浮草

1959年,日本,119分
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧、小津安二郎
撮影:宮川一夫
音楽:斎藤高順
出演:中村鴈治郎、京マチ子、若尾文子、川口浩、杉村春子、野添ひとみ、笠智衆

 旅回りの劇団・嵐駒十郎一座が小さな港町にやってきた。座員たちはチンドン屋をやりながらビラを配ったり、マチの床屋のかわいい娘に眼をつけたりする。一方、座長の駒十郎はお得意先のだんなのところに行くといって、昔の女と息子を12年ぶりにたずねていく。しかし息子には「叔父だ」といってあり、本当のことを明かしてはいなかった。
 小津安二郎が山本富士子の貸し出しの交換条件として契約した大映での唯一の監督作品。中村鴈治朗や京マチ子、若尾文子ら小津と見えることのなかった役者との組み合わせが興味深い。小津としては初めてのカラー作品で、小津らしからぬドラマチックな展開も注目。小津自身が1934年に撮った『浮草物語』のリメイクでもある。

 小津安二郎の「変」さというのがこの映画には非常に色濃く出ている。小津のホームグラウンドである松竹大船撮影所で撮られた小津映画には完全に小津の「型」というものが存在し、そこから浮かび上がってくるのは「小津らしさ」というキーワードだけで、小津映画が「変」だという感慨は覚えない。しかし、よく考えると小津映画というのはすごく「変」で、ほかの映画と比べるとまったく違うものである。それを「小津らしさ」としてくくってしまっているわけだが、その「らしさ」とはいったい何なのか、それは映画としておかしいさまざまなことなんじゃないか、という思いがこの映画を見ていると浮かんでくる。
 それはこの映画が「大映」というフォーマットで撮られたからだ。(笠智衆や杉村春子は出ているが)いつもとは違う役者、いつもとは違うカメラマン(宮川一夫は厚田雄春に負けるとも劣らないカメラマンだが)、全体から感じられる異なった雰囲気、それはこの映画をほかの大映の映画と比較できるということを意味している。たとえば溝口や増村の映画と。そうしたとき、小津映画の「変」さがありありと見えてくる。最初のカットからして、灯台と一升瓶を並べるというとても変なショットだし、短いから舞台のカットを何枚か続けて状況説明をする小津のいつもの始まり方もなんだかおかしい。
 そして極めつけは人物を正面から捕らえるショットの多用。これが映画文法から外れていることはわかるのだが、普通に小津の映画を見ているとそれほどおかしさは感じない。しかしこの映画では明らかにおかしい。さしもの名優中村鴈治朗もこの正面からフィックスで捉えるショットには苦労したのかもしれない。さすがに見事な演技をして入るが、そこから自然さが奪われていることは否めない。そもそも小津の映画に自然さなどというものはないが、小津映画に常連の役者たちは小津的な世界の住人として小津的な自然さを演じることに長けている。
 杉村春子とほかの役者を比べるとそれがよくわかる。杉村春子のたたずまいの自然さは役者としてのうまさというよりは、小津映画での振舞い方がわかっているが故の所作なのだろう。

 しかし、この小津の「変」さを浮き彫りにする大映とのコラボレーションは、ひとつの新しい小津映画を生み出してもいる。大映の映画というのがそもそもほかの映画会社の映画とはちょっと違う「変」な映画であるだけに、そこから生み出されるものは強烈な個性になった。
 うそみたいに激しく降る雨の通りを挟んで、軒下で言い争いをする中村鴈治朗と京マチ子、その不自然さは笑いすら誘いそうだが、その笑いは強烈な印象と表裏一体で、そのイメージがラストにいたって効いてくる。「静」と「動」、常に「静」で終始しているように見えることが多い小津映画には、実は常にその対比が存在し、それが映画のリズムを作っているということ、そのことも改めて認識させられる。この映画がほかの小津映画に比べてドラマティックに見るのは、その「静」と「動」の触れ幅が大きいからなのかもしれない。
 小津が普段と違うことをやろうとしてそうなったのか、それとも普段の小津世界とは違う人たちが関係しあうことによって自然に生まれてきたものなのか、それはわからないが、こんな小津もありだと思うし、こんな大映もありだと思う。

