地獄の警備員

1992年,日本,97分
監督:黒沢清
脚本:富岡邦彦、黒沢清
撮影:根岸憲一
音楽:船越みどり、岸野雄一
出演:久野真紀子、松重豊、長谷川初範、諏訪太郎、大杉漣

 タクシーで渋滞に巻き込まれる女性、彼女は一流企業曙商事に新しくできた12課に配属された新人社員。同じ日、警備室にも新しい警備員が雇われる。ラジオでは元力士の殺人犯が精神鑑定により無罪となったというニュースが意味深に流れる…
 ホラーの名手黒沢清の一般映画監督第2作。日常空間がホラーの場に突然変わるという黒沢清のスタイルはすでに確立されている。怖いことはもちろんだが、映画マニアの心をくすぐるネタもたくさん。いまや名脇役となってしまった松重豊のデビュー作でもある。

 この映画にはいくつか逸話じみた話があって、その代表的なものは、大杉連が殴られて倒れるシーンは、日本映画で初めて殴られ、気絶する人が痙攣するシーンだという話です。実際のところ、人は痙攣するのかどうかはわかりませんが、普通の映画では殴られた人はばっさりと倒れて、そのままぴくりともしない。この映画では倒れた人がかなりしつこく痙攣します。アメリカのホラー映画なんかでは良く見るシーンですが、確かに日本映画ではあまり見ない。
 わたしはあまりホラー映画を見ていないのでわからないのですが、有名なホラー映画のパロディというか翻案が多数織り込まれているという話もあります。

 まあ、そんなマニアじみた話はよくて、結局のところこの映画が怖いかどうかが問題になってくる。一つのポイントとしては、最初から富士丸が怖い殺人犯であるということが暗示されているというより明示されている。というのがかなり重要ですね。誰が犯人かわからなくて、いつどこから襲ってくるかわからないという怖さではなくて、「くるぞ、くるぞ、、、、来たー!!」という恐怖の作り方。それは安心して怖がれる(よくわかりませんが)怖さだということです。 そんな怖さを盛り上げるのは音楽で、この映画では「くるぞ、くるぞ、、、、」というところにきれいに音楽を使っている、小さい音から徐々に音が大きくなっていって「くるぞ、くるぞ、、、」気分が盛り上がるようにできている。このあたりはオーソドックスなホラーの手法に沿っているわけです。だからわかりやすく怖い。
 しかし、(多分)一か所だけ、その音楽がなく、突然襲われる場面があります。どこだかはネタばれになるのでいいませんが、見た人で気付かなかった人は見方が甘いので、もう一度見ましょう。
 そういう場面があるということは、そういう音による怖さの演出に非常に意識的だということをあらわしていて、それだけ恐怖ということを真面目に考えているということ。もちろん、考えていないと、これだけたくさんホラー映画をとることはないわけですが、こういうのを見ていると、恐怖を作り出すというのは、本当に難しいことなんだと感じます。

 ホラー映画が好きでなくても、映画ファンならホラー映画を見なければなりません。ホラーというのは新たな手法を次々と生み出しているジャンルで、そこには映画的工夫があふれている。ホラーではそれが恐怖という目的に修練されていて、その工夫の部分がなかなか見えてこないけれど、実は工夫が目につくような映画よりも新しいこと、すごいことをやっている。
 だから、たまにはホラー映画も見ましょうね。

降霊

1999年,日本,97分
監督:黒沢清
原作:マーク・マクシェーン
脚本:黒沢清、大石哲也
撮影:柴主高秀
音楽:ゲイリー芦屋
出演:役所広司、風吹ジュン、石田ひかり、きたろう、岸部一徳、哀川翔、大杉漣、草なぎ剛

