Le Petit Soldat
1960年,フランス,88分
監督:ジャン=リュック・ゴダール
脚本:ジャン=リュック・ゴダール
撮影:ラウール・クタール
音楽:モーリス・ルルー
出演:シェル・シュボール、アンナ・カリーナ、アンリ=ジャック・ユエ、ポール・ブーヴェ、ラズロ・サボ
カメラマンのブルーノはアルジェリアの独立を阻止しようとする諜報組織OSAに属し、スイスのジュネーヴにいた。ブルーノは友人にヴェロニカという女の子を紹介され、ブルーノは彼女をモデルにして写真を撮ろうと考える、同じころ、OSAは彼にスイスのジャーナリストであるパリヴォダの暗殺を命ずる。
『勝手にしやがれ』で世界の映画界に衝撃を与えたゴダールの長編第2作。当時フランスが抱えていたアルジェリア問題に真正面から切り込んだ社会派作品だが、展開はスパイサスペンス仕立てで、ゴダールにしてはわかりやすい。ゴダールの恋人だったアンナ・カリーナのデビュー作でもある。
ゴダールはやはりすごい。そしてアンナ・カリーナはやはりかわいい。
『勝手にしやがれ』は確かにすごい。しかし、ゴダールのゴダールとしての始まりはこの映画なのかもしれない。『勝手にしやがれ』はひとつの出来事であり、今となってはある種の記念碑であり、古典であり、ファッションであり、そしてもちろん面白い。しかし、『勝手にしやがれ』のゴダールらしさとはなによりもその新しさにある。ゴダール映画は常に新しい。今見ても新しいが何よりも時代の先を行っているわけ。『勝手にしやがれ』がどう新しかったのかは今となっては実感することはできないし、他にも新しい映画はあったはずだ。それでもゴダールが持ち上げられるのは彼が常に新しいものを作り続けているからだ。私の理解は越えてしまっているものが多いけれど、それでもこれまでのものとは違う何かがそこに表現されていることは感じ取ることができる。それがゴダールなのだろうと私は思う。そのような意味では『勝手にしやがれ』はもっともゴダールらしい作品のひとつであるといえる。
しかし、いまゴダールの作品をまとめてみることができ、それを比較対照することができるようになってみると、ゴダールのスタイルというのは『勝手にしやがれ』よりむしろこの『小さな兵隊』にその素が多く見られる気がする。アンナ・カリーナが出ているというのももちろんだけれど、モノローグの使い方、本や文字の使い方などなどなど。
映画というものを映像に一元的に還元するのではなく音や文字といったさまざまな要素の複層的な構造物として提示する。それがゴダールのスタイルだと私は思っている。映像も単純な劇ではない多量の情報をこめることができる映像にする。それがゴダールなのだと私は感じる。たとえば『中国女』は大量の文字を盛り込んだ映画、ゴダールが特にこだわりを見せるのは「言葉」だ。それもゴダールの特徴である。
この映画はモノローグという形で多量の「言葉」を発していく。そして美女は微笑んでいる、むくれている、そっけなくして見せる。ゴダールを語ると、その言葉が断片的になってしまうのは、ゴダールについて語る言葉もある意味ではゴダールの一部だからだろうか。
ラストシーンの唐突さもなんだかゴダールらしい。見るものに隙を見せないとでも言えばいいのか、「うんうん」といって映画館を出るのではなく「え?」といって映画館を出ざるを得ないように仕向ける。それもまたゴダールなのだと思う。
ただ、この映画には「音」がかけている。ゴダールの映画で非常に効果的に使われる音。効果音やBGMという概念を超越したところで作られ、使われる音、あるいは静寂。『はなればなれに』は音/静寂が非常に印象的な映画だった。その音がこの映画では意識されない。どのような音があったか。印象的だったのはブルーノとヴェロニカがバッハ・モーツアルト・ベートーヴェンについて語るところくらい。
ゴダールは音を獲得し、着実にゴダールになっていく。この次の作品は『女は女である』で、まだそれほどの複雑さはない。この作品にもそれほどの複雑さはない。