秋日和

1960年,日本,128分
監督:小津安二郎
原作:里見弴
脚本:野田高梧、小津安二郎
撮影:厚田雄春
音楽:斎藤高順
出演:原節子、司葉子、岡田茉莉子、佐分利信、笠智衆

 旧友三輪の7回忌に集まった3人の友人と残された三輪の妻子は寺を後にし、料理屋で語る。その席で三輪の娘百合子のお婿さんを世話しようと話になるが、話はなかなかうまく進まず…
 小津は60年代に入っても親子の物語を撮る。原節子が娘役から母親役に回り、全体にモダンな感じになってはいるものの、本質的な小津らしさは変わらず、その混ざり加減がとても心地よい感じ。

 60年代、オフィス街、銀座、BG(ビジネス・ガール)とくると、どうしても増村保造の世界を思い浮かべてしまいますが、これは小津。なので、物語の展開もやはり小津。増村ならば、秋子を巡ってドロドロとしたり、いろいろあると思うのですが、小津なので最終的に母娘の物語になります。そして相変わらずカメラ目線で正面を向き、独特の節回しで「ねぇ~」と言う。
 小津の「ねぇ~」が好き。小津映画の女性たちは「そうよ」と「ねぇ~」だけでいろいろなことを語る。大体は女性同士が視線を交わしあいながら、なんだか企み気に「そうよ」… 間 …「ねぇ~」という。ついつい微笑んでしまうその光景が好き。小津映画を巨匠巨匠と構えて見るよりも、「ねぇ~」といいながら微笑んで見たい。この映画はそんな見方に最適です。
 この映画を見ながら60年代に暮らしたいと思いました。まあ無理ですが。増村を見ていてもそうですが、モーレツな生活の中に何か味わいのようなものがあるとは思いませんか? 何かかが新しくなっていく時期というか、古いものと新しいものが混在している時期という感じ。そして娯楽の中心は映画で毎週毎週こんな映画が封切られる。少々不便でもそんな生活って素敵だと思いますね。
 だんだん映画の感想ではなくなってきていますが、気にしない。私は普段歩くのが好きで、ふらふらと東京の町をさまよっているのですが、大通りを歩くのは楽しくない。それよりも細い道をふらふら歩く。それでも東京はどの道もしっかりと舗装され、つまらない。60年代の映像を見ていると、銀座ですらまだ舗装されていないところがあったりする。そんな道を歩くのは快適ではないかもしれないけれど楽しいことのような気がします。これは生きたことがない時代へのノスタルジー。現実は違うと思うけれどノスタルジックに見ることがとても楽しいのでいいのです。
 そうなったら、このメルマガもガリ版で作るしかないかしら。それもいいかもね。

麦秋

1951年,日本,124分
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧、小津安二郎
撮影:厚田雄春
音楽:伊藤宣二
出演:原節子、笠智衆、淡島千景、三宅邦子、菅井一郎、東山千栄子

 紀子は両親と兄夫婦とその2人の息子と仲睦まじく暮らし、東京で重役秘書の仕事もしていた。しかしもう28歳、まわりは早く結婚をと考える。学生時代からの親友で同じく未婚のアヤと嫁に行った友達をいじめたりもしているが、本心はどうだかわからない。
 小津らしく家族を中心に、日常生活の1ページを静かに切り取った作品。晩年というほどではないが、かなり後期の作品なので、スタイルも固まり、いわゆる小津らしい作品となっている。

