ドイツ、ハンブルクでレストラン「ソウル・キッチン」のオーナーシェフを務めるギリシャ系の青年ジノス。オーナーシェフと言っても出す料理はほとんどが冷凍食品。それでも近くの住民には喜ばれていた。そんなジノだが、恋人が上海に行ってしまうことになり、服役中の兄には仮出所のため雇ってくれと言われ、滞納している税金を払えと税務署には言われ、しまいにはジノ自身がぎっくり腰になってしまい…
ごちゃごちゃとした感じがソウルというよりはパンクでオリエンタルなヒューマンコメディ。監督は「そして、私たちは愛に帰る」などのファティ・アキン。

 映画はこ汚い厨房で冷凍食品を調理し、皿に盛って出すというシーンから始まる。となると、どうしようもないダメな食堂の話かと思えばそういうわけでもなく、その店にやってくる地元の人達はその味にそれなりに満足し、常連として通っているらしい。ギリシャ系という主人公のジノスもそんな店でも愛着があり、買いたいという友人の言葉に頷くことはない。

しかし、ガールフレンドが上海に行ってしまったり、ぎっくり腰になってしまったり、服役中の兄が転がり込んできたり、買いたいといっていた友人が策略を巡らせたり、様々な困難がジノスを襲う。その困難をジノスは1つずつクリアしていく、わけではない。いろいろ襲ってくる困難にも行き当たりばったりの行動をとるが、それがカウンターパンチのように困難を克服していってしまう。そのカオスっぷりがパンクというかロックでいい。まあとにかくハチャメチャなのだ。

この映画の一番の魅力はといえば、この主人公のジノスだろう。見た目はいい加減なダメ男なのだが、店を愛しているし、すごくいいやつなのだ。見た目とは裏腹に。料理が適当なのもそれしかできない上に、常連がそれを求めているから。何とかして店を救わないといけないが友達にはやさしく、それが結果的に良い方向へと向かわせる。

あるとき、目の前で首になったレストランのシェフを雇うことになり、そのこだわりのあまり常連に不評で更にレストランの経営は厳しくなるが、そのシェフを攻めることはしない。その代わり開いている店を友達のバンドの練習に使わせてあげて、それを見に来た客に料理が好評で、店は盛り返していくという顛末。

なんだろうこれは、と考えてみたら、この映画はカルチャーギャップを描いたものなのかもしれないという気がしてきた。主人公の兄弟はギリシャ系、おそらく貧しい環境で育っている。そんな彼らの行動は粗野でとてもおもいやりがあったり、誠実だったりするようには見えない。しかし実際はそうなのだ。見た目と中身は違う。相手の文化が異なれば更にそのギャップは広がる。

街で中国人観光客を見かけて喧嘩してるのかと思ったら、実は声が大きいだけで最終的には笑い合っていたなんて場面を見ることがある。日本人の多くには、中国人が他愛もない会話をしているのが喧嘩しているように見てしまうのだ、文化的な背景が違うがために。

監督のファティ・アキン自身もトルコ系移民二世で、自分の育った家庭と周りの社会の間にギャップを感じていたことだろう。そこで感じた文化的背景の違いによる「見え方」の違いをこの映画で描きたかったのかもしれない。

カルチャーギャップというのは阿吽の呼吸で理解し難いだけに居心地の悪いものだが、文化を超えて相手を人間として理解し始めると、そのギャップそのものが見えてきて、むしろそれを楽しめるようになるものだ。この映画の魅力的な主人公を通してギリシャの人たちの文化的な背景を感じることが少しでもできれば、この映画も楽しむことができるはずだ。

こんな店が近所にあったとして、行ってみて楽しめる自信はないが、ちょっと覗いてはみたい。異文化とのコミュニケーションというのは難しいようで、入り込んでみると意外と簡単なのかも知れない。

DATA
2009年,ドイツ=フランス=イタリア,99分
監督: ファティ・アキン
脚本: アダム・ボウスドウコス、ファティ・アキン
撮影: ライナー・クラウスマン
音楽: クラウス・メック
出演: アダム・ボウスドウコス、アンナ・ベデルケ、ウド・キア、ビロル・ユーネル、フェリーネ・ロッガン、モーリッツ・ブライブトロイ

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