戦争と平和

1947年,日本,100分
監督:亀井文夫、山本薩夫
脚本:八住利雄
撮影:宮島義勇
音楽:飯田信夫
出演:池辺良、岸旗江、伊豆肇、菅井一郎

 太平洋上で撃沈された軍艦。そこに乗っていた兵士の一人健一は中国に流れ着き、そこでホームレスのような生活を送る。一方、健一の妻町子のもとには健一の戦士を告げる通知が届く。そんな時、健一の親友で精神に異常をきたして戦争から戻ってきていた康吉が町子の名を呼んでいると言われて町子は病院に赴く…
 戦争に振り回された人々の戦中から戦後への生活史。そして、戦争に翻弄された家族と愛の物語。物語は地味で味わいのあるものだが、映像はなんだか恐怖映画のようで妙。

 戦死の誤報による二重結婚、それは実際にかなりの数起こった事態だろう。それを戦争直後に映画にするということは、かなり自分たちの生活に密接した映画であるという印象を与えたことだろう。そして、戦場のショックによる精神障害というものもまた、かなりの数に上ったことも想像に難くない。だから、この映画は当時の観客たちにとっては身につまされるというか、あまりに身近なことであったに違いない。映画に映っている風景も、自分たちの生活そのまま(健一が夜の街をぶらぶらするシーンなどは、あまりにリアル)なのだと思う。そのような映画であると考えると、これを今見ることは一種の過去を知る資料的価値という意味が一番大きくなってしまうのかもしれない。
 物語は、地味だけれど、そのような要素もあってとてもリアルで、あいまいなところもとても意味深い。

 ただ、登場人物の心理の機微なんかはあまりうまく表現されていない。それは、おそらくクロース・アップのやたらの多用と、人物への妙なライティング(下からライトを当てているので、影のでき方が恐怖映画のよう)が原因だろう。
 そして、これは多分戦争直後の物資難、映画の制作に際してもライトなどの道具が不足し、もちろんフィルムも十分ではなく、そのような環境で撮っているせいだろう。特に、ライティングという面がこの映画ではかなり問題で、恐怖映画のようなライティングというのは一つのわかりやすい不合理さだが、クロースアップの多用というのも、光量の不足から、表情をしっかり映すためにはクロースアップにするしかなかったということもあるのだろうと思われる。
 そんな事情の中で撮られた映画であることは創造できるけれど、今この映画を見る場合には、映画としての評価はマイナスにならざるを得ない。この映画にこのライティングや編集はやはり妙だし、ミスマッチである。歴史的(一般的な歴史でも映画史でも)にはいろいろ考えさせられることもあるけれど、単純に映画としては、あまり成功しなかったといわざるを得ない。

 ところで、この主演の女優さんは岸旗江といって、あまりよく知りませんが、なんだかちょっと原節子にのなかなかの美人。第1期東宝ニューフェイスということですが、どうもあまり主役級の作品はなく、地味に長く女優さんをやっていたようです。どうして、スターになれなかったんだろうなぁ…

戦ふ兵隊

1939年,日本,66分
監督:亀井文夫
撮影:三木茂
音楽:古関裕而

 日本軍が奥地へ奥地へと侵攻していく中国大陸、映画はその中国の農民の姿で始まる。家が壊れたり焼けたりして途方にくれる人々、続いて「いま大陸は新しい秩序を 生み出すために 烈しい陣痛を 体験している」という文字が画面いっぱいに映される。
 この映画はナレーションはないが、字幕というかキャプションによって画面が中断される。そしてその字幕の多くは日本軍の偉業をたたえるものだ。そんな字幕によって区切られながら、映画は中国の奥深くへと進んでいく日本軍のあとを追う。
 この映画は内務省の検閲に引っかかって、公開禁止となり、ネガも焼却されたため「幻の映画」とされていたが、1975年に1本のポジフィルムが見つかった。

 この映画は『上海』や『北京』と比べると、兵隊たちが映っているシーンが多いが、それでも多くの部分を中国人たちの映像や、兵隊の平時の映像が占めている。これは亀井文夫の戦争に対する一貫した姿勢の表れで、それは『上海』のときのも述べたように、反戦とか軍部批判とかいったことではなく、あらゆる価値に対して中立であろうとしているということだ。
 それでも、少なくともこの映画が当時の映画界を支配していたプロパガンダ映画と異なっているということは確かだ。この映画を見て人々が戦争へと駆り立てられることはおそらくない。字幕の文字上では皇軍を賛美し、日本軍の偉大さを喧伝しているけれど、画面はそれとは裏腹にひっそりと静かである。最初に兵隊たちのキャンプが映るシーンで、断続的に大砲の音が鳴り響いているにもかかわらず、兵隊たちの行動に全く焦燥感はなく、日常的な光景が展開されている。これは文字や音よりも映像こそがメッセージを語るという信念の表れであるように思える。映画からナレーションを排したも、そのような映像の力を信じてのことだろう。