 小津映画の特徴といわれるものがもらさず見られる。ローアングル、固定カメラ、表情を正面から捉えての切り返し、などなど。もちろん映画からこれらの特徴が分析されたのだから、そのような特徴が見られるのは当然なのだが、分析の結果を知って映画を見るわれわれはそのことに目をやってしまいがちだ。
 しかし、そんな分析的な目で映画を見てしまうとつまらない。特に小津の映画は分析的な目で見ると、どれも代わりばえがせず、型にはまっていて退屈なものとなりかねない。しかし、小津が偉大なのはそのようなスタイルを作り出したことであり、そのスタイルは驚嘆に値するものだ。小津のスタイルとはあくまでも、よりよい描写のために作り上げられてきたものであり、まずスタイルありきではない。笠智衆の寂しさを捉えるのに、右斜め後ろからローアングルで撮るのが一番いいと思うからこそローアングルで撮るのであって、ローアングルがまずあるわけではない。
 だから、なるべく分析的な視点から逃れて映画を見る。するとこの映画は他の小津の映画と同じく不自然だ。カメラをまっすぐみつめて、棒読みでポツリとセリフをはく笠智衆はやっぱり不自然だ。ついついにやりとしてしまうような不自然さがあちらこちらにある。その不自然さはしかし空間をギクシャクさせるような不自然さではなくて、逆にほんわかとあたたかくさせる不自然さであると思う。それは映画全体の雰囲気とも関係があるのだが、その不自然な振る舞いや映像によって逆に人間くささのようなものが生まれる気もする。
 この不自然さという部分だけを取って何かを言うことは意味がないのかもしれないけれど、この映画で引っかかったのはその部分でした。もうひとつ「間」の問題も頭をかすめましたが、この小津的な「間」というのはもう少し考えてから書くことにします。
 で、この作品に限って言うと、特徴的なのは「戦争」の影。この作品が作られたのは昭和26年だから、戦争が終わってそれほど経っていない。映画の中でも言われているように、不意に戦争で行方不明になった家族が帰ってきたりもする頃、その戦争の影というものが映画全体に漂っているような気がします。特に、両親の表情にある曇りはその戦争が落としていったひとつの影であるような気がします。リアルタイムでこの映画を見た人たちにもまた、戦争の影というものが落ちていたのだろうとも思いました。

小津安二郎 初期短編1

1929年,日本,25分

突貫小僧
監督:小津安二郎
原案:野津忠治
脚本:池田忠夫
撮影:野村昊
出演:斎藤達雄、突貫小僧(青木富夫)、坂本武

大学は出たけれど
監督:小津安二郎
原作:清水宏
脚色:荒牧芳郎
撮影:茂原英
出演:高田稔、田中絹代、鈴木歌子

突貫小僧
 人攫いの出そうな天気のいい日の街角、一人の子供が遊んでいる。そこにあらわれたひげを生やした怪しい男、男は予想通り人攫いで…

大学は出たけれど
 大学をて就職面接に行く男、しかしそこで言われた仕事は受付だった。大学をてそんな仕事は出来ないといって会社を出てきてしまったが、郷里から出てきた母に就職が決まったと嘘をついてしまって…

 短編ということでサイレントでも気軽に見れるし、コメディタッチで面白い。小津のよさも堪能できる。サイレント&小津初心者にお勧め。

 「突貫小僧」は10年程前に発見されたフィルム、「大学は出たけれど」は本来長編であったものの残存する一部分を短編として復元したもの、というともに貴重なフィルムだが、その映像は素朴で、しかししっかりと小津らしいもの。
 「突貫小僧」の主人公突貫小僧こと青木富夫は1929年の「会社員生活」でデビューした子役。といっても、撮影所に遊びに来ていたのを小津監督が見つけ、面白い顔だから映画に出そうといったのがきっかけらしい。突貫小僧は「生まれてはみたけれど」をはじめとするサイレン時の小津作品に多数出演し、売れっ子の子役となった。なんと、昭和5年の出演作品は残っているものだけでも15本。
 やはり、映画が唯一の大衆の娯楽だった時代、こんな映画がたくさんあったんだろうなと思わせる。軽快さが非常にいい。こんな短編を何本見て、いっぱい引っ掛けて、家に帰る。なんとも優雅な生活ではないですか。

晩春

1949年,日本,108分
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧、小津安二郎
撮影:厚田雄春
音楽:伊藤宣二
出演:笠置衆、原節子、月丘夢路、杉村春子、桂木洋子