 心理学の研究室の大学院生早坂は霊的な減少に興味を持ち、霊能力を持つという純子を実験に呼ぶ。しかし、教授は早坂の考えに理解を示すものの、実験には反対し、実験は中止となった。そんな純子の夫克彦は効果音を作成する技師で、ある日音を取りに富士山のふもとへ向かった。そこには誘拐された少女が犯人とともに来ていた…
 現代日本ホラーの代表的な監督の一人黒沢清が手がけたTV用のホラー映画。黒沢映画常連の役所広司を主演に起用し、質の高い物を作った。

 霊的なものを扱ったホラー映画の怖さはやはり、いつどこに出てくるかわからないというところ。それは、たとえば連続殺人犯も同じことで、ホラー映画の基本とも言える恐怖感。この映画はその怖さを非常にうまく出している。カメラがいったんパンして戻っていくと、誰もいなかったところに人影があったりする効果。その怖がらせ方がとてもうまい。
 それはホラー映画としては普通の部分だけれど、この映画に独特なのは、その霊がなぜ怖いのかよくわからないところ。よく考えてみると、普段語られる霊というのはあまり実害は及ぼさず、何が怖いのかといえば、その存在自体ということになる。この映画に登場するのもそんな存在自体に人々が恐れてしまうような霊。その具体的ではない恐怖の演出の仕方というのもうまい。そして存在自体が怖いということの、その怖さの下はどこにあるのかと考える。そう考えていくと…
 といっても、具体的な恐怖がないので、いわゆるホラー映画のような怖さではない。脇役で登場する豪華なキャストたちのキャラクターもあって、どこかおかしさもある怖さ。そのあたりのバランスの取り方もうまいです。

カリスマ

2000年,日本,103分
監督:黒沢清
脚本:黒沢清
撮影:林淳一郎
音楽:ゲイリー芦屋
出演:役所広司、池内博之、大杉漣、洞口依子、風吹ジュン

 刑事の藪池は廃墟のような警察署のソファーで毎日のように寝ている。ある日、人質に拳銃を突きつけて立てこもる犯人からのメッセージを受け取り戻ろうとした藪池の背後で銃声が聞こえ、人質は撃ち殺され、突入した警察官によって犯人も殺された。その直後休暇を取った藪池は「どこでもいい」といって人里はなれた森の中で一人車を降りた…
 全体的に荒廃したような印象のある日本のどこかでくたびれた刑事が経験する一本の気を巡る不思議な出来事。理由もわからない恐怖感が全体を覆うある種のサスペンス。

 「無言の人間の怖さ」というものがあるけれどこの映画は全体がそんな怖さに満ちている。誰もが多くを語ろうとはせず、真実を語ろうともしていない。それを最も象徴的に表しているのは大杉漣率いるトラック部隊の謎の隊員達だろう。彼らの怖さがこの映画の怖さであるのだ。
 黒沢清は「すべての映画はホラー映画だ」というほど「怖さ」というものを追及する監督であり、この映画もその一つと考えれば非常に納得はいく。全体の構成が謎解きであるような形をとりながら、結局何も謎は解かれず、恐怖と謎が残ったまま終わるのも、一つの怖さの演出だろう。
 惜しむらくは、なんといってもCGの拙さだろうか。普通の映画に効果的にCGを使うという手法ははやっているし、時には非常に面白いが、この映画で使われるCGは少し安っぽく、あらが見えてしまってよくなかった。

大いなる幻影

1999年,日本,95分
監督:黒沢清
脚本:黒沢清
撮影:柴主高秀
音楽:相馬大
出演:武田真治、唯野未歩子、安井豊、松本正道

 舞台は2005年、場所はおそらく東京近郊。恋人同士であるハルとミチ。ハルは音楽を作っているらしく、ミチは郵便局のようなところで働いている。すべてが無機質で暴力があたりまえのように行われている世界。しかし血なまぐさいわけではない世界。
 脈略のない、しかし断片では決してない物語と、ロングショットの映像。ある意味では新たな映像世界を切り開いたと言えるのだろうけれど、なかなか消化しきれない作品。

