人情紙風船

1937年,日本,86分
監督:山中貞雄
原作:河竹黙阿弥
脚本:三村伸太郎
撮影:三村明
音楽:太田忠
出演:中村翫右衛門[3代目]、河原崎長十郎[4代目]、助高屋助蔵、市川笑太郎、市川莚司(加東大介)

 とある長屋で首くくりがあった。長屋の人たちは大騒ぎするが、向かいに住む髪結いの新三は気づかず寝ていた。奉行所で取調べを受けたあと、新三は大家にみんなで通夜をしてやろうと提案し、けちな大家から5升の酒を出させる。皆が酒を飲みながら大騒ぎする中、新三の隣に住む浪人ものの海野だけは内職で紙風船を作る奥さんと二人で過ごしていた…
 28歳で夭逝し、監督作品はわずか3本しか現存していない天才監督山中貞雄の監督作品のひとつで、この作品は遺作に当たる。実際は20本以上の作品を監督したといわれ、その20本の映画は日本映画界が失った最も貴重な財産のひとつであるといえる。

 この監督の演出のさりげなさをみると、小津安二郎が魅了されたというのもうなずける。映像はよどみなく流れ、人物像もシンプル、この映画では髪結いの新三というのがとてもいいキャラクターで男でもほれそうな感じ。だからといって新三がひとり主人公として立っているわけではなく、新三と海野のふたりがともに主人公となる。そのもうひとりの主人公である海野はたたずまいがとてもいい。映画が作り出したキャラクターというよりは、この河原崎長十郎という人のキャラクターがいいのでしょう。この人は川口松太郎が脚色し、溝口が演出した『宮本武蔵』(1944)で武蔵をやっているそうなので、このキャラクターで武蔵をどうやったのか興味を惹かれます。
 山中貞雄の話に戻りますが、画面の印象としてはロングめの映像が多い感じがしました。長屋でも事件が起こるのは長屋の一番奥にある部屋で、それを長屋の手前から撮っている。そのようにして奥行きをつくるということを意識的に行っている気がします。このやり方が面白いのは、人の興味を奥にひきつけておいて、手前でいろいろなことをできるということでしょう。人がフレームインしてきたり、フレームアウトしたり、それを見るとうまいなぁと感心してしまいます。
 『丹下左膳余話』のときも思ったのですが、この監督の作品はどうも文字で表現しにくいようです。文字で表現してしまうとちっとも面白さが伝わらない。「さりげなさ」とか「粋」とかいう言葉を使って表現するしかない。
 とにかく登場人物が魅力的で、さりげなく粋な画面を作っている。ということです。物語のほうも甘くなりすぎず、しかし人情味にあふれていて、現実的でありながら、突き放す感じではない。というところです。
 見る機会があったらぜひ見てほしい一作であることは確かです。ビデオやDVD化も待たれますが、やはりこの画は大きい画面で見たほうが堪能できるような気がします。

助太刀屋助六

2001年,日本,88分
監督:岡本喜八
原作:生田大作
脚本:岡本喜八
撮影:加藤雄大
音楽:山下洋輔
出演:真田広之、鈴木京香、村田雄浩、岸田今日子

 助六はひょんなことから仇討ちの助っ人をしたのがきっかけで勝手に助太刀屋助六と名乗るようになった。なんといっても武士が自分に頭を下げ、ついでにお礼までもらえるというのが魅力だった。ヤクザモノと気取りながら刀を抜くのは大嫌い。そんな助六が15両の大金を手にして、7年ぶりに故郷に帰った。しかし、村はひっそりと静まり返っていた。
 御年78歳、岡本喜八6年ぶりの新作。全体に軽いタッチの仕上がりで、『ジャズ大名』以来のコンビとなった山下洋輔の音楽がよい。

