ビートニク

The Source
1999年,アメリカ,88分
監督:チャック・ワークマン
脚本:チャック・ワークマン
撮影:アンドリュー・ディンテンファス、トム・ハーウィッツ
音楽:デヴィッド・アムラム、フィリップ・グラス
出演:ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズ、ジョニー・デップ、デニス・ホッパー

 1950年代に現れ、アメリカの新しい若者文化を生み出したビート族(ビートニク)。その元祖とも言えるジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズの3人を中心に、彼ら自身が登場する映像、インタニューなどのフィルムに加えて、彼らの知己たちへのインタビュー、ジョニー・デップらによるポエトリー・リーディングを使ってその全貌を明らかにしようとするドキュメンタリー。
 ビートニクのファンの人たちにとってはとても魅力的な作品。ビートニクを知らない人たちにとっては勉強になる。

 つくりとしてはものすごく普通のドキュメンタリーなわけです。残っている映像を収集して、それをまとめてひとつの作品にする。作品として足りない部分はインタビューやポエトリー・リーディングによって補う。「知ってるつもり」の豪華版のようなものですね。
 なので、ビートニクとはなんぞやということを知らない人にとっては一種の教養番組というか、新しい知識を映像という形で取り入れる機会になるわけです。しかも、本人が出てきたり、具体的な作品も使われているのでわかりやすい。ケルアックの『路上』ぐらいは読んでもいいかなという気になるわけです。
 一方、ビートニクが好きな人、日本でも結構はやっていますので、そういう人も多いと思うわけですが、そういう人たちにとっては本人が登場するということでなかなか見ごたえがある。コートニー・ラブが出ていた『バロウズの妻』とか、バロウズ原作の『裸のランチ』とかいった映画は結構あるんですが、本人が出ているものといえば、『バロウズ』という映画があったくらい。なので、これだけ本人の映像が満載というのは、特にケルアックのものは、ファンにはたまらないという気がします。
 という映画であるのですが、そのどちらでもない人、ビートニクは知っているけど、別にそれほど好きではない、という人にはなかなか入り込めないかもしれない。物語の展開が工夫されているわけでもないので、なかなか興味を継続しにくいというのもあります。詩のいっぺんとか、ひとつの発言なんかがうまく引っかかってくれればいいのですが、そうではないと、出てくる人たちも名前を出されても誰だかよくわからないし、言っていることもよくわからないということになってしまう。大体の人はここにはまりそうな気がします。

ブレイブ

The Brave
1997年,アメリカ,123分
監督:ジョニー・デップ
原作:グレゴリー・マクドナルド
脚本:ポール・マッカドン、ジョニー・デップ、D.P.デップ
撮影:ヴィルコ・フィラチ
音楽:イギー・ポップ
出演:ジョニー・デップ、エルピディア・カリーロ、マーシャル・ベル、フレデリック・フォレスト、マーロン・ブランド、イギー・ポップ

 家族のために仕事を探していたネイティブの男がバーで知り合った男に紹介された仕事はスナッフ・ムービー(実際に人を殺す映画)への出演だった。家族のために彼は出演を決意し、最後に与えられた一週間を過ごしに家に帰るのだが…
 ジョニー・デップの監督・脚本作はネイティブへの差別を描いた社会派ヒューマンドラマ。アメリカに根強く残る差別構造を描いているのだが、果たしてうまく描ききれているのか?
 マーロン・ブランドが特別出演、『クライ・ベイビー』で競演したイギー・ポップが音楽を担当、カメラは『アリゾナ・ドリーム』のヴィルコ・フィラチと周りはしっかりと固められている。

 ネイティブを描こうとしている割にはネイティブの登場人物が少ない。メディスンマンっぽい爺さんが出てくる以外は、アフリカ系神父が出てきて、ルイスというヒスパニック系のチンピラが出てくるくらい。社会の最下層の間に区別はないとでもいおうとしているのか?そのわりにはネイティブのスピリチュアルな儀式をやって見たり、どうにもまとまりが悪い。狙いがわかりにくい。
 スナッフ・ムーヴィーという発想はなかなか面白いのに、それがあまり活かされていないような気もする。
 遊園地でカメラをパンしてゆくとジョニー・デップが次々違う乗り物に乗っているところや、水に潜って次のシーンでは岸に座っているところなど工夫しようという意思は感じられるが、果たしてそれに効果があるのかというと、それは疑問。簡潔な感想で言ってしまえば、俳優に専念しなよ!という感じでした。
 多用されている「間」も、やはりジャームッシュやクストリッツァの「間」とは明らかに違う退屈な「間」になってしまっている。しかし、この「間」はもしかしたら面白くなる要素なのかもしれないと思いました。このリズムになじめば、映像がすっと心に染み込んでくるような、そんな「間」。それを少し感じたのはラリーの隠れ家の場面、入り口から上にカメラが移動していく「間」。これはなかなか難しいところ。
 ええ、さすがに俳優としてのジョニー・デップはなかなかよかった。ちょっとネイティブという設定は無理があったとしても、歩き方とか背中がいいね。ジョニー・デップは。Database参照

