Don
1998年,イラン,90分
監督:アボルファズル・ジャリリ
脚本:アボルファズル・ジャリリ
撮影:ファルザッド・ジョダット
出演:ファルハード・バハルマンド、バフティアル・バハ、ファルザネー・ハリリ

 9歳のファルハードは戦争中に生まれ、両親が届をしなかったために戸籍がない。しかも父親は麻薬におぼれ、服役を繰り返す。学校に通うこともできないファルハードはもぐりで雇ってくれる働き口を探して歩き回る。ただ一枚の身分証のために雇ってもらえないファルハード、それでも彼は歩きつづける。
 ジャリリが街の少年の経験を少年自身によって再現させたフィルム。いまだ混迷するイランの社会を克明に描く。

 少年の経験を少年自身によって再現したことの利点は、ファルハード少年が過去を追体験することによってよみがえってくる感情のリアルさ。特に表情に表れる彼の不安感がリアルである。
 社会的な問題を少年の視点から見るというモチーフはイラン映画では定番。したがってこのモチーフで秀逸な映画を作るのは難しい。どれも良質ではあるけれど、「これはすごい!」と驚嘆できるものはなかなかないのです。同じモチーフを繰り返すことからくる弊害。なんだか区別がつかなくなってくる感じ、それがこの映画にもあります。
 ということなので、モチーフから離れてテーマ的なものへと話を進めましょう。私がこの映画を見て一番考えたことは「嘘」ということ。少年の口をつく数々の嘘、嘘をついてきたがために上塗りしなければならないさらなる嘘、理由はないけれど反射的についてしまう嘘、それらの無数の嘘が果たして本当なのか嘘なのか最初はわからない、しかし映画を見進めるに連れて、「嘘なんだろうな~」と断定的に見てしまう自分がいる。そんな自分も怖いし、少年にそうやって嘘をつかせてしまう社会も怖い。その嘘をつくときの少年の表情は今にも泣き出しそうで、その表情が目に焼きつきます。
 そのようにして少年の感情に誘導されたわれわれは大人たちの理不尽さに怒りを覚え、少年の当惑と憤りを肌で感じることができる。

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