1966年,日本,86分
監督:増村保造
原作:谷崎潤一郎
脚本:新藤兼人
撮影:宮川一夫
音楽:鏑木創
出演:若尾文子、長谷川明男、山本学、佐藤慶、須賀不二男
何者かに薬をかがされ、背中に刺青を彫られる女。その女は裕福な質屋の娘おセツ。おセツはある夜、手代の新助と駆け落ちをした。とりあえずかくまってくれるといっていた船宿の権次のところで蜜月を過ごすが、そんなおセツに彫師の清吉が目をつけていたのだ。
谷崎潤一郎原作、新藤兼人脚本、増村保造監督、若尾文子主演という『卍』と同じメンバーに名カメラマン宮川一夫を加えて撮られた、映画史上に残る名作。
男を翻弄する女という増村が好むテーマにぴたりとはまる谷崎の「刺青」。なぜこれまで映画化しなかったのかという原作をやはり見事に映画化した増村だが、この作品の成功はやはり宮川一夫にかかっていたのかもしれない。ややもすれば安っぽいやくざ映画になってしまいそうな題材を見事に芸術の域に高めているのはその映像の美しさだろう。もちろん若尾文子の演技も素晴らしいけれど、人間の肌がこれだけ美しく撮られている映画は見たことがない。本当に這っているように見える女郎蜘蛛の刺青が描かれた背中は吹き替えが多いらしいが、それは美しいものだった。
ということで、映像はさておき、この映画でもやはり狂気が登場する。ここでの狂気は若尾文子に言い寄る男全員ということもできる。妻になるという口約束を信じて妻を殺してしまう権次はその典型だ。しかし、もっとも深く「狂気」に犯されているのは新助だろう。おセツを殺そうとする瞬間、新助は「狂気」との境界を踏み越えようとしていた。そして清吉。おセツの肌に女郎蜘蛛を彫って以後狂気に犯されたようにさ迷い歩く清吉は、しかし、最後に女郎蜘蛛をさす殺すことで正気の域に踏みとどまったのか、それともあるいは、それこそが狂気への決定的な一歩だったのか? 見終わった直後はそれは彼が正気にとどまったということだと感じたのだけれど、今考えると、あれが決定的な一歩であったのだとも感じる。
とにかく「狂気」が付き纏う増村の映画。狂気への決定的な一歩を踏み出すまいとふんばっている人々の映画である。
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