ノイズ

The Astronaut’s Wife
1999年,アメリカ,109分
監督:ランド・ラヴィッチ
脚本:ランド・ラヴィッチ
撮影:アレン・ダヴィオー
音楽:ジョージ・S・クリントン
出演:ジョニー・デップ、シャーリーズ・セロン、ニック・カサヴェテス、ジョー・モートン、クレア・デュバル

 宇宙飛行士のスペンサーとアレックスが船外作業をしている間に2分間地上との交信が途絶えた。しかし彼らは無事救出され、地上へと戻ってくる。スペンサーは検査の結果異常なく、アレックスも一度は危篤になるが一命をとり止めた。しかし、宇宙での2分間のことを語らない夫たちにスペンサーの妻ジリアンとアレックスの妻ナタリーは不信感を覚え始める。
 これが初監督となるランド・ラヴィッチがE.T.などのスピルバーグ作品で知られるカメラマン、アレン・ダヴィオーを招いて撮ったSFスリラー。恐怖感をあおる映像は見事だが、ストーリー展開にしまりがなく、なんとなくすっきりとしない映画になってしまった。  

 どうにもこうにも、展開にしまりがない。決定的な転換点がないまま話は進みなんとなく正体がばれて、なんとなく話が終わってゆく。ハッピーエンドではないというのはハリウッド映画としては珍しいが、この終わり方だったらハッピーエンドのほうがよかったかもしれない。(でも、この設定だとハッピーエンドは無理か)
 という、なんだか見終わった後すっきりとしない映画を見ながら思ったのは、恐怖心をあおる映像工夫がなかなか言いということ。スローモーションは最近あまりに多用されていて、少々食傷だが、ジリアンとリースがおもちゃ屋で向き合う時の視点を回転させながらの切り返しとか、何度か出てきたジョニー・デップを下からのアングルからとらえたショットとか、かなり心拍数を上げる演出が出来ていたなと思って、スタッフを見ていたら撮影がアレン・ダヴィオー。聞いたことあるぞ、と思って調べたら、E.T.の人だったという感じです。
 アレン・ダヴォーは他に『カラー・パープル』『太陽の帝国』『わが心のボルチモア』『ハリーとヘンダソン一家』『バグジー』などを撮っています。『ハリーとヘンダソン一家』はなかなか面白かった。

ロックド・アウト(21ジャンプ・ストリート)

21 Jump Street
1987~92年,アメリカ,92分
監督:ジョージ・モンテシ、ジェームズ・ホイットモア・Jr
脚本:グレン・モーガン、ジェームズ・ウォン、ジョナサン・レムキン
撮影:デヴィッド・ゲッツ
音楽:ピーター・バーンスタイン
出演:ジョニー・デップ、ホリー・ロビンソン、ピーター・デルイーズ、ダスティン・ヌエン、スティーヴン・ウィリアムズ、ブリジット・フォンダ、ブラッド・ピット

 おとり捜査に命をかける若き刑事たちを描いたTVシリーズ。ジョニー・デップをスターにした作品で、アメリカでは5年間続いた。「ロックド・アウト」というビデオには2話を収録。以前は「ハイスクール・コップ」というタイトルでビデオ発売されていた。現在、DVDで4タイトル出ている。(タイトルは「21ジャンプ・ストリート」)
 第1話はブリジット・フォンダがゲスト出演。路上生活する家出少年たちのリーダー格の少年の行方不明事件を追及する。ジョニー・デップはほとんど出てこない。
 第2話はブラッド・ピットがゲスト出演。連続空き巣事件の調査のため高校に潜入した刑事たちは生徒の自殺事件に遭遇する。「自殺」を巡ってさまざまな考え方が語られ、アクションとは離れたドラマになっている。 

 ジョニー・デップがスターになったということ以外さしたるトピックもないドラマ。おそらく各回違う監督で、ゲストを呼ぶというアメリカではオーソドックスなスタイルなのだろう。第1話は設定などがよくわからなかいまま見たものの、話立てがなかなか面白かったが、第2話はかなりきつい。ブラッド・ピットの熱狂的なファンなら話のために見てもいいかもと言うくらい。
 しかし、個人的にはアメリカのこういったテレビシリーズは大好きなので、テレビで放送されたら見てしまうかも。(苦笑)

スリーピー・ホロー

Sleepy Hollow
1999年,アメリカ,98分
監督:ティム・バートン
原作:ワシントン・アーヴィング
脚本:アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー
撮影:エマニュエル・ルベッキ
音楽:ダニー・エルフマン
出演:ジョニー・デップ、クリスティナ・リッチ、ミランダ・リチャードソン、マイケル・ガンボン、キャスパー・ヴァン・ディーン、クリストファー・ウォーケン

