生物みなトモダチ<教育編> トリ・ムシ・サカナの子守歌

1987年,日本,165分
監督:亀井文夫
撮影:菊池周
出演:小林恭治(朗読)

 映画はサケが故郷の川をさかのぼるところから始まり、まずはサケの生態が紹介される。さらに自然の生物たちの生態が紹介されるが、この映画の焦点は明らかに現代文明批判、人間批判にあり、映画の後半はそのことに終始する。 亀井文夫は映画の冒頭に「鳥になった人間(亀井文夫)のシネ・エッセイ」とタイトルを出すように、超然とした存在として人間の世界を眺める。
 さまざまな映画会社の協力を得てフィルムを使い、ボランティア・スタッフのみによって完成された映画。亀井は病に倒れながらも編集を続け、完成とともにこの世を去った。

 亀井文夫については思想的な部分でさまざまなことが言われている。共産党員であったり、しかし一方で共産党から批判されたり、賞賛されることもあるが、どのセクトからも攻撃されることもあるというような立場に立たされる。それは彼がそのような思想のフォーマットから自由であるということを意味している。「共産主義」とか「反戦」とかいうレッテルのついた思想にこだわることなく、自分なりの思想性を確立させていく。そのような映画作家であると思う。人々はそのときそのときの作品を見ながら、これはどうであれはどうだとか、亀井文夫は変わったとかいうけれど、亀井文夫自身には全く関係のないことだ。
 この作品から離れ、亀井文夫作品全体の印象になってしまうが、わたしには亀井文夫の思想の根底にあるのは民主主義とキリスト教であるような気がする。無理やりに当てはめるならば原始キリスト教的共産主義。もちろんこの当てはめも亀井文夫にとっては意味を成さないが、そのようなものに近い思想と考えれば理解しやすいかもしれない。
 共産主義を唱える人々はこの映画で亀井文夫が回帰したムラ共同体について批判する。しかし、別に亀井文夫はそれが人間のあるべき姿だといっているわけではなく、人間が自然と共存するための生き方の原型であるといっているだけである。果たして彼にとって、まず人間があるのか、それともまず自然があるのかはわからないが、少なくとも人間は自然の一員でしかないということを強調する。そのために歴史上でもっともふさわしかった形がムラ共同体だったということをいっているだけで、そこに回帰せよといっているわけではない。
 どうも、形にはまらないということは、論じにくいということになってしまいますが、自然と人間との関係性を深く考えることこそ必要だということかもしれない。

 ところで、この映画で気になったのは、あまりに「種の保存」を強調しすぎること。「種の保存」を強調することは人間が自然に反していることを立証することにつながるが、「種の保存」から人間の生活を説明することは難しい。それはあまりに自然に回帰しすぎ、人間の生活には近づいていかない。果たして人間が一つの「種」として存在しえるのか、本当に生物は「種の保存」のために生きているのか、ということをこの映画は説明しないまま、とにかく人間が「種の保存」の原則に反しているということを繰り返す。果たして、「種の保存」とはそんなに異論の余地のない理論なのだろうか? 
 などという疑問を抱きながら、まとまらないまま映画を見終わる。亀井文夫の遺言は結論ではなく、新たな疑問をいくつも提起するようなものだった。

戦争と平和

1947年,日本,100分
監督:亀井文夫、山本薩夫
脚本:八住利雄
撮影:宮島義勇
音楽:飯田信夫
出演:池辺良、岸旗江、伊豆肇、菅井一郎

 太平洋上で撃沈された軍艦。そこに乗っていた兵士の一人健一は中国に流れ着き、そこでホームレスのような生活を送る。一方、健一の妻町子のもとには健一の戦士を告げる通知が届く。そんな時、健一の親友で精神に異常をきたして戦争から戻ってきていた康吉が町子の名を呼んでいると言われて町子は病院に赴く…
 戦争に振り回された人々の戦中から戦後への生活史。そして、戦争に翻弄された家族と愛の物語。物語は地味で味わいのあるものだが、映像はなんだか恐怖映画のようで妙。