 このようなことを考えると、やはり亀井文夫は世間で言われるようにただ一人、戦争に反対し続けた映画作家だといいたくなっても来る。しかし、やはりわたしは亀井文夫が戦争に反対しているとは思えないし、そもそもこのようなプロパガンダではない映画を撮っていたのが亀井文夫一人であるとも思えない。阿部マーク・ノーシスは亀井がこのような反戦ととれるような映画を撮って、「どうして無事でいられると思ったのだろう?」という問いを自ら立て、それは「他の人々も全く同じように考えていたということだ」と答えている(山形国際ドキュメンタリー映画祭2001 亀井文夫特集 パンフレット)。
 それはつまり、このような映画をトルコとは普通のことであって、むしろ検閲に引っかかったことのほうが不思議なくらいだったということだろう。そしてそれは、この映画が検閲を逃れようと工夫を凝らして作られたというよりは、素直に、思うがままに使える素材を十分に使って(多少の自主規制はあったにせよ)作られた映画だということだ。

 この映画は、映画というものが戦争とかかわる一つのかかわり方を示している。戦争と映画のかかわりについての議論に上るのはたいていの場合、その映画が戦争を推進するのか、それとも戦争に反対するのかということだ。
 これに対して、この『戦ふ兵隊』を中心とした亀井の一連の戦争ルポルタージュは戦争に賛成という表面上の意見表明は保ちながら、その実、賛成でも反対でもないという立場を暗に示す。
 では、この映画がどのように戦争とかかわっているのだろうか。基本的にこれらの映画が描くのは戦争と人間、あるいは自然との係わり合いで、戦争が人々の生活や自然にどのような影を落とすのかを描く。これはつまり、映画を見ている人々(つまり実際に戦場には行っていない人々)と戦争との係わり合いを描いたものなのである。
 戦争に対する賛成/反対を述べる映画にはその特定の戦争の評価、つまりその戦争が正義であるか否か、という価値判断が映画そのものの価値にかかわってこざるを得ない。それに対して亀井の戦争映画はより普遍的な戦争に対するかかわり方や姿勢を示すことが可能である。
 亀井がここで表明しているのは、戦争とはその戦場に住む人々や自然にとっては悲劇以外の何ものでもないということだ。それはその戦争が善であるか悪であるかという越え、戦争一般が是であるか費であるかという判断も留保し、ただ見る人それぞれにその戦争の、そして戦争一般の是非を問うているのだ。
 もちろん亀井のメッセージは「戦争は悲劇である」ということだろう。しかし、それを受け入れるかどうかは見るものに委ねられている。

北京

1938年,日本,74分
監督:亀井文夫
撮影:川口政一
音楽:江文也
出演:松井翠声(解説)

 1938年、東宝文化映画部は当時中国を侵攻していた日本軍を追ったルポルタージュを三部作として製作した。この映画はその3作目で、1作目の『上海』に続いて亀井文夫が構成・編集を担当している(第2作目の『南京』の監督は秋元憲)。
 映画の作りは基本的には『上海』と同じで、兵隊や戦場を撮るよりも、日本軍が通り過ぎた街の風景やそこに住む人々を描く。むしろ『上海』よりもさらに戦争そのものから離れてしまったような印象すら受ける。

 現存するフィルムでは、映画の最初の1巻が失われてしまったというテロップが最初に流れる。映画は紫禁城の建物や、そこに住んでいた西太后らについての解説から始まる。想像するに、1巻目には戦況の解説や北京の街についての概説が収められていたのだろう。それに続いて北京最大の建造物である紫禁城について描く。そのような構成であったと想像する。
 それは、この映画が『上海』と比べてもさらに戦争そのものについての言及が少なく、明確なものとしては終盤に登場する爆撃隊の映像くらい。それを考えると、最初にそこを抑えていたと考えざるを得ないわけだ。

 そのようなことを踏まえた上でこの映画について考えてみると、そもそも戦争というものが頭に浮かんでこない。『上海』では既存の戦争ルポルタージュの文法を逆手にとって、それとは違うものを作っているという感じがしたけれど、この映画はそもそも戦争ルポルタージュではないという気がしてくる。単純なルポルタージュで、その場所がたまたま戦場であっただけというような、そんな印象。
 特に映画の後半は、北京に住む普通の中国人たちの生活を克明に描く。わたしが一番好きなのは、糸屋とか紙屋とか床屋とかいろいろな商売の人たちが登場し紹介されるシーン、ほとんどの人は行商というか、売り物や商売道具を持って歩き回り、おそらくそれぞれの職業に特有だと思われる鳴り物で客を呼ぶ。これをとにかくいろいろな商売について紹介していく。ただそれだけのシーンなんだけれど、その商売の多様さや細分化の度合いを見ていると、それだけでそこで暮らす人々の暮らしぶりが見てくる気がする。