 北鎌倉に住む、大学教授の父と娘。甲斐甲斐しく父の世話を焼く娘ももう嫁に行かねばならない年頃。しかし娘はそんなそぶりも見せない。そんな娘に叔母が縁談を進め、父にも縁談を持っていくのだが… 結婚をめぐって微妙に変化する父と娘の関係を描いた。
 小津安二郎得意のホームドラマ、笠置衆と原節子というキャストと「東京物語」と並んでこのころの小津の代表的な作品。「東京物語」ほどの完成度はないが、そこに流れる叙情はやはり素晴らしい。

 基本的なスタンスは「東京物語」と同じで、笠置衆はやはり無表情で一本調子。しかし、原節子はかなり表情豊かで、一人体全体で物語を語っているという感がある。そのために、「東京物語」と比べると完成度が低いように見えてしまうのだろうか? 本当は異質なものと捉えればまた違う見方が出来るのだろうけれど、映画のつくりがかなり似通っているのでどうしても、ひとつの視点から比較してしまう。そうすると、「東京物語」のほうがやっぱりすごいということになってしまう。
 しかし、この作品もまた独自なものであると考える努力をしよう。そうするならば、この映画で印象的なのは、人のいない風景のインサートだろう。京都の石庭、嫁に行ってしまったがらんとしたうち、などなど。無表情な人間を取るよりも、完全に無表情な「モノ」を写すこと。そしてその完全に無表情な「モノ」から何かを読み取らせること。それはつまり観客が映画の中の「モノ」に自分の感情を投影させることに他ならない。そのような作業をさせうる映画であること。それが小津の目指したところだったのだろう。
 観客が能動的に映画の中に入っていける映画。それが小津の映画なのかもしれないとこの映画を見て思った。

 ということですが、この「モノ」というのは小津映画の特色であり、小津映画がどこか「変」である最大の要因なんじゃないかと思うわけです。小津映画といえば、「日本!」見たいなイメージ化がされていて、「変」というのと直接的には結びつかないような気がするけれど、よく見ると、あるいは何本も作品を見ていくと、「なんだか変」だということに気づく。もっと細かく分析していけば、その理由のひとつはカットのつながりにあるということもわかってくるのだけれど、もう一つ私が注目したいのは人のいない「モノ」だけのカットの頻出であるように思える。
 映画とは基本的に人物(あるいは擬人化された生き物やモノ)が主人公となって、物語が展開されているわけで、人物以外のものだけが映っている場合には、それは余韻であったり、必要な間として挿入されているものである。しかし、小津の映画では余韻あるいは間というにはあまりに不自然な挿入をされているのである。時には長すぎ、時には妙に短いカットの連続であったりする。
 あるいは、人が映っているのだけれど、物語とはまったく関係なさそうな行動であるようなシーンもある。このあたりはとても「変」で時にはつい笑ってしまったりするのだけれど、それが実は本当の小津映画の面白さであって、いわゆるイメージ化された「日本的なる物」の象徴としての小津なんて、表面的なものでしかないんじゃないかと思えてくる。

東京物語

1953年,日本,136分
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧、小津安二郎
撮影:厚田雄春
音楽:斎藤高順
出演:笠置衆、東山千栄子、原節子、杉村春子、香川京子

 尾道、老境に差し掛かった夫婦が旅支度をしている。彼らは息子たちが住む東京へ旅行に出発し、一人家に残る末娘の京子がそれを見送った。果たして東京に到着した老夫婦はまず長男の家に厄介になり、続いて長女の家に厄介になりながら東京で過ごす。
 東京の子供たちを訪ねる旅を通して、親子の関係をじっくりと描いた歴史的名作。今見てもすごく感動的で、時代や地域を越えてたくさんのファンを持つ映画であることもまったくうなずける本当の名作。見てない人はいますぐビデオ屋へ。いや、ビデオじゃもったいないかも…

