摩(声)
雑誌のライターの佐倉明日香は、打ち合わせ中に恋人の鉄雄から「仏壇が送り返されてきた」というメールを受け取る。目を覚ますと彼女はベッドに拘束され、クワイエットルームと呼ばれる精神病院の隔離病棟にいた。状況が理解できない彼女に看護婦は睡眠薬を大量に摂取して運ばれてきたと告げる。
松尾スズキが自身の同名小説を映画化、思わぬ事態で精神病院に入ってしまった主人公と患者達が繰り広げるコメディ・ドラマ。
内田有紀演じる主人公の明日香は誤って睡眠薬を飲みすぎ、隔離病棟に入れられる。そのなにもない病室と身動きの取れない拘束は「なぜ?」という気持ちを強め、言いようのない恐怖心を演出する。『SAW』や『CUBE』じゃないけれど、閉じ込められるというのは人間によって非常に恐怖なのだ。
そこに宮藤官九郎演じる恋人の鉄雄がやってくる。明日香がどうしてこんなことになってしまったのかと問い詰めるような会話をしたあと、明日香は鉄雄に「お尻触らせて」といい、鉄雄が差し出したお尻を両手で触り「落ち着く」という。これはものすごくおかしいシーンであると同時に、なんだかほっとして、解放されるシーンでもある。自分の理解できない状況に出会ってしまった中で、安心できるものを手に入れる、それが恋人のお尻だからおかしいのであって、とにかく安心できるものに手を触れることで、明日香の恐怖は解放されるのだ。
そこまで結構緊迫感のあるシーンが続くのだけれど、明日香の着ている服が悪趣味でおかしかったり、時々笑わせるところがあってその緊迫感もなんだかおかしい。
明日香がクワイエットルームを出ると、物語も落ち着き、緊迫感もなくなって、コメディらしくなっていく。このあたりは精神病患者をネタにするということで、難しい部分もあるかもしれないが、そこは松尾スズキ、その笑いには愛のようなものが込められていて見ていていやな感じはしない。
松尾スズキも、宮藤官九郎も、荒川良々も、大人計画の面々はどうも異形のものにたいする愛を感じさせる作品を作ったり、そのような作品に出たりすることが多い。特に思ったのは荒川良々が主演した『全然大丈夫』だが、この作品しかり、松尾スズキの『恋の門』しかり、宮藤官九郎の『真夜中の弥次さん喜多さん』しかりである。そしてそれが魅力的なのだ。
その異形への愛というのは、異形というものに込められた半端なものたちへの愛だろう。そして精神病院というのはそんな半端な人たちが集まる場所、半端なというのと病的な、そして異形のというものが緩やかにつながっている場所である。そこに集う人々はどこかおかしいのだろうけれど、そのおかしさというのがどのくらいのものなのか、彼らのおかしさは“普通”とどのくらい違うのか。りょう演じる江口と患者の境はどこにあるのか。平岩紙演じる山岸は看護をすることで自分が患者の側に落ち込むのを防いでいるのではないか。
そして物語が終盤に差し掛かると、映画はシリアスな方向へと進む。明日香、蒼井優演じるミキ、普通に見える彼女たちが抱える瑕、自分でも気づかない心の奥底に閉じ込められたひずみ、それは誰もが抱えているかもしれないひずみである。それがどのように表に出るかはわからない。それが極端な形で出ることで治癒する機会を得た彼女達は実は幸せなのかもしれない。それを押し殺し続け、自分が苦しんでいることにも気づかないまま苦しい人生を送る人々、そんな人々がいることをこの映画はそっと告げる。
そのシリアスな部分の描写には大竹しのぶがベテランの力を発揮している。自分で対処しきれないひずみや苦しみをすべて外へ向ける彼女は、周囲の人たちの心に眠る病を抉り出す。それを大竹しのぶは見事に演じている。最後には彼女が憎くてしょうがなくなるのだが、それでいいのだ、その悪役のおかげでこの物語は焦点が明らかになる。そのあたりの心理描写は『カッコーの巣の上で』や『17歳のカルテ』といった精神病院を描いた名作に劣らない。
そして、ただそれだけではなく最後まで笑いも忘れない。やはり松尾スズキは稀有な才能なのだ。世間では何故か宮藤官九郎のほうが人気だが、深さという点では松尾スズキに軍配が上がる。なかなか気難しいというか、どこか変質狂的なところがありそうだから、なかなか一般受けはしないのかもしれないが、やはり凄い。