 戦死の誤報による二重結婚、それは実際にかなりの数起こった事態だろう。それを戦争直後に映画にするということは、かなり自分たちの生活に密接した映画であるという印象を与えたことだろう。そして、戦場のショックによる精神障害というものもまた、かなりの数に上ったことも想像に難くない。だから、この映画は当時の観客たちにとっては身につまされるというか、あまりに身近なことであったに違いない。映画に映っている風景も、自分たちの生活そのまま(健一が夜の街をぶらぶらするシーンなどは、あまりにリアル)なのだと思う。そのような映画であると考えると、これを今見ることは一種の過去を知る資料的価値という意味が一番大きくなってしまうのかもしれない。
 物語は、地味だけれど、そのような要素もあってとてもリアルで、あいまいなところもとても意味深い。

 ただ、登場人物の心理の機微なんかはあまりうまく表現されていない。それは、おそらくクロース・アップのやたらの多用と、人物への妙なライティング(下からライトを当てているので、影のでき方が恐怖映画のよう)が原因だろう。
 そして、これは多分戦争直後の物資難、映画の制作に際してもライトなどの道具が不足し、もちろんフィルムも十分ではなく、そのような環境で撮っているせいだろう。特に、ライティングという面がこの映画ではかなり問題で、恐怖映画のようなライティングというのは一つのわかりやすい不合理さだが、クロースアップの多用というのも、光量の不足から、表情をしっかり映すためにはクロースアップにするしかなかったということもあるのだろうと思われる。
 そんな事情の中で撮られた映画であることは創造できるけれど、今この映画を見る場合には、映画としての評価はマイナスにならざるを得ない。この映画にこのライティングや編集はやはり妙だし、ミスマッチである。歴史的(一般的な歴史でも映画史でも)にはいろいろ考えさせられることもあるけれど、単純に映画としては、あまり成功しなかったといわざるを得ない。

 ところで、この主演の女優さんは岸旗江といって、あまりよく知りませんが、なんだかちょっと原節子にのなかなかの美人。第1期東宝ニューフェイスということですが、どうもあまり主役級の作品はなく、地味に長く女優さんをやっていたようです。どうして、スターになれなかったんだろうなぁ…

生きていてよかった

1956年,日本,49分
監督:亀井文夫
撮影:黒田清巳、瀬川浩
音楽:長沢勝俊
出演:山田美津子(解説)

 1955年、原爆投下から10年を迎えた広島・長崎で「第1回原水爆禁止世界大会」が開かれた、亀井文夫はその支援運動のひとつとして、その前後の期間、広島と長崎で被爆者たちを取材し、それをドキュメンタリーとしてまとめた。
 映画は顔の4分の1ほどが崩れ落ちた女神の像からをバックにしたタイトルから始まる。これは顔にケロイドができてしまった少女たちのメタファーなのだ。一部原爆投下直後のフィルムも織り交ぜられ、原爆投下10年後の現実を余すことなく伝える。
 勅使河原宏も助監督として参加している。

 50年代に入り、亀井は基地問題についてのドキュメンタリーを次々と発表したが、それもまた戦争と人々との係わり合いについて考えるためのものであったのかもしれない。そしてこの作品も戦争と人々とのかかわりについて考えさせられる。簡単に言えば、戦争は一部の人には深い傷跡となって残り続けるけれど、他の人々には忘れ去られてしまうものだということだ。亀井の作品はその忘却に抗って、そしてさらにそもそもそのような悲劇を知らない人々に知らしめるものである。
 それを象徴的に示すのは、原爆記念館を訪れた外国人の女性の「こんなことはあってはならない」というセリフだ。このセリフを吐かせたのは、原爆によってひん曲がってしまった少女の手のレプリカであり、それが展示されることが可能になったのは、その少女の母親が周囲の冷たい視線や反対を押し切って積極的に展示しようと動いたからだ。周囲の視線や、いわれなき差別は原爆被害者たちにその傷跡を隠そうとさせる。もちろん被害者たちもそのような傷跡を治療し元に戻したいだろうが、周囲がさらにその傷に塩を塗りこむようなことをする必要はない。
 そんな当たり前のことをこの映画は再認識させる。日本で育っていれば大概見たことがあるだろう原爆被害の悲惨な写真や映像やエピソードも時間とともに忘却のかなたに追いやられてしまう。それは新たな戦争、新たな核兵器への警戒心を緩めてしまう。だからその悲惨さや苦しみをくり返し忘却の淵から取り出さねばならない。
 この映画の戦争とのかかわり方はそういうことだ。戦争という悲劇を忘却の淵から掬い上げること。それもまた映画というものが戦争とかかわる一つのやり方である。