 大体言いたいことはわかる。でも面白くないんだこの映画は。しばらく時間を置いたらまた見たくなるような気もするけれど、いわゆる「面白い」映画ではないし、芸術的あるいは哲学的な映画でもない。だからと言って見たのが時間の無駄だったという種類の映画ではなくて、あとからじんわり「ん?」「んん?」という感じでボワボワしたものが頭の中に浮かんでくる感じ。それが何なのかはわからないけれど、黒沢清が徹底的に描いている「怖さ」にとっての根源的な何かであるような気もする。
 かなり言葉に詰まりますが、この映画の怖さというのは、いわゆる近未来に対する恐怖のようなもの(花粉症が例ですね)でもあり、もっと何か根源的なものでもあるような気がする。それが何かは漠として捉えられないのだけれど、その漠としているところはこの映画の製作意図でもあるだろうから、そのまま、漠然としたまま受け取っておいたほうがいいのでしょう。
 などと、終わって考えてみると、いろいろ浮かんでくるんですが、見ているうちはけっこう眠い。セリフなしで固定カメラのロングショットが何分も続いたりするから仕方がないことなんだけれど、まあ少々寝てしまっても映画の全体像を捉えるのに支障はないのでいいでしょう。ウトウトしながら2回連続とかで見てみると意外といいのかも知れない、などと勝手なことを思ったりする。

893タクシー

1994年,日本,79分
監督:黒沢清
脚本:釜田千秋、黒沢清
撮影:喜久村徳章
音楽:岡村みどり、岸野雄一
出演:豊原功補、森崎めぐみ、大森嘉之、大杉漣、寺島進

 悪徳金融業者に手形を盗まれ、多額の借金を抱えてしまった田中タクシーの社長を助けようと幼馴染のヤクザの親分が自分の組・猪鹿組の子分たちをタクシー運転手に仕立てた。ヤクザたちはかたぎの仕事に戸惑いながらも、一人残った運転手木村の指導のもと徐々に運転手らしくなっていくが…
 黒沢清が主にVシネマで活躍した時期、「地獄の警備員」と「勝手にしやがれシリーズ」の間に作られた作品。作品自体は非常にオーソドックスで派手さはない。しかし、画面画面に映像へのこだわりが感じられる作品。
 ちなみに、青山真治が助監督で参加している。

 いい意味で、普通な作品。ヤクザ映画だけれど、基本的にはヒューマンコメディで、派手なアクションシーンがあるわけではない。まあ、Vシネマなので、それほどお金をかけられないということもあるんだろうけれど。
 それにしても、撮り方は決してオーソドックスではない。この映画では特に「引き」の画が多い。タクシー会社でも、がらんとしたガレージの上から取ってみたり、近くにいる人をなめて、奥の人にピントを合わせたりと画面の奥行きを使って人物と人物の距離感を表現しているような気がした。やはりその辺の画面へのこだわりがテレビドラマとは一線を画している理由といったところでしょうか。
 あとは、枝葉のところがとてもいい。タクシーの中でいちゃつく男で出てくる大杉漣が面白い。刑務所から出てくるとき2度とも、まったく同じカット割だったのもよかった。あとは、ユウジ(だったっけ?豊原功補)が二人のチンピラに絡まれて、次のカットで叩きのめされた二人を置いて車で去るシーン、あのシーンはいかにも最近の日本映画らしいシーンという感じ。

ニンゲン合格

1998年,日本,109分
監督:黒沢清
脚本:黒沢清
撮影:林淳一郎
音楽:ゲイリー芦屋
出演:西島秀俊、役所広司、菅田俊、りりイ、麻生久美子、哀川翔

 10年間昏睡状態で眠っていた24歳の豊(西島秀俊)が奇跡的に意識を取り戻す。彼は藤森(役所広司)という男と自分がかつて住んでいた家に住み、生活を始めるが、そこには家族の姿はない。
 これは豊と家族との物語なのだけれど、それが説明されることはまったくない。セリフが極端に少なく、状況が説明されないまま、話は展開してゆく。
 14歳の精神を持った24歳の青年とバラバラになった家族、ということは、彼をきっかけにして家族が再び集まって…、と古典的物語ならば展開するはずですが、果たしてどうでしょうかね。 