 まあ、それは冒頭の破壊された町の風景とは裏腹に、戦争があっても人々の暮らしは変わらず続くというメッセージであると受け取ることもできるけれど、わたしはその風景を、素朴に単純に眺め、味わいたい。この映画には、そのように感じさせるゆるりとした空気が流れている。
 そんな空気の中では、唐突に言及される爆撃隊はこの映画が戦争ルポルタージュであることを思い出させるためだけにあるような気がしてきてしまう。

上海

1938年,日本,81分
監督:亀井文夫
撮影:三木茂
音楽:飯田信夫
出演:松井翠声(解説)

 1937年、日中戦争勃発。軍部は東宝の文化映画部に働きかけ、現地での日本軍の活躍を映画として公開することにした。そうしてカメラマンの三木茂を中心にスタッフが現地に赴いて撮影を行い、監督の亀井文夫がそのフィルムを編集して一本の映画を完成させた。それがこの『上海』である。
 亀井文夫は三木茂が中国に渡る前に演出メモを渡し、従来の「行進する兵隊」のような典型的な映像ではないエレジーを感じさせる映像を撮ってくるように言ってあった。かくして、この映画はいわゆる国策映画とは違う映画となった。

 映画は上海についての説明から始まる。地図を使ってイギリスやフランスの租界、中国人街、戦場となっている場所などが説明される。それから、実際の上海の街の映像に。そこでは、映像も解説もそこが戦場であるとは感じられないということを表現する。高層ビルが建つ大都会上海、各国の国旗がはためく国際都市上海、そのようなイメージを観客につかませる。
 そこから、もっとミクロな方向へ描写は進む。中国人の抗日の動きや、それに対処する日本軍の活躍なども描くが、最も中心として描かれるのは上海の人々の暮らしだ。そこにはもちろん日本人も含まれるが、中国人も含まれる。そもそも見た目では日本人も中国人もあまり区別がつかない。しかも、松井翠声の解説は画面に映っているものをストレートに解説するのではなく、全体的な状況を語る。だから、画面に映っていることがいったいなんなのか、つまり何を伝えようとしてこのような映像を見せるのかが判然としない。
 もちろん、この映画は日本軍の活躍や偉大さや敵たちの卑小さや残酷さを伝えるために作られるべきだった。だから、この映画はその意味では失敗作といわざるを得ない。しかし、そのような意図で見られる必要がなくなった現在にこの映画を見ると、そもそも亀井文夫はそのようなことを伝えようとして映画を作っていないことが見えてくる。
 しかし、だからといって反戦とか、軍部批判とか言った攻撃的な意図から作られているわけでもない。この映画を見ていて感じるのはそれがあらゆる価値に対して中立であろうとしているということだ。どちらがいい悪いではなく、みんな人間なんだということ。大きく言ってしまえば、中国という雄大な自然の中ではみな卑小な存在に過ぎないんだということを言いたいのではないかと感じる。
 たとえば、日本軍が中国兵が閉じこもった倉庫を攻略したというエピソードを語るとき、そこに残されたパンと映画の包み紙が映され、解説ではそれが中国軍の卑小さの象徴のように語られる。しかし、その言葉はなんだか空々しく、その画面から受ける印象はむしろ、中国兵たちも生きようとしていたということだ。あるいは、日本兵たちはそれを見てうらやましかったのではなかろうかということだ。
 それは、戦争の勇猛さを伝えるのではもちろんなく、かといって戦争の悲惨さを伝えるのでもない。否定的に言えば戦争の無意味さというかむなしさを伝えるもので、あるいは戦争の日常性というか、戦争を戦っている人々というのは日常や自然とつながっているのだということ、そのようなことを伝えようとしているような気がする。

ノー・マンズ・ランド

No Man’s Land
2001年,フランス=イタリア=スロヴェニア他,110分
監督:ダニス・タノヴィッチ
脚本:ダニス・タノヴィッチ
撮影:ウォルター・ヴァン・デン・エンデ
音楽:ダニス・タノヴィッチ
出演:ブランコ・ジュリッチ、レネ・ビトラヤツ、フイリプ・ショヴァゴヴイツチ、セルジュ・アンリ・ヴァルケ、カトリン・カートリッジ

 交代兵として全線へと向かうチキとニノとその仲間たち。闇の中をガイドに従ってやってきたものの、深い霧に視界を奪われ、朝まで待機することに。朝目覚めてみると、そこはセルヴィア軍の塹壕の目の前だった。銃弾の雨を浴びせられる中、チキはかろうじて中間地帯の塹壕に逃げ込んだ。そしてそこに、セルビア兵が偵察にやってくる…
 戦争を真正面から取り上げているにもかかわらず、コメディとしたところにこの映画の成功の鍵がある。国連軍まで巻き込んで展開される展開は笑いを誘いながら、決してふざけてはおらず、しっかりとしたメッセージも伝わってくる。