 最初、尾道の場面、笠智衆の一本調子の台詞回しと、すさまじいほどの切り返しで映される顔のアップに戸惑い、違和感を感じる。それは東京に行っても続き、出てくる人々はみなが無表情で一本調子、そして会話はほとんどを顔のアップの切り返しで捉える。
  しかし、それも見ているうち徐々に徐々に気づかぬうちに、その違和感は薄れ、その無表情な表情のわずかな変化の奥に隠れた感情を読み取れるようになっていく。それはもう本当に映画の中へ入り込んでいくような感覚。あるいは気づくと映画世界につかりきっている自分に気づく感覚。
  もちろん、笠智衆と東山千栄子と原節子の3人の関係を描くところで特にそれが顕著になるのだけれど、それ以外の部分もすべてが間然に計算され尽くしていたんだなぁ… と自分の心にも余韻が残るような素晴らしさ。

 物語は、小津の定番である父娘というよりは、大きな家族関係の物語になっている。「核家族をはじめて描いた映画」といわれることもあるように、東京に住む人たちの間で家族関係や近所との関係が薄れていく様子が見事に描かれている。近所との関係といえば、尾道での冒頭のシーンで、隣のおばさんと思われる人が軒先から顔を出して、世間話をする場面がある。そして、このおばさんは葬式のシーンにも登場し、最後にも映画を締めくくるように登場する。これは単純に尾道の社会というかご近所さんの関係の緊密さを表しているだけなのだが、この関係性こそが物語を牽引していくエッセンスであるのだ。
  と言うのも、このような尾道の人間関係に対して、長男の幸一と長女の志げの近所の人とのつながりは非常に希薄である。交流があるにはあるのだが、その関係は医者や理容師という職業によるものでしかない。社会の観察者としての鋭い視点を持ち続ける小津は、そのような人間関係の変化を敏感に感じ取り映画に刻み付けた。家族の核家族化とともに、近所のつながりも希薄化し、その多くは商売を通すものになってしまった。
  これとは少し違う形で描かれているのが紀子の住むアパートである。このアパートでは近所との関係が濃い。このアパートは同潤会・平沼町アパートに設定されているらしい。つまり、紀子と近所の関係の濃さはこの同潤会アパートの特色によっているということであり、これもまた時代性を感じさせる味であるといえるのかもしれない。

 とにもかくにも、そのように家族や近所との関係が希薄化していく時代にあって、小津は家族を描くことで何を語ろうとしたのか。小津はその変化をどう思っていたのか。
  それが鋭く現れるのは、映画も終盤になり、原節子がいよいよ東京に帰ろうというときに香川京子にはくセリフである。香川京子演じる次女の京子は、とっとと東京に帰ってしまった兄たちに不満を言い、「親子ってそんなものじゃない」と言う。これにたいして原節子は「年をとるにつれて自分の生活ってものが大事になるのよ」と言う。そして続けて「そうはなりたくないけど、きっと私だってそうなるのよ」と言うのだ。これは、家族を中心とした関係性の希薄化に対する諦念なのではないだろうか。核家族化し、家族の生活が分離していけば、それぞれはそれぞれの生活が大事になり、お互いの関係は薄くなってしまう。それは仕方のないことだと考えているのではないか。
  笠智衆に「東京は人が多すぎる」とも言わせているし、小津にしてみれば拡大していく東京が人間関係を希薄化させるものであることは憂うべき事実であったのだろう。小津は下町生まれの江戸っ子だから、古きよき東京の温かみを知っていたはずで、それが東京からは失われ、田舎に求めるしかないことを寂しがっていたのではないだろうか。
  物語からはそのような社会の観察者としての小津の一面が見えてくる。一貫して「家族」をひとつのテーマとしてきた小津としては、まったく正直でストレートな主題であると思う。

