1966年,日本,100分
監督:成瀬巳喜男
原作:エドワード・アタイヤ
脚本:井出俊郎
撮影:福沢康道
音楽:林光
出演:小林桂樹、新珠三千代、三橋達也、若林映子、草笛光子
思いつめた顔をした男・田代。ひとりカフェに入り、ビールを飲んでいると偶然友人・杉本が通りかかった。鎌倉に住む古い友人同士の2人はそろって鎌倉の行きつけのバーに行く。そこで杉本は妻さゆりが事件にあったと聞かされ、東京にとんぼ返りした。田代はひとり家に帰るが…
成瀬巳喜男の晩年のストレートなサスペンス映画。
基本的にスリルを楽しむサスペンスというよりは、人間の心を描こうとしている作品だとは思う。もちろん表情やしぐさから感情の動きは存分に伝わってくるのだけれど、それが過ぎると物語としての面白みが削られてしまう。人々の表情やしぐさから伝わってくる感情や考えというものは物語と絡み合って、サスペンスならではの観客の意識に微妙な揺れを生み出すからこそ意味があるのであって、タダひたすら「我」を言葉なしに語ってしまうだけでは意味がない。
しかしさすがに巨匠といわれる成瀬巳喜男、映画の作りにそつはなく、特にカットとカットのつなぎ方があまりにスムーズ。あまりに自然なので、するすると目の前を通り過ぎていってしまうけれど、よく見てみればこれほどのよどみない繋ぎを生み出すのは至難の技なのだろうなと感心する。それは専門技術的なことではなくて、単純にカット同士の繋ぎに違和感がないということ。1つのシーンを見ても果たしてそのシーンが1カットだったのか複数のカットからなっていたのか一瞬わからないくらいの自然さ。おそらく全編を綿密に見れば、いろいろなつなぎ方で見事な流れを作り出しているのでしょう。
そんな巨匠ならではのすごさも感じつつ、サスペンスとしては「並」と判断せざるを得ません。小林桂樹が悪いわけではないのでしょうが、ちょっと眉間にしわを寄せすぎたか。
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