 音楽の使い方がよい。こんな完全な時代劇を、何の工夫もせずに今劇場でかけるのはなかなか難しい。何か現代的な工夫を凝らさなくてはいけない、と思う。その工夫がこの映画では音楽で、ジャズのインストに笛(尺八かな?)の音などを絡ませながら、うまく映画の中に配する。これが映画のコミカルさ、盛り上がりに大きな助けになっています。音楽を担当するのはジャズ・ピアノの名手山下洋輔。『ジャズ大名』でも岡本喜八作品の音楽を担当したが、『ジャズ大名』がストレートにジャズをテーマとした作品だったのに対して、こちらは単純な時代劇、そこに和楽器を絡ませたジャズを入れるというなかなか難しいことをうまくこなした。
 そのほかの部分はそつがないという印象です。特に奇をてらった演出もせず、ドラマの展開も予想がつく範囲で、登場人物もコンパクトにまとめ、そもそも物語が一日の出来事であるというところからして、全体的にコンパクトな映画だということがわかります。そつがない、コンパクトということは無駄な部分がないということでもある。つまりストーリーがもたもたしたり、余計な挿話があったりしないということですね。それはつまり編集がうまいということ。やはり経験によって身につけた技なのか、見事であります。
 あとは、岸田今日子がいい味かな、と思います。ナレーションが始まった時点でも「おおっ」と思ったのですが、その後しっかり出演してさらに「おおっ」。あまり岸田今日子らしい味は出しませんが、因業婆らしさを見事にかもし出しています。最後には立ち回りでもさせるのかと期待しましたが、それはやらせませんでした。そのあたりは残念。たすきがけに、薙刀でもも持って後ろからばっさりなんていうシーンを想像して一人でほくそえんでいました。

おぼろ駕籠

1951年,日本,93分
監督:伊藤大輔
原作:大仏二郎
脚本:依田義賢
撮影:石本秀雄
音楽:鈴木静一
出演:阪東妻三郎、田中絹代、月形龍之介、山田五十鈴、佐田啓二

 江戸時代、権勢をほしいままにし、その権力は将軍をも上回るといわれた沼田家。その下には全国各地から贈り物と請願が届き、その贈り物いかんでどうにでもなる世の中。そんな時代、沼田家に対抗する家臣の家に推され将軍の中藹になろうかというお勝が殺された。そんな話が生臭坊主夢覚和尚の耳にも届く。阪妻演じる和尚が活躍する推理時代劇。
 若い阪妻もいいけれど、わたしはむしろ年を重ねて十分に味が出てきた阪妻が好き。50歳にしてこの色気を出し、同時に笑わせることもできる芸達者振りが今阪妻を振り返って魅力的なところ。

 阪妻はもちろんいいです。たしか『狐の呉れた赤ん坊』でも描いたと思いますが、スタートは思えないほどコミカルに動く顔の表情が最高。立ち回りも、坊主であることによってコミカルなものにはやがわり。若かりしころの緊迫感漂う、颯爽とした立ち回りもいいですが、コミカルに立ち回りができるというのは得がたき才能なのでしょう。
 立ち回りといえば、この映画で印象的だったのは橋の上での立ち回り。多勢に無勢、多数の軍勢を阪妻一人で受けて立つわけですが、それを橋の上に展開させる監督の(あるいは脚本の)周到さ、いかに剣豪ばりの刀捌きを見せる和尚であっても(そして阪妻であっても)、何もない平原で多勢に無勢じゃ歯がたたない。多勢に対抗するときには細いところで一度に相手にする敵の数を減らす。これは戦いの基本であるようです。そのあたりをきっちり守るところがなかなかよい。そういえば、準之助を逃がす場面の立ち回りも一方が塀、一方が堀の細い道でした。
 映画の作りのほうの話をすれば、監督は巨匠の、そして阪妻と数多くの作品で組んでいる伊藤大輔。さすがに見事な画面構成といわざるを得ません。何度か使われる手持ちカメラでのトラックアップ、たまに出てくることで、そのシーンの緊迫感が増す。使いすぎるとうるさくなる。しかし、他のシーンからあまりに浮いていても映画にまとまりがなくなる、そのあたりのバランスをうまく取って、抜群の効果を挙げています。
 そう、監督の演出も手法もさすがという感じですが、まあ伊藤大輔ならこれくらいやってくれるさと(生意気にも)思うくらいのものです。それよりもやはり阪妻の顔。それは面白いだけではなく、その場面場面でセリフ以上のことを語る顔。伊藤大輔はさすがにそれを知ってズームアップを多く使う。そして顔から伝わる物語。そういえば、阪妻最初の登場は坊主の笠で顔を隠し、隠したままで1シーン、2シーンと進んでいました。その登場の仕方からしても、監督は阪妻の顔の魅力を十全に知っていたということでしょう。ついでに、終盤は田中絹代と、山田五十鈴の顔がクロースアップされます。阪妻には負けますが、彼女たちも女優魂をかけてかどうかはわかりませんが、懸命に顔で演技をする。
 いい顔がじっくり見れます。