戦ふ兵隊

1939年,日本,66分
監督:亀井文夫
撮影:三木茂
音楽:古関裕而

 日本軍が奥地へ奥地へと侵攻していく中国大陸、映画はその中国の農民の姿で始まる。家が壊れたり焼けたりして途方にくれる人々、続いて「いま大陸は新しい秩序を 生み出すために 烈しい陣痛を 体験している」という文字が画面いっぱいに映される。
 この映画はナレーションはないが、字幕というかキャプションによって画面が中断される。そしてその字幕の多くは日本軍の偉業をたたえるものだ。そんな字幕によって区切られながら、映画は中国の奥深くへと進んでいく日本軍のあとを追う。
 この映画は内務省の検閲に引っかかって、公開禁止となり、ネガも焼却されたため「幻の映画」とされていたが、1975年に1本のポジフィルムが見つかった。

 この映画は『上海』や『北京』と比べると、兵隊たちが映っているシーンが多いが、それでも多くの部分を中国人たちの映像や、兵隊の平時の映像が占めている。これは亀井文夫の戦争に対する一貫した姿勢の表れで、それは『上海』のときのも述べたように、反戦とか軍部批判とかいったことではなく、あらゆる価値に対して中立であろうとしているということだ。
 それでも、少なくともこの映画が当時の映画界を支配していたプロパガンダ映画と異なっているということは確かだ。この映画を見て人々が戦争へと駆り立てられることはおそらくない。字幕の文字上では皇軍を賛美し、日本軍の偉大さを喧伝しているけれど、画面はそれとは裏腹にひっそりと静かである。最初に兵隊たちのキャンプが映るシーンで、断続的に大砲の音が鳴り響いているにもかかわらず、兵隊たちの行動に全く焦燥感はなく、日常的な光景が展開されている。これは文字や音よりも映像こそがメッセージを語るという信念の表れであるように思える。映画からナレーションを排したも、そのような映像の力を信じてのことだろう。

 このようなことを考えると、やはり亀井文夫は世間で言われるようにただ一人、戦争に反対し続けた映画作家だといいたくなっても来る。しかし、やはりわたしは亀井文夫が戦争に反対しているとは思えないし、そもそもこのようなプロパガンダではない映画を撮っていたのが亀井文夫一人であるとも思えない。阿部マーク・ノーシスは亀井がこのような反戦ととれるような映画を撮って、「どうして無事でいられると思ったのだろう?」という問いを自ら立て、それは「他の人々も全く同じように考えていたということだ」と答えている(山形国際ドキュメンタリー映画祭2001 亀井文夫特集 パンフレット)。
 それはつまり、このような映画をトルコとは普通のことであって、むしろ検閲に引っかかったことのほうが不思議なくらいだったということだろう。そしてそれは、この映画が検閲を逃れようと工夫を凝らして作られたというよりは、素直に、思うがままに使える素材を十分に使って(多少の自主規制はあったにせよ)作られた映画だということだ。

 この映画は、映画というものが戦争とかかわる一つのかかわり方を示している。戦争と映画のかかわりについての議論に上るのはたいていの場合、その映画が戦争を推進するのか、それとも戦争に反対するのかということだ。
 これに対して、この『戦ふ兵隊』を中心とした亀井の一連の戦争ルポルタージュは戦争に賛成という表面上の意見表明は保ちながら、その実、賛成でも反対でもないという立場を暗に示す。
 では、この映画がどのように戦争とかかわっているのだろうか。基本的にこれらの映画が描くのは戦争と人間、あるいは自然との係わり合いで、戦争が人々の生活や自然にどのような影を落とすのかを描く。これはつまり、映画を見ている人々(つまり実際に戦場には行っていない人々)と戦争との係わり合いを描いたものなのである。
 戦争に対する賛成/反対を述べる映画にはその特定の戦争の評価、つまりその戦争が正義であるか否か、という価値判断が映画そのものの価値にかかわってこざるを得ない。それに対して亀井の戦争映画はより普遍的な戦争に対するかかわり方や姿勢を示すことが可能である。
 亀井がここで表明しているのは、戦争とはその戦場に住む人々や自然にとっては悲劇以外の何ものでもないということだ。それはその戦争が善であるか悪であるかという越え、戦争一般が是であるか費であるかという判断も留保し、ただ見る人それぞれにその戦争の、そして戦争一般の是非を問うているのだ。
 もちろん亀井のメッセージは「戦争は悲劇である」ということだろう。しかし、それを受け入れるかどうかは見るものに委ねられている。