 戦争を戦争映画としてではなく描こうとすると、パロディ化するかヒューマンドラマ化するかという方法論が多い。パロディ化とは一種のコメディ化だけれど、この映画のようにパロディではない形で笑いを中心とするというのは珍しい。ヒューマンドラマの方向性で、暖かい笑い見たいなものもあるけれど、それとも違う。それがこの映画のいいところであり、それがリアルというかわざとらしくない秘密だと思う。
 果たしてこの映画はコメディかということになると、それはなかなか難しい。確かに笑いが映画の中心となっているけれど、それはすっきりとした笑いではなく、シニカルな笑い。しかし物語りは非常に突き放した感じで、すっきりしている。終わり方などを見れば、「このどこがすっきりしているんだ!」と思う向きもあるかもしれないけれど、へんにうまくいってしまったりすると、きっとそのわざとらしさというか、つくりものじみた感じになってよくないと思う。ポイントはこの徹底的に突き放した感じ。しかも、ヒューマンドラマを見慣れてしまった観客にはこの描き方は新鮮に映る。
 見終わった後でも、この映画の印象はなかなか強く、後に引きずる。パッと見はなんともやるせない終わり方、ちょっと考えるとこの突き放し方がさっぱりしている、後で振り返るとさまざまなことがわだかまりとして残っている。そんな重層的な感想が持てる。
 わだかまりというのは、おそらく監督がこの映画で描きたかったことで、結局何も変わっていないということ。表面的には国連の役立たず振りというか、むしろ火に油を注ぐ役目しかしていないということが笑いのネタにもなっているし、中心的な批判の対象になっているように見える。あるいは、マスコミの問題も見ている側が憤りやすい存在である。
 しかし、本当にえぐりたかったのはそのさらに奥にある問題で、それは決して直接的に描くことはできない問題。たとえば、殺し合いをしているのは言葉が通じるもの同士で、敵の通訳によってしか仲裁者の言葉を理解できないということ。その落とし穴。その落とし穴に落ちてしまったのはなぜなのかということは描かない。あるいは描けない。落とし穴に落ちてしまった人々と落とし穴の上から見ている人々を描く。上にいる人々は落とし穴を生めることはせずに、ふたをしていってしまう。問題は落とし穴の中にあるのか、外にあるのか、穴自体にあるのか、
 この映画の舞台が塹壕なので、穴というメタファーが浮かびましたが、逆にわかりにくくなってしまったような気もします。笑われていることが問題であることのように見えるけれど、本当に深刻な問題は笑われていない問題のほうにあるということだと思います。

鬼が来た!

鬼子来了
2000年,中国,140分
監督:チアン・ウェン
原作:ユウ・フェンウェイ
脚本:チアン・ウェン、シー・チュンチュアン、シュー・ピン、リウ・シン
撮影:クー・チャンウェイ
音楽:リー・ハイイン、ツイ・チェン
出演:チアン・ウェン、香川照之、チアン・ホンポー、ユエン・ティン

 1945年、日本軍占領下の中国の小さな村掛甲台、日本軍の砲台があり毎朝、軍艦マーチがなる村に住む馬大三は愛人と暮らしていた、そんなある夜、謎の中国人が大三に銃を突きつけ、「荷物を預かってくれ」と言った。実はその荷物は日本兵と日本軍の通訳だった…
 『紅いコーリャン』などで知られる俳優チアン・ウェン(姜文)の監督第2作。難しく重いテーマを扱いながら、ブラックユーモアで包み隠し、軽く見られるように仕上げている。

 目につくのは過剰なクロースアップと手持ちカメラで追うアクションシーン。映画のテーマとなるべき部分が語られるとき、カメラは執拗に発話者を追う。丹念に、忠実に発話者の顔を正面からクロースアップで捉える。そのしつこさは耳に聞こえてくる言葉を振り払う。もちろん字幕で読んでいるのだけれど、そもそも耳に聞こえてくるのは言葉であり、その言葉が聞こえなければ、字幕も頭に入ってこない。この映画の言葉は頭に入ってこない。しつこく映されるでかい顔の口が動き、音が出ているのだけれど、その音が意味を成すことはない。
 アクションシーン、手持ちカメラで、動く人を至近距離で捕らえようとするその映像には肝心の人が映っていない。ただ動く何者かがあるだけ。人を斬る瞬間も、走る勢いもそこには映っていない。ただ乗り物酔いを誘うような揺れる画面があるだけ。そこからは中国人と日本軍の関係性は伝わってこない。
 アクションやユーモアでテーマの重さをカヴァーする。それは決して悪いことではない。しかし、そのカヴァーの下のどこかでそのテーマを追求するべきではないだろうか? この映画でその追求されるべきテーマは上滑りするセリフの中にしかない。
 要するに、この映画にはリアルさがない。このリアルでなさの原因は何か。誤解を恐れずに言えば、それはカットの多さ。もちろんカットが多くてもリアルな映画はある。しかし、この映画の場合カットを多く割ることによって、画面と画面のつながりが、そして人と人とのつながりが希薄になる。クロースアップの繰り返しである会話の画面のセリフがなぜ真に迫らないのかと言えば、その一つ一つの発言(一つ一つのカット)が全体から浮いていて、それぞれがひとつの一人語りでしかないからだ。つまりそこには会話が成立していない。役者自身がその人になりきれていないのかもしれない。とにかく、この画面に登場する人たちは生きていないのだとわたしは思う。

