ブエノスアイレスに暮らすルイーサは毎日決まった時間に置き、勤務先の墓地にゆき、夫と娘のお墓に花を手向け、勤務が終わると有名な女優クリスタル・ゴンサレスの家で世話係として働く日々を送っていた。しかし、ある大雨の朝、いつも朝起こしてくれるネコのティノが死んでしまい、慌てて会社に行くと墓地でもクビを言い渡され、クリスタルも引っ越すといって暇を出され、窮地に立たされる…
アルゼンチンの地下鉄会社が行った脚本コンクールから生まれたヒューマン・ドラマ。
ネコの目覚ましで起き、まだ暗いうちにバスに乗り、墓地で花を手向け、その墓地で仕事をする。3時半には仕事を終えて今度は別の家に行き、そこで留守番やら掃除やらをする。そんな決まりきった毎日を何年も送ってきたらしいルイーサ。夫と娘を30年も前に亡くしてしまったことが墓地のシーンからわかる。そんなルイーサの日常がネコのティノの死と2つの仕事を同時になくすことで一気に崩れ、ティノの火葬代も出せなくなってしまって、地下鉄で物乞いじみたことをはじめる。
ルイーサは夫と娘の夢を度々見て、それは基本的に悪夢である。これは彼女が今もその事件に悩まされ、感情を押し潰されていることを示唆している。だから彼女は他人に心をひらくことができない。ほんとうに親切にしてくれるマンションの管理人のホセにも心をひらくことができない。それが彼女をさらに窮地に追いやるのだ。
そんな彼女を救うのは、それでも親切にし続けるホセと地下鉄の駅の構内で出会った足の不自由な物乞いオラシオだ。こう書いてしまうと、その出会いで彼女は心を開き…という陳腐な物語に見えてしまうし、基本的にはよくある物語なんだけれど、この映画のいいところは、それがすごくリアルであるところだ。ホセもオラシオも別にルイーサに無償の愛を捧げるわけではない。自分に出来る範囲でルイーサを助ける。確かに彼らは人がいいかもしれない。けれど、彼らは彼らなりに処世術というか世を生きる術を知っていて、それを知らないルイーサに手を差し伸べているだけだ。
自分も苦しいのに他の人に手をさしのべることのどこが「リアル」なのかと思うかもしれないが、人が本当に救われるのは、お金持ちがポンと大金をくれるとかではなく、似たような境遇にある人との間になんらかの関係が生まれ、そこから何かを得ることができたときではないか。
この映画を観て思い出したのは『パリ空港の人々』だ。飛行場と地下鉄という違いはあるけれど、似たような困窮した立場にある人々が助けあい、温かい世界を作っている、そんな所が似ているような気がした。映画としては『パリ空港の人々』のほうがかなり洗練されていると思うけれど、根底にあるものは同じではないか。
そしてこの映画独自の魅力は主人公のルイーサ。変装するというのもあるけれど、一人の人間の中にある様々な側面を上手く演じ分けて、すごくいいキャラクターが作られている。ルイーサを演じたレオノール・マンソはアルゼンチンでは有名なベテラン女優らしい。監督も出演者も日本ではまったく知られていないわけだけれど、映画には安心感というか安定感が感じられた。
こういう映画が日本で公開されるっていうのはなんだかいい。
2008年,アルゼンチン=スペイン,110分
監督: ゴンサロ・カルサーダ
脚本: ロシオ・アスアガ
撮影: アベル・ペニャルバ
出演: エセル・ロホ、ジャン・ピエール・レゲラス、マルセロ・セレ、レオノール・マンソ
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