 そのように物語を分析してみるのも面白いが、この映画の面白みは、物語だけにあるのではなく、むしろ細部にこそ本当の味わいがある。それを最初に感じたのは杉村春子演じる志げが夫の中村伸郎に対して「やだよ、豆ばっかり食べて」というセリフである。このセリフは物語とはまったく関係がないが、その場にすごくぴたりと来るし、志げの性格を見事に示す一言になっているのだ。しかもなんだか面白い。このセリフに限らず、志げはたびたび面白いことを言う。キャラクターとしてはあまりいい人の役ではなく、少し強欲ババアという感じもするが、完全な悪役では決してなく、この生きるのもつらいような時代を生き抜いた人には当たり前の生活態度だったのではないかとも思わせる。戦争が終わって10年足らず、その段階ですでに使用人を使って理髪店を経営しているということは、戦争の傷跡が残る中、懸命に働いてきたのではないかと推測される。何もない焼け跡にバラックを建て、細々と再開した理髪店を懸命に大きくして、いっちょまえの店にした。そんな苦労がしのばれるのだ。しかし、その苦労が彼女を変えてしまった。
  両親が映画の後半で「あの子も昔はもう少しやさしかったのに」と言うその言葉からは彼女のそんな10年間が見て取れる。そしてそれは彼女が本来的に強欲ババアのようであったのではなく、時代がそうさせてしまったということを示しているのである。
  そのような志げの性格を小津は映画の序盤のたった一言のセリフで表現してしまう。そのような鋭く暖かい視線がこの映画の細部にはあふれているのだ。

 そのセリフにとどまらず、杉村春子の役柄には様々な含みと面白みがこめられていて、私はこの映画で一番味のあるのは杉村春子なのではないかと思った。笠智衆、東山千栄子、原節子の3人がもちろん物語の主役であり、この映画のエッセンスを伝える人たちであり、映画の中心であるわけだが、彼らを活かすのは杉村春子のキャラクターであり、見ていて面白いのも杉村春子と中村伸郎の夫婦である。主役の3人はいうなれば前時代に生きている。原節子は現代的でもあるのだが、過去に引きずられていることもまた確かだ。しかし、杉村春子夫婦はすごくモダンだ。スピードからして3人とは違い、60年代のモダニズムで描かれるような都市的な人々の先駆けであるように映る。しかし、彼女には温かみもある。最初の話に戻るが、香川京子が東京に帰る原節子に対して「親子ってそんなもんじゃない」というシーンで、彼女は死んですぐ形見分けを求める杉村春子を槍玉に挙げるが、原節子はそれを「悪気があって言った訳じゃない」と言う。それはまさにそうで、杉村春子の生活に流れる時間と、香川京子の生活に流れる時間が違うことで、そのような誤解というか、行き違いが生まれるのだ。杉村春子も彼女なりに母親痛いする愛情を示したはずで、行き違いがその捉え方の部分にあったというだけの話であるはずだ。原節子はその二つの時間の両方を理解していて、二人の行き違いに気づいている。
  このシーンは、尾道に暮らす3人の代表としての香川京子と、大都市に暮らす3人の代表としての杉村春子の衝突/齟齬を原節子がうまくとりなしているシーンなのである。それは田舎と都会という2つの社会の対比であり、なくなり行く社会とこれからやってくる社会との対比である。
  そして、都会/未来の象徴である杉村春子を面白いと感じるのは、彼女がそのように都市的で現代的であるからなのではないだろうか。つまり彼女は現代から見て一番理解しやすい存在であるということだ。映画としては原節子が全体の関係性の中心に来るように設定されているのだが、現代から見るならば杉村春子を中心とすると見やすいのかもしれないし、自然とそのように視点が行く。
  小津が未来を見通してそんな作り方をしたとは思わないが、社会の変化をあるスパンで捉え、それを親-子関係や、都市-地方関係といった様々な形に置き換えて表現したこの映画は、変化してしまった先にある社会から眺めると、また違う相貌を呈し、違った形で面白いものとして見えてくるのだと思う。
  だからこそ、作られて50年がたった今でもわくわくするくらいに面白く、何度見ても涙なしに見終えることができない。名作とは、繰り返し見ることで、それを見る自分の立ち居地の違いを感じ取ることができ、それによって新たな発見をすることができるものなのだという感慨を新たにした。それは映画でも小説でも変わらない「名作」なるものの真実なのではないかと思う。