将軍と参謀と兵

1942年,日本,109分
監督:田中哲
原作:伊地知進
脚本:北村勉
撮影:長井信一
音楽:江口夜詩
出演:阪東妻三郎、中田弘二、林幹、押本映治、小林桂樹

 昭和16年、北支戦線、作戦中の兵団に斥候が帰ってくる。そのデータを下に参謀長以下参謀は作戦を練り直す。将軍もその会議に顔を出し、作戦の変更を認めた。後は敵を殲滅し、突き進むのみ。意気盛んな兵士はシナ軍をどんどんと追い込んでいく。
 戦時中、陸軍省の協力で中国ロケが敢行された戦争モノ。まさに戦場の中国で撮影されていることを考えているとすごいものがあるが、基本的には戦意高揚映画で、阪妻もまたそれに参加したという形。終始戦闘が繰り返され、兵士たちの勇敢な姿が映し出される。

 このようなストレートな戦意高揚映画というのははじめて見ました。そのようなものだとは意識せずに見始め、30分ほどしたところでそれに気づいたという感じ。戦闘シーンはあれど、血も出なければ、腕ももげなければ、死体も出てこない。戦闘の汚らしい部分は全く出てこず、具体的な敵の姿も出てこない。このあたりがまさにという感じです。
 しかし、このようなことを今取り上げて批判するというのは、全く持ってナンセンスな話で、当時はこのような映画が必要とされ、阪妻もまた参加したということ。進んでかいやおうなくかはわかりませんが、スター役者が参加するということは国民に一種の一体感が生まれるということは確かでしょう。阪妻のような将軍の下で戦いたいと思う若者も多かったかもしれません。この全く血なまぐさくない戦争映画から見えてくるのはこの映画が映す戦闘そのものではなく、戦争がその中に含むそれ以外の戦い。国民意識や戦闘意欲、国民の動員という現代の戦争になくてはならない要素でしょう。だから、この映画はある意味では戦争の一部。陸軍の軍事力の一部であったわけです。つまり、この映画を見るということは、あたかも実際に戦争で使用され銃剣や機関銃を見、手に触れるようなものだと思います。単なる一つの映画を見ているのではなく、映画であると同時に兵器であるものを見ているということ。
 これを推し進めていくと見えてくるのは、映画の持つデマゴギーでしょうか。つまり観客を操作する力。『SHOAH』で書いたことにもつながりますが、映画は見るものをコントロールする可能性を持っているということ。
 今となってはこの映画は、観客をコントロールすることはおそらくなく、それはつまりそのような映画の操作力を冷静に分析する材料になるということです。この映画はとても素朴なものですが、上映された当時は十分にその操作力を持っていた。そのことを考えると、現在の技巧を凝らされた映画には大きな潜在的な力が潜んでいるような気がします。
 そのせいなのかどうなのか、阪妻の演技も控えめです。スターは必要だけれど、スターが目立ちすぎては本来の目的が果たせない。スターにばかり目が行って果敢な兵士たちの姿に目が行かないのでは仕方がないということでしょうか。しかし、阪妻演じる将軍は冷静で、部下を信頼し、決して誤らず、決してあせらず、兵士たちに安心感を与えるのです。わたしがもし、当時若者で、本土でこれを見たならば、「俺も戦争に行かなければ!」と思ったのかも知れません。あくまで「かも知れない」ということでしかないですが、現在から冷静に眺めると、この映画は明らかにそのような効果を狙っていると見えるのです。

SHOAH

Shoah
1985年,フランス,570分
監督:クロード・ランズマン
撮影:ドミニク・シャピュイ、ジミー・グラスベルグ、ウィリアム・ルブチャンスキー
出演:ナチ収容所の生存者

 ナチス・ドイツの絶滅収容所のひとつヘウムノ収容所のただ2人の生存者のうちの一人シモン・スレブニク、当時14歳の少年で、とても歌がうまかったというその男性が監督に伴われてヘウムノを訪れるところから映画は始まる。
 そこから当時からヘウムノの周辺に住んでいたポーランドの人たちへのインタビュー、他の収容所の生存者たちへのインタビュー、もとSS将校へのインタビュー、ワルシャワ・ゲットーの生存者へのインタビューなどホロコーストにかかわりのあるさまざまな人へのインタビューと、収容所跡地の映像、これらホロコーストにかかわるさまざまな資料を9時間半という長さにまとめた圧倒的なドキュメンタリー映画。
 ユダヤ人である監督はもちろんホロコーストの本当の悲劇を世界に伝えるべくこの映画を撮った。これでもかと出てくる衝撃的な証言、映像の数々。