小林一茶

1941年,日本,27分
監督:亀井文夫
撮影:白井茂
音楽:大木正夫
出演:徳川夢声(解説)

 「信濃では 月と仏と おらが蕎麦」という一茶の句に続いて、その句から思い起こされる長野県の、主に農民たちの生活を映していく。
 この映画は長野県が東宝に委託して作った観光PR映画「信濃風土記」シリーズの2作目として作られた。戦争が終わり、ようやく戦争物から離れることができた亀井文夫はこの作品で軽妙な語り部としての才能を如何なく発揮している。これが長野県のPRになっているかどうかはともかくとして、小林一茶について描いたものとしてはかなり面白いものであることは確かである。

 とても、短い映画なんですが、内容はなかなか濃いというか、小林一茶と生まれ故郷の長野の関係をしっかりと伝えている。そして長野県の土地の貧しさや農民の苦労を伝えている。だからこれを見て長野県に行こうとは思わないけれど、一茶には興味を持てる。
 さて、この映画は一茶の句をキャプションとして、それで章を区切って一茶の生涯を語っていくわけですが、その一つ一つの断章はある意味では一つの句の解釈になっている。わたしは俳句のことはほとんどわからないんですが、その解釈はおそらく一般的なものとは違う。終わり近くに「やせ蛙 まけるな一茶 ここにあり」という句を出して、露害にやられた農民の姿を映す。そして、もう一度、今度はクローズアップで句のキャプションを出し、続いて農民のクローズアップを映す。このあたりの喜劇的なところも感心するが、その解釈の仕方にも感心する。喜劇的といえば、映画の最後に一茶の四代目の孫という人物が出てきて、「俺は俳句を作らないが米作る」といったところではなんともいえないおかしみが漂った。(その人が小さな一茶記念館「のようなもの」をやっているというのもささやかな観光PRっぽくって面白かったが)

 この映画のいいところは、一茶の句の力強さを認識し、映像がそれに勝てないことを前提としている点だ。一茶の句と拮抗する形で映像を提示するのではなく、一茶の句を広げる、あるいは句の余韻が残っている中で、それを映像で補完する、そのような作り方をしている。
 俳句と映画という意外な組み合わせがこんなにも豊かな映像作品を生み出すというのは、作家のそんな謙虚な姿勢があって初めて可能だったのだろう。

北京

1938年,日本,74分
監督:亀井文夫
撮影:川口政一
音楽:江文也
出演:松井翠声(解説)

 1938年、東宝文化映画部は当時中国を侵攻していた日本軍を追ったルポルタージュを三部作として製作した。この映画はその3作目で、1作目の『上海』に続いて亀井文夫が構成・編集を担当している(第2作目の『南京』の監督は秋元憲)。
 映画の作りは基本的には『上海』と同じで、兵隊や戦場を撮るよりも、日本軍が通り過ぎた街の風景やそこに住む人々を描く。むしろ『上海』よりもさらに戦争そのものから離れてしまったような印象すら受ける。

 現存するフィルムでは、映画の最初の1巻が失われてしまったというテロップが最初に流れる。映画は紫禁城の建物や、そこに住んでいた西太后らについての解説から始まる。想像するに、1巻目には戦況の解説や北京の街についての概説が収められていたのだろう。それに続いて北京最大の建造物である紫禁城について描く。そのような構成であったと想像する。
 それは、この映画が『上海』と比べてもさらに戦争そのものについての言及が少なく、明確なものとしては終盤に登場する爆撃隊の映像くらい。それを考えると、最初にそこを抑えていたと考えざるを得ないわけだ。

