1962年,日本,98分
監督:黒澤明
原作:山本周五郎
脚本:菊島隆三、小国英雄、黒澤明
撮影:小泉福造、斎藤孝雄
音楽:佐藤勝
出演:三船敏郎、仲代達矢、加山雄三、志村喬、田中邦衛

 藩内で賄賂が横行していることを発見した若い侍たちが神社の八代で相談をしていた。その相談は侍の一人井坂の叔父である城代家老に相談したところ、うやむやにされたため、大目付の菊井に話を持っていき、協力するといわれたというものだった。そのとき、社の奥から薄汚れた浪人の男が現れ、彼らに意見した。侍たちはその浪人をもちろん信用しなかったが、そのとき男の言ったとおり菊井の軍勢が社にやってきて…
 『用心棒』の三十郎が再び登場し、若侍たちと活躍する痛快時代劇。黒澤明の映画の中ではユーモラスなもので、黒澤ビギナーでも楽しく見ることができる。もちろんそれにとどまらない深みもある作品。伝説的なラストシーンも必見。短いのもいい。

 なんといっても椿三十郎というキャラクターのつくりがすばらしい。黒澤明のテーマのひとつであるといえる「人情」の塊であり、ユーモアがあり、男らしく、かっこいい。このキャラクターを作るには過去がないといけない。もちろん『用心棒』を先に見ていれば、それを過去として認識できるわけだが、見ていなかったとしても、そこにさまざまな過去を暗示する。
 物語の展開はスピーディーで、それも黒澤らしくないという面がある一方で作品としての完成度を増している。「長さ」によって「間」を作り、観客に考えさせるという黒澤のスタイルはここでは鳴りを潜め、モダニズム的なスピード感を作り出す。60年代という時代、「俺だってこれくらいはできるんだ」とでも言いたそうな黒澤明の根性を感じる。
 しかし、この作品の完成度は非常に高い。無駄なカットはまったくない。登場人物にも無駄がなく、そのキャラクターとプロットが非常にうまいバランスをとりながら展開していく。椿三十郎、侍たち、室戸半兵衛、だけではなく、城代家老夫人、押入れの侍など脇役のキャラクターも映画に欠かせない要素となる。侍たちの半分くらいは別にいなくてもかまわないかもしれないけど。
 このように登場人物を無駄なく使うというのは実は非常に難しいことだ。脚本や撮影の段階ではすべてがつながっていても、編集によって余分なものをそぎ落としていくうちに、ただ笑いのためだけにいるキャラクターや、説明的な役割のキャラクターが出てきてしまうものだ。しかし、この映画は100分弱という短い時間にまで削りながらも絶妙のバランスを維持している。

 さて、内容のほうに行きましょう。この映画、なんと言ってもすごいのはラストシーン、このラストシーンは文字通り映画史に残っているわけです。しかし、このラストシーンはただ観客を驚かせるためだけに存在しているわけではない。このラストシーンに至るまでには椿三十郎と室戸半兵衛の間の微妙な関係があるわけです。この二人は出会ったときから互いに非常に意識しあっている。それは三十郎が言うように二人が同じ種類の人間だからであり、室戸半兵衛が言うように二人が組めば無敵だからである。
 特に室戸は三十郎にとことんほれ込む。それがこの映画を転がすのに重要な役割を果たす。三十郎と侍たちは最後の最後に大きなミスをするのですが、映画を見ているとそのミスに気づくのは室戸であると感じる。しかし室戸はそのミスには気づいていないように振舞う。本当に気づいていないのか、それとも気づいていないふりをしているのかは微妙なところだが、おそらく本当は気づいている。しかしそれをおそらく無意識に押し殺してしまっている、のだと思う。
 室戸は三十郎に惚れている。仲代達矢は何だかゲイっぽいので、なおさらそんなことを感じる。明確な同性愛的な意識があるとは思えないけれど、友情や敵意や尊敬といったものを越えた何かが二人の間にあることは確かだ。それによって二人は惹かれあい、そして反発しあう。二人は同じ穴のムジナでありながら、決して同じ方向に進むことはできない。そのように惚れていることで、三十郎たちのミスを見逃し、その思いの強さがラストシーンに現れているのだと思います。

 こういう映画は黒澤ファンには好まれないかもしれない。黒澤らしい重厚さがなく、沈思黙考する間もない。しかし、私はこれが黒澤明の作品の中で(いまのところ)ナンバー1だと思っています。

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