 まず、この映画を見る前に、この映画をほめるのは簡単だと考えた。「ホロコースト」という主題、9時間半もの長さ、貴重な証言の数々、それは歴史的に重要な映像の重なりであり、われわれに戦争の悲惨さとそれを繰り返してはならないという教訓を投げかけるということ。それは見る前から予想ができた。その上で私はこの映画を批判しようという目線で映画を見始めた。その視線が見つめる先にあるのは、この映画の視点が一方的なものになってしまうのではないかという恐れ、現在存在するパレスチナ問題にもつながりうるユダヤ人の自己正当化、そのようなものが映画の底流に隠されているのではないかという危惧を持って映画を見始めた。
 見終わって、まず思ったのはこの映画は紛れもなく必要な映画であり、見てよかったということ。この映画を見ることは非常に重要だということだった。それは単純に映画を賛美し、そのすべてに賛成するということを意味するわけではないが。

 それでも私は9時間半、批判することを忘れずに見続けた。そして批判すべき点もあるということがわかった。
 映画の序盤、映画に登場するのは監督と証言者と通訳。私がまず目をつけたのはこの通訳だ。通訳を介し、通訳が翻訳した言葉で伝える。オリジナルではもちろんそのまま音声で、字幕版でも証言者本人の証言に字幕がつくのではなく通訳の翻訳に字幕がつく。最初これが非常に不思議だった。
 しかも、証言者たちはカメラのほうを見つめることなく、ほとんどカメラを意識させず、監督のほうを見つめる。このような撮り方は監督の存在を強調し、映画が監督によるレポートであるということを明確にする。われわれは証言者の証言を直接聞くのではなく、そのインタビュアーである監督のレポートを見ることになる。

 そして、次に疑問に感じたのが、人物の紹介のときに出るキャプション。ユダヤ人、ポーランド人、もとナチスという線引きは果たして中立的なのか、ユダヤ人とそれ以外という線引きを強調しすぎてはいまいか? と考える。
 そして登場する元SS将校。「名前を出さないでくれ」というその元将校の名前を堂々と出し、隠し撮りをし、隠し撮りであることを強調するかのようにその隠し撮りの状況を繰り返し映す。
 この「隠し撮り」がこの映画における私の最大の疑問となった。果たしてこのようなことがゆるされるのか?

 この元SS将校の生の証言によってこの映画の真実味が飛躍的に増すことは確かだ。被害者や近くにいたというだけの第三者の証言だけでなく、加害者であるナチスの直接の証言は強烈だ。
 しかし、「名前は出さない」と約束し、撮影していることも(おそらく)明らかにせず得た映像と情報を臆面もなく映像にしてしまう。名前を全世界に向けて明らかにする。その横暴さはどうなのか? 確かにそのナチの元将校はひどいことをした。反省をしてもいるだろう。繰り返してはいけないと思っているのだろう。だから証言をした。「正々堂々と名前と顔を出して証言しろ」といいたくなることも確かだ。しかしその元将校にも彼なりの理由があって名前を伏せることを条件にした。その条件があって始めて証言することに応じた。そのような条件を踏みにじることが果たして赦されるのか?
 監督はこの映像がこの映画に欠かせないと考えたのかもしれない。それはそうだろう。せっかく得た映像を使わないのは馬鹿らしい。しかし、私はそれは決してやってはいけなかったことだと思う。それをやってしまうことは一人の映像作家として、表現者として恥ずべきことであり、映像作家であり、表現者であると名乗ることは赦されるべきではない。表現者とは許された条件の中で自分の表現したいことを表現するものであり、禁じられたものを利用してはいけないはずだ。
 映画に限っても、映画とはさまざまな制限の中で作られるものだ。その制限の中に以下に自分を表現するのかが勝負であるはずだ。予算や、機材や、検閲や制限に程度の差こそあれ、その制限を破ることなく作るのが映画であるはずだ。この監督がやったことはたとえば「予算が足りないから銀行強盗をして予算を増やそう」ということと変わらない。
 そこに私は大きな憤りを感じた。