 そのようなことを踏まえた上でこの映画について考えてみると、そもそも戦争というものが頭に浮かんでこない。『上海』では既存の戦争ルポルタージュの文法を逆手にとって、それとは違うものを作っているという感じがしたけれど、この映画はそもそも戦争ルポルタージュではないという気がしてくる。単純なルポルタージュで、その場所がたまたま戦場であっただけというような、そんな印象。
 特に映画の後半は、北京に住む普通の中国人たちの生活を克明に描く。わたしが一番好きなのは、糸屋とか紙屋とか床屋とかいろいろな商売の人たちが登場し紹介されるシーン、ほとんどの人は行商というか、売り物や商売道具を持って歩き回り、おそらくそれぞれの職業に特有だと思われる鳴り物で客を呼ぶ。これをとにかくいろいろな商売について紹介していく。ただそれだけのシーンなんだけれど、その商売の多様さや細分化の度合いを見ていると、それだけでそこで暮らす人々の暮らしぶりが見てくる気がする。

 まあ、それは冒頭の破壊された町の風景とは裏腹に、戦争があっても人々の暮らしは変わらず続くというメッセージであると受け取ることもできるけれど、わたしはその風景を、素朴に単純に眺め、味わいたい。この映画には、そのように感じさせるゆるりとした空気が流れている。
 そんな空気の中では、唐突に言及される爆撃隊はこの映画が戦争ルポルタージュであることを思い出させるためだけにあるような気がしてきてしまう。

上海

1938年,日本,81分
監督:亀井文夫
撮影:三木茂
音楽:飯田信夫
出演:松井翠声(解説)

 1937年、日中戦争勃発。軍部は東宝の文化映画部に働きかけ、現地での日本軍の活躍を映画として公開することにした。そうしてカメラマンの三木茂を中心にスタッフが現地に赴いて撮影を行い、監督の亀井文夫がそのフィルムを編集して一本の映画を完成させた。それがこの『上海』である。
 亀井文夫は三木茂が中国に渡る前に演出メモを渡し、従来の「行進する兵隊」のような典型的な映像ではないエレジーを感じさせる映像を撮ってくるように言ってあった。かくして、この映画はいわゆる国策映画とは違う映画となった。

 映画は上海についての説明から始まる。地図を使ってイギリスやフランスの租界、中国人街、戦場となっている場所などが説明される。それから、実際の上海の街の映像に。そこでは、映像も解説もそこが戦場であるとは感じられないということを表現する。高層ビルが建つ大都会上海、各国の国旗がはためく国際都市上海、そのようなイメージを観客につかませる。
 そこから、もっとミクロな方向へ描写は進む。中国人の抗日の動きや、それに対処する日本軍の活躍なども描くが、最も中心として描かれるのは上海の人々の暮らしだ。そこにはもちろん日本人も含まれるが、中国人も含まれる。そもそも見た目では日本人も中国人もあまり区別がつかない。しかも、松井翠声の解説は画面に映っているものをストレートに解説するのではなく、全体的な状況を語る。だから、画面に映っていることがいったいなんなのか、つまり何を伝えようとしてこのような映像を見せるのかが判然としない。
 もちろん、この映画は日本軍の活躍や偉大さや敵たちの卑小さや残酷さを伝えるために作られるべきだった。だから、この映画はその意味では失敗作といわざるを得ない。しかし、そのような意図で見られる必要がなくなった現在にこの映画を見ると、そもそも亀井文夫はそのようなことを伝えようとして映画を作っていないことが見えてくる。
 しかし、だからといって反戦とか、軍部批判とか言った攻撃的な意図から作られているわけでもない。この映画を見ていて感じるのはそれがあらゆる価値に対して中立であろうとしているということだ。どちらがいい悪いではなく、みんな人間なんだということ。大きく言ってしまえば、中国という雄大な自然の中ではみな卑小な存在に過ぎないんだということを言いたいのではないかと感じる。
 たとえば、日本軍が中国兵が閉じこもった倉庫を攻略したというエピソードを語るとき、そこに残されたパンと映画の包み紙が映され、解説ではそれが中国軍の卑小さの象徴のように語られる。しかし、その言葉はなんだか空々しく、その画面から受ける印象はむしろ、中国兵たちも生きようとしていたということだ。あるいは、日本兵たちはそれを見てうらやましかったのではなかろうかということだ。
 それは、戦争の勇猛さを伝えるのではもちろんなく、かといって戦争の悲惨さを伝えるのでもない。否定的に言えば戦争の無意味さというかむなしさを伝えるもので、あるいは戦争の日常性というか、戦争を戦っている人々というのは日常や自然とつながっているのだということ、そのようなことを伝えようとしているような気がする。