 1799年、ニューヨーク。捜査官のイガボット・クレーンは自白の強要ばかりに頼る上司にたてつき、市長に郊外の町スリーピー・ホロー行きを命じられる。その町では3人の人間がたてつづけに首を切り落とされるという連続殺人事件が起こっていたのだ。そしてスリーピー・ホローには南北戦争で数多くの人々を惨殺した「首無し騎士」の幽霊が出るという伝説があったのだ。
 「シザー・ハンズ」「エド・ウッド」に続き3度目のコンビを組んだティム・バートンとジョニー・デップ。ジョニー・デップはバートンの幻想的な世界に本当によく映える。この作品は特に映像面でのティム・バートンの魅力が十全に発揮された作品。ストーリーもなかなか練られていてサスペンスとしても上出来。

 何はともあれ映像がきれい。特に色の使い方が素晴らしい。ティム・バートンといえば、とにかく原色をごたごたと入れ込んでごちゃごちゃした独自の色彩世界を作り出すというイメージがあったけれど、この作品ではモノトーンを非常にうまく使い、いつも通りの極彩色を控えめにして素晴らしい効果があがっている。大まかに言って、風景やロングショットでは色が少なめ、しかも単なるモノトーンでもなく、トーンを落としただけでもない不思議な色合い。セピアがかった画面にほのかに色がかかっている感じ。ロングで撮った森とか、人の顔の淡い色が非常に印象的だった。 それともちろん、リアルな首きり。これだけすっぱりと見事に首を切れる監督はティム・バートンしかいないでしょう。スパッとなスパッと。切り口も見事な出来映え。やはり特殊効果ってのはこういう細部に地味に使わないとね。どでかいCG使って、現実にないものを見せるよりも、現実にあるけど実際に映すのは難しいものをリアルに造る。ここのところをわかっているティム・バートンはやはりB級映画の巨匠。

クライ・ベイビー

Cry Baby
1990年,アメリカ,86分
監督:ジョン・ウォーターズ
脚本:ジョン・ウォーターズ
撮影:デヴィッド・インスレー
音楽:パトリック・ウィリアムズ
出演:ジョニー・デップ、エイミー・ロケイン、スーザン・ティレル、イギー・ポップ、トレイシー・ローズ、ウィレム・デフォー

 50年代アメリカ、クライ・ベイビーと仲間たちは札付きのワル。そんなクライ・ベイビーに恋をするお嬢様のアリソン。クライ・ベイビーも彼女のことが気に入って、しかし堅物の親や坊ちゃんたちの邪魔が入り…
 50年代のティーンズ映画そのままのストーリーの映画だが、そこはジョン・ウォーターズ。当たり前に撮るはずがない。というよりは、まったくそんな映画にはしない。すべてを壊し壊してゆく、バカっぽい・安っぽい・ウソっぽい、そんな本当にサイテーな映画(「最低」ではない)。
 こういう映画は見てまったくつまらないと思う人もかなりいるでしょう。だから万人に薦めるわけではないですが、かなりいいと思います。

 ジョン・ウォーターズといえば、『ピンク・フラミンゴ』とか、『ヘア・スプレー』とか、最近では『シリアル・ママ』とか、とにかくぶっ飛んだ作品を撮る監督ですが、この作品は意外とまともに見える。
 しかしもちろん、いきなり出てくるハシェットの異形を見ればこれが間違いなくジョン・ウォーターズの映画であることはわかるし、ある意味安心するというわけ。しかし、一応忠実に50年代のスタイルを守って映画を組み立てて行き、安っぽいジェームス・ディーンみたいなジョニー・デップがしっかりと不良のスターを演じてしまう。しかし、よく考えれば(ちょっと考えても)50年代映画にクライ・ベイビーのおばあさんみたいなキャラクターが許されるはずはないし、あんなにわらわらと黒人は出てこないし、3Dメガネももちろんない。こんな映画はパロディとすらいえない、間違い探しのような映画。しかもその間違い探しは、ひどく簡単。
 そしてすべてが安っぽく、造りも適当。最後のアリソンが飛ぶシーンなんかはあの明らかな人形さ加減があまりにチープで感動すら覚えてしまう。
 ここまで説明しても、わからない人にはまったくわからない。これを面白いという気持ちがこれっぽっちも理解できない。ということになるのでしょうが。それはそれでいいんです。だからこそカルト。みんながいいといってしまってはカルト映画ではなくなってしまう。決してカルト映画がわかる人が映画を理解できる人ではないので、「これが理解できなきゃ、映画好きとはいえないんだ」などとは思わないように。(思わないか)