 映画のちょうど真ん中辺りにあるアウシュビッツの映像。生存者の証言にあわせてカメラがアウシュビッツの跡地を進む。その映像は徹底して一人称で、見ているわれわれは自分がその場所に立っているかのような錯覚にとらわれる。そしてそこに40年前に起こっていたことが陽炎のように表れるのを体験する。そのシークエンスは非常に秀逸だ。この映画の中で最も映画的で、最も感動的な場面といっていいだろう。想像させるということは、どんなにリアルな再現よりも効果的である。
 しかし、批判の眼を忘れないように見続ける私はその感動と衝撃の合間に監督の意図を探る。このシークエンスの意図は明確だ。当時のユダヤ人の衝撃と悲しみの疑似体験をさせること。それは殺されていったユダヤ人たちを理解するための近道である。しかしこのような近道を作ることで見ているわれわれはユダヤ人の視線に追い込まれていく。それは中立な視線を保つことの困難さ、ユダヤ人の受難を自分自身の身に降りかかったことであるかのように思わせる誘導。そのような誘導を意識せずに見ると、この映画は危険かもしれない。ひとつの見方に押し込められてしまう危険があるということを常に意識していなければいけない。
 そのような観客の感情の誘導はそのあたりがピークとなる。その後、感情の高ぶりはやや抑えられ、逆に生依存者たちの心理の複雑さも垣間見えるようになる。生存者のほとんどは「特務班」と呼ばれる労働者だった。それは到着してすぐにガス室に送られるユダヤ人とは違う境遇にある。彼らは被害者であると同時に、ナチスの虐殺にある種の加担をする立場でもある。自分が生きながらえるために仕方ないとはいえ、その仕方なさはそれ以外によりどころがないという仕方なさであり、それにすがるしかないというのは心理的に非常にきついことなのだ、ということが証言の端々から感じられる。

 このあたり、映画の後半の証言はほとんど直接に字幕がつく。それは英語であったり、イスラエル語(?)であったりする。それは言語の問題なんだろうか? 単純に監督が通訳を必要とせずに話せるというだけの理由なのだろうか?しかし、字幕なしにすべての言語を理解できる人は少ないだろう。
 この、通訳を介するということから直接の証言への変化はこの映画のつくりのうまさのようなものを感じる。ドキュメントは虐殺の中心、より悲惨な生存者の少ないところから、虐殺の周辺、より生存者の多いところへと移動していく。それとは裏腹に、証言者たちは通訳を介した間接的な存在から、通訳なしで語りかけてくる直接的な存在へと変化する。虐殺の中心から周辺へという移動は、最初で一気に観客をつかむとともに、物語の強弱によって9時間半という長さを退屈にならないようにする。一つ一つのエピソード(たとえばチェコ人のケース)も非常にドラマティックだ。
 このような映画のつくりのうまさは監督の手腕を感じさせると同時に、なんとなく姑息な感じというか、計算高さを感じてしまう。観客を自分の側に取り込んでいくための周到な計画がそこに感じられる。
 もちろんそれが悪いわけではない。ホロコーストという想像を絶する悲惨な体験を自分のものとするためには並大抵の衝撃では無理である。この映画はその並大抵ではないことをある程度実現しているという点ですごい映画であり、この体験をすることは非常に有益である。しかし、映画を見終わってその自分の体験を客観視することが必要になってくる。単純に映画に浸るだけで終わってしまっては、描かれた歴史的事実のはらむ根本的な問題は見えてこない。
 この映画もまたひとつの暴力であるということを見逃してはいけない。私があくまでもこだわる元SS将校の証言はその具体的なものだが、全体としてこれがナチを一方的に攻撃していることは確かだ。そしてそれはユダヤ人を正当化することにつながりうる。

 この映画を見終わって、監督があまりに感情的であることに救われる。もしこのようなドキュメントを冷静に描いていたらこの9時間半は鼻持ちならない時間になってしまっていたことだろう。そうではなくて、この映画があくまで監督の憤りの表現であることがわかると、納得できる。果てしなく果てしなく果てしないモノローグ。他人の口を借りたモノローグ。それがモノローグであることを理解したならば、そのメッセージを冷静に噛み砕くことができる。そしてその部分部分は歴史的証言として非常に価値がある。そしてまたこのモノローグが吐露する憤りはユダヤ人といわれる人たちに(少なくともその一部に)共有されている感情なのだろう。
 そのように自分なりに客観的に見つめてみて、あとはこの映画からはなれて、しかしこの映画とかかわりのあるさまざまなことごとと接するたびに思い出すことになるだろう。

キプールの記憶

Kippur
2000年,イスラエル=フランス=イタリア,127分
監督:アモス・ギタイ
脚本:アモス・ギタイ、マリー=ジョゼ・サンセルム
撮影:レナート・ベルタ
出演:リオン・レヴォ、トメル・ルソ、ウリ・ラン・クラズネル、ヨラム・ハタブ

 ヨム・キプール戦争の勃発とともに、部隊から呼び出された予備役兵のワインローブとルソ。しかし、国境地帯はすでに交戦中で、自分たちの部隊にたどり着くことができない。どうしようかと思いあぐねていたとき、車が故障して困っていた軍医に出会い、彼を連れて行った救急部隊に入った。
 ギタイ監督に実体験をもとに撮ったというだけあって、とにかく戦場から負傷者をヘリで運び出す彼らの姿は非常にリアル。

