Conte d’Hiver
1991年,フランス,114分
監督:エリック・ロメール
脚本:エリック・ロメール
撮影:リュック・パジェス
音楽:セバスチャン・エルムス
出演:シャルロット・ヴェリ、フレデリック・ヴァン・デン・ドリエッシ、ミシェル・ヴォレッティ、エルヴェ・フュリク
夏のビーチで出会ったフェリシーとシャルル。夏が終わり、シャルルはフェリシーの住所を受け取り、2人はそれぞれの居場所へと向かった。5年後、美容師をしながら、別の男と付き合うフェリシー、美容院の主人から結婚を申し込まれていた。実はフェリシーは住所を書き間違え、シャルルからの便りはついに来なかったのだ。そのシャルルとの間の娘エリーズはもう4歳になる。
ロメールの四季の物語の2作目。冬のパリは寒そう。劇中劇として登場するシェークスピアの『冬物語』が物語の下敷きになっているらしい。
なんとなく「夏物語」とついになった話のような気がする。もちろん、「夏物語」の方が後に作られたので、順番は逆にしても2つの作品の関係は深そうである。「夏」のほうは1人の男と3人の女、「冬」は1人の女と3人の男。「冬」の冒頭の海の風景は「夏」の舞台となった海と同じように思える(ちがうかも)。結局どちらも、遠くにある望みの薄い恋をあきらめて、身近にある恋を選ぶことができるのか…というお話。まさにロメールっぽいというところですね。
そういう話だとどうしても、物語の方に引きずられてしまいがち。あるいはそれが映像や技巧を意識させずに見せるロメールのうまさなのか。
この映画でもうひとつロメールらしいと思うのは「輪廻」の話。「春のソナタ」では超越論の話が出てきましたが、今回は「輪廻」の話。パスカルとかいろいろな人が登場しますが、よくわからない。見ている人の多くはフェリシーの立場でその哲学話を見るのでしょう。だからその会話が意味しているところがよくわからないと思う。これは単純にわからないということではなくて、このわからないという感想を共有することでフェリシーの立場に近づくことができるということも意味する。「インテリにはなりたくない」というフェリシーの気持ちが共感でき、そんなわけのわからない会話の中に感覚的な意見で切り込むフェリシーに拍手を送りたくなる。この主人公への共感という感覚はロメールの映画の特徴だと思います。「夏」の時にも書きましたが、映画の中の人物や出来事を自分の体験にひきつけることによって映画を経験するそんな映画だと思う。
やはり「四季の物語」と題されてシリーズ化されているだけに、どの作品もどこか似た雰囲気を持っていますね。
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