洞
1998年,台湾=フランス,93分
監督:ツァイ・ミンリャン
脚本:ツァイ・ミンリャン
撮影:リャオ・ペンロン
出演:ヤン・クイメイ、リー・カンション
2000年まであと7日と迫った台湾。あるマンションで謎のウィルスが蔓延し、隔離する措置がとられていた。そこに住む若い男は地下の市場で乾物屋を営む。その男のところに下の階で漏水しているので調べさせてくれと水道屋がやってくる。下の階には女性が住み、異常なほどの水漏れで家はビチョビチョだった。
近未来を舞台に、ミュージカル的な要素も織り交ぜた異色作。かなり不可思議な空間だが、何故か心地よい。
まっとうな映画を見ている人のまっとうな反応はおそらく「なんじゃ、コリャ」というもの。全くわけがわからない。ストーリーもわからなければ、途中で挿入される妙に長い歌のシーンもわけがわからないということになる。小難しく映画を見ている人は、何のかのと解釈をつける。世紀末とか、懐古主義とか、閉鎖空間とかそういった感じで、多分精神分析的に見たりすることもできる。
しかし、わたしはこの映画はなんとなく見るべきだと思う。目に飛び込んでくるもの、耳に流れ込んでくるものをただただ受け入れる。そこに間があって、何かを思考できる時間があっても、そんなことはやめて映画がパズルのように頭の中に納まっていくのを待つ。答えを得ようとするのではなく、そこに何かひとつの空間が立ち上がってくるのを受け入れる。そのような見方をしたい。
と、言いながら、それを解釈してしまうのですが…
そのようにしてみると、この映画に存在するのはひとつのカフカ的な空間であり、しかしそれは決して悲劇的ではない。階上の男は孤独という迷宮に、階下の女は水という迷宮にとらわれているわけだが、その独立して存在するはずの2つのカフカ的迷宮がひとつの穴によってつながったらどうなるのか、全体としてはそのような映画なのだと思う。
そこに挿入される歌はいったいなんなのか? この解釈はおそらく自由、投げ出されたものとして存在しているでしょう。映画とは直接関係のなさそうな歌詞と映像。映画のために作られたのではなく、もともとあった音楽なので、それは当たり前なのですが。おそらくこの映画は音楽のほうから作られている。ひとつの高層があり、そこにあう音楽を探したのではなく、まず音楽があって、そこから映画ができた。グレース・チャンという一人の昔の(50年代ころらしいですが)スターがいて、その音楽がつむぎだす時代と世界というものがある。それに対して現代(あるいは近未来)というものがある。そこのすりあわせで生まれてきた世界がこの映画であるということなのだと思います。
「Hole」は2つの部屋(カフカ的迷宮)をつなぐ空間的な穴であると同時に、過去と現在をつなぐ時空間的な穴でもあるのかもしれません。
このレビューを読んでさらにわからなくなった人。あなたは正しい。
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