Pokolenie
1954年,ポーランド,88分
監督:アンジェイ・ワイダ
原作:ボフダン・チェシコ
脚本:ボフダン・チェシコ
撮影:イエイジー・リップマン
音楽:アンジェイ・マルコフスキ
出演:タデウシュ・ウォムニッキ、ウルスラ・モジンスカ、ズビグニエフ・チブルスキー、ロマン・ポランスキー
ナチスドイツ占領下のポーランド、ドイツ軍の石炭を盗んで憂さを晴らしていたスターシュは仲間が殺されたのを機に工場で働くようになる。そしてそこで労働者の団結について知り、レジスタンス活動に関わるようになってゆく…
アンジェイ・ワイダの長編デビュー作で『地下水道』『灰とダイヤモンド』とつづく“抵抗三部作”の第1作。情熱にあふれた意欲作。
この作品は何も知らなかった青年スターシュが共産主義思想に触れて感化され、レジスタンス運動へ参加してゆく過程が描かれている。この作品が作られたのは1954年、戦争が終わって約10年、ソ連の強い影響下にある社会主義政権による検閲が映画に対しても行われていた。この作品はもちろん検閲にはまったく引っかからない。むしろマルクス主義の精神を賛美する作品として“文部省推薦”になってもいいくらいのものだ(そんな制度が当時のポーランドにあったかどうかは知らないが)。
しかし、そんな体制迎合の作品であっても(実はそうではない部分もあるのだが、それは後述する)、アンジェイ・ワイダの才能はあふれ、これがデビュー作とは驚きだ。
一人の青年の成長をレジスタンスとナチスドイツの対立を軸に語り、そこにもう一つのなぞの勢力を絡めるプロットのうまさ、スターシュを中心に思想と友情と少々の恋愛を描いてゆく物語のふくらみ、それらのストーリーテリングのうまさがまずひかる。
そしてワイダを特徴付けるのはやはり映像だ。アンジェイ・ワイダの特徴はモンタージュ(映像の組み合わせ)によって語るという映画の古典的な文法の使い方のうまさなのかもしれない。クロースアップ、ロングとさまざまなサイズを使い分け、カットの切り替えによって物語を展開していく。
たとえば、スターシュが材木運びの際にドイツ軍につかまってしまう場面、ほとんどセリフはないが、画面の動きやスターシュの表情によってそのエピソードの意味、スターシュとドイツ兵たちの感情は手にとるように伝わってくる。この手法はサイレント映画によって洗練されたモンタージュの技法を想起させる。ワイダ自身はサイレント映画を撮ったことはないが、サイレント映画を観ながら育った世代だろう。それが彼の映画美学を育てたのではないかとこのデビュー作から推察できる。
さて、そんなワイダがデビューしたこの作品は社会主義体制のお気に召す必要があった。しかし彼自身は決してマルクス主義の信奉者ではなかった。彼はこの作品の中でナチスドイツを批判し、資本主義を批判している。ナチスドイツへの批判はもちろんのこと、資本主義への批判もある程度は本心だろう。しかしだからと言って彼が共産主義者だとはいえない。
この作品が語りかけるのは体制への反抗である。体制というものは人々のことを考えてはくれない。ここで名指しされ批判されているのはナチスドイツだが、その背後に現在の社会主義体制に対する不満があることも今見れば明らかだ。
そしてこの“世代”というタイトルも秀逸だと思う。その意味は最後の最後に明らかになり、観客はスターシュと同じ哀しみともあきらめとも、あるいは逆に希望とも取れる感情に襲われる。戦争の時代には一つの“世代”というのは10年20年単位ではなく、数年単位になってしまっている。その厳しい現実の中で若者はあっという間に年をとってしまう。それはなんとも悲しいことだ。
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