出来ごころ

1933年,日本,100分
監督:小津安二郎
原案:ジェームス槇
脚本:池田忠雄
撮影:杉本正二郎
出演:坂本武、伏見信子、大日方傳、飯田蝶子、突貫小僧(青木富夫)、谷麗光

 隣同士の喜八と次郎は同じ工場で働き、いっしょにおとめの店でめしを食う。喜八はやもめで息子の富夫と二人暮らし、次郎もひとり身だ。二人は富夫も連れて浪花節を身に行った帰り、分けありげな女に出会う。お調子ものの喜八は宿がないという女をおとめの店に連れていく。その女春江は結局おとめの店で働くことになった。
 少年もので人情ものでメロドラマ。サイレント期の娯楽映画の要素がぎっしり詰まった作品は、テンポよくほのぼのとしてなかなかいい。

 なんてことはない話、なんとなく面白い。サイレント映画なんてほとんど見たことはないし、見る作法もわからないし、飽きちまうんじゃないかと思うけれど、これが意外と見れてしまう。この映画はかなりセリフが出てくる(もちろん文字で)ので、なんかどこか漫画的な、でもしっかりと映画で、不思議な感覚。それもこれもやはりストーリテラーとしての小津の才覚、そして細かいところに気を配る小津の映画術のおかげなのか? といっても、どこがどうすごいといえるほど細部に目がいったわけではなく、ただ人の身振りってのはセリフがないほうがよく見えるとか、そんなことにしか気づきはしなかった。
 でも、他のも見てみたいと思わせるくらいには面白く、富江を演じる伏見信子も色っぽく、突貫小僧も面白い。日本人にとっての原風景といってしまうと陳腐になってしまうけれど、映画に限っていえば「これが原点だ」といってしまえるようなそんな雰囲気のある映画。確かに成瀬やマキノもいるけれど、やっぱり小津かな、そんな気にさせる不思議な魅力でした。

生まれてはみたけれど

1932年,日本,91分
監督:小津安二郎
脚本:伏見晃
撮影:茂原英雄
出演:斎藤達雄、菅原秀雄、突貫小僧(青木富夫)、吉川満子

 郊外に越してきたサラリーマン一家。2人の腕白兄弟は早速近所の悪ガキと喧嘩、引越し前の麻布ではいちばんつよかった兄ちゃんはここでもガキ大将になれるのか?  そんな二人も頭の上がらない父さんを二人は世界で一番えらいと信じていた。しかし、引っ越してきた近所には父さんの会社の重役が、果たして父さんは威厳を保ちつづけられるのか?
 非常に軽妙なタッチですごく躍動感のあるフィルム。登場する子供ひとりひとりのキャラクターが立っていて非常にいい。映像のリズムがよくて音を感じさせる演出なので、サイレントでもまったく苦にはならない。

いわゆる静謐な「小津」のイメージとは違うこのサイレント映画は画面のそこここに「音」が溢れている。そして非常に巧妙なストーリー展開。
 私はちゃんと細部まで観察しようという意気込みで劇場に座ったのだけれど、見ているうちにぐんぐんと物語に引き込まれ、気づいてみればもうラストという感じで見てしまった。90分という長さは当時の映画としては長尺だが、今見れば非常に心地よい長さ。やはり映画の理想は90分という自説は正しかったのだと再確認してみたりもしました。
 「何がよかったのか」と効かれると非常に困る。ストーリーはもちろんよかった。子供たちのキャラクターがよかった。出てくる子供たち(8人くらい?)のそれぞれが非常に個性があり、映画が始まって20分もすれば見分けがついてしまう。これは非常に重要なことだと思う。といっても、それが面白かったというわけではない。具体的にいえば、2人が学校から逃げ出す間合いとか、犬がお座りして2人見送るその画だとか、通って欲しいところで必ず電車が通過するその演出だとか(何と目蒲線!)、いろいろです。
 やっぱり小津ってすごい。