 ギタイ映画はサウンドがとても印象深い。この映画の冒頭も、町中に響く祈りの声が閑散とした街の中にこだまするさまがとても美しい。そして、全般にわたって耳にとどろくヘリコプターの音。それはとにかくうるさい。まさにセリフをかき消す音。しかし、それはその音がやんだとき、あるいはその音にならされてしまったとき、不意に襲ってくる何かのための伏線か? 
 それにしても、負傷者や爆撃がこれほどリアルに描かれているということは、相当予算もかかっているはずで、それはつまりアモス・ギタイが世界的に認められてきたということだろう。それはさておき、このリアルさにもかかわらず、この映画には敵の姿が一度も現れないというのがとても興味深い。戦争映画というと、必ず敵が存在しているはずで、この映画でもシリアという具体的な敵が存在して入るのだけれど、それが具体的な像として映画に現れることは一度もない。現れるのはシリア軍が打ち込んでくる砲弾だけ。この敵の不在にはいったいどのようなメッセージがこめられているのか? 戦争において敵の存在とはいったいなんであるのか? 当たり前のように敵の兵士が登場する場合よりも、この方が敵というものについて考えさせられる。シリアとその背後にあるソ連という漠然とした敵は存在し、そこに兵士が存在していることは明らかなのだけれど、そのシリアの兵士たちと、イスラエルの兵士たちの間にどれくらいの違いがあるのか?シリアのワインローブたちも砲弾の下をくぐって負傷兵たちを運んでいるのだろう。
 そのように考えると、どんどんわからなさは増すばかり。日常からすぐに戦場へと赴き、戦場からすぐに日常へと復帰したワインローブにとって戦争といったいなんだったのか? 人を狂気に追いやりすらするほどの恐怖を伴う戦闘をどのように受け入れているのか?

地獄の黙示録 -特別完全版-

Apocalypse Now Redux
2001年,アメリカ,203分
監督:フランシス・フォード・コッポラ
脚本:フランシス・フォード・コッポラ、ジョン・ミリアス
撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
音楽:カーマイン・コッポラ、フランシス・フォード・コッポラ
出演:マーティン・シーン、マーロン・ブランド、デニス・ホッパー、ロバート・デュバル、フレデリック・フォレスト、アルバート・ホール

 ベトナム戦争のさなか、一時帰国後サイゴンで腐っていた陸軍情報部のウィラード大尉が上層部に呼ばれる。彼の新たな任務は現地の兵士たちを組織して独自の作戦行動をとるようになってしまったカーツ大佐を探し出し、抹殺するというものであった。ウィラード大佐は3人の海兵隊員とともに哨戒艇に乗り込み、ベトナムの奥地へと向かう。
 1979年に製作され、コッポラの代表作となったオリジナルに53分の未公開シーンを加えた完全版。恐らくコッポラとしてはそもそもこの長さにしたかったのでしょう。

 この映画がリバイバルされることは非常に意味がある。この映画は「音」の映画であり、この映画の音を体感するには近所迷惑覚悟で、テレビのボリュームを最大にするか、劇場に行くかしなければならない。大音量で聞いたときに小さく聞こえるさまざまな音を聞き逃しては、この映画を本当に経験したことにはならないからだ。
 音の重要性はシーンのつなぎの部分の音の使い方からもわかる。この映画はシーンとシーンを音でつなぐことが多い。シーンとシーンの間で映像は飛んでいるけれど音は繋がっている。というようなシーンが非常に多い。あるいは、シーンの切れ目で音がプツリと切れる急な落差。そのように音を使われると、見ている側も音に敏感にならざるを得ない。そのように敏感になった耳はマーロン・ブランドのアタマを撫ぜる音を強く印象づける。
 ウィラード大尉の旅は一種のオデュッセイア的旅であるのかもしれない。そう思ったのは川を遡る途中で突然表れた浩々とともる照明灯。それを見た瞬間、「これはセイレンの魔女だ」という直感がひらめいた。もちろんウィラード大尉はオデュッセイアとは異なり、我が家へ、妻のもとへと帰ろうとするわけではない。彼は殺すべきターゲットのもとに、いわば一人の敵のもとへと向かうのだ。しかし、その旅の途上で彼はカーツ大佐に対して一種の尊敬の念を抱くようになる。しかも、彼は帰るべき我が家を失ってしまっていた。一度我が家であるはずの所に帰ったにもかかわらず、そこは落ち着ける所では無くなってしまっていた。そんな彼が目指すべき我が家とはいったいどこにあるのというのか?
 またその旅は、現実から遠く離れてゆく旅でもある。川を上れば上るほど、ベトナムから遠く離れた人々が考える現実とは乖離した世界が展開されて行く。果たしてベトナムにいないだれが軍の規律を完全に失ってしまった米軍の拠点があると考えるだろうか? ベトナムから離れた人たちにとっては最も現実的であるはずの前線がベトナムの中では最も現実ばなれした場所であるというのは非常に興味深い。
 そもそも戦争における現実とはなんなのか? 戦争において現実の対極にあるものはなんなのか? 狂気? 狂気こそが戦争において唯一現実的なものなのかもしれない。 恐怖? 恐怖は戦場では常に現実としてあるものなのだろうか?