 この映画を評価する(あるいは批判する)材料はいくつかある。
 ひとつは物語。つまり、家族の捉えかた。この映画で描かれている家族像とは何なのか?黒沢監督は今まで執拗に家族を描くことを避けてきた。これまでの映画で主人公の肉親が登場することはまったくなかった。それはなぜなのかがこの映画を見ればわかる。黒沢監督はあるインタビューで「家族が登場すると物語が混乱する」と言っていた。つまり家族は敵・味方がはっきりしない存在であり、そういう存在が物語りに紛れ込んでくると人物関係の整理がつかなくなるということ。家族をそのような存在として捉えているがゆえに、家族を登場させようと思ったら、それは「家族の映画」になってしまう。その微妙な関係性をうまく表しているのは、遭難した父親がテレビに映っているところを見守る一瞬の(バーチャルな)家族団欒を見つめる哀川翔の視線。反発しあっていたはずのものたちが一瞬でも理解しあってしまう不可解さ。
 もうひとつは映像。古典的な意味での視点というものを壊してしまった映像はある種の違和感を感じさせる。頻繁に繰り返される横移動、ほとんど映されることのない建物より高い部分の景色(ここは東京で少し上を見れば高層ビル群が見えるはず)。産廃物を運ぶトラックでふたりが会話するときの風景の微妙なずれ(この場面はトラックが実際には移動しておらず、フロントガラスに映りこむ風景が合成されたものであることは容易に見て取れる)。これらが意味しているのはどのようなことなのか?ただ単に映像作家として「いい画」を追求するがゆえに生まれた画なのか?それともここで描かれている空間が「夢」であることを暗示しているのか?その判断は見る側にゆだねられているようです。この映画が「夢」なのか「現実」なのか、藤森は死に行く豊に「現実だ」と言ってはいるものの、果たしてそれが信用できるのか? 

ドレミファ娘の血は騒ぐ

1985年,日本,80分
監督:黒沢清
脚本:黒沢清、万田邦敏
撮影:瓜生敏彦
音楽:東京タワーズ、沢口晴美
出演:洞口依子、伊丹十三、麻生うさぎ、加藤賢宗

 黒沢清監督の「神田川淫乱戦争」に続く長編第2作。当初にっかつロマンポルノの一作として公開される予定だったが、試写を見たにっかつ側が「これはポルノではない」と拒否し、ディレカンとEPICソニーの出資で追加撮影、再編集が行われ、2年後に一般映画として公開されたという逸話を持つ作品。黒沢監督の一般映画デビュー作となった。
 物語は平山教授(伊丹十三)とアキ(洞口依子)を中心に展開されるが、物語らしい物語はなく、なんとも不条理な世界が展開する。  加藤賢宗の俳優デビュー作でもある。

 伊丹十三は「神田川淫乱戦争」を高く評価し、この映画への出演が実現した。その後も黒沢と伊丹の関係は続き、黒沢清は伊丹プロ製作の「スウィートホーム」の監督をするなどした。
 この映画はとにかく、破天荒で、以下にもデビュー作という感じがして面白い。同じくピンク映画で監督デビューした周防正行(「変体家族・兄貴の嫁さん」)と比較してみても面白いかもしれない。このふたりは同じ立教大学の出身で、年もほぼ同じ、同じ蓮実重彦の授業を受けていたらしい。蓮実重彦は周防監督の「変体家族~」を84年度のベストファイブに推し、当時お蔵入りとなっていた「女子大生・恥ずかしゼミナール」(この映画の原題)をみて、「変体家族~」と並べて評価している。
 カルトな映画ファンなら見逃せない作品かもしれない。