近未来のロサンゼルス、依頼を受けて手紙を代筆する会社に勤めるセオドアは、別居して1年が経つ妻のキャサリンのことが忘れられず、鬱屈とした毎日を過ごしていた。ある日、最新型のAI型OS“OS1”の広告を目にしたセオドアは早速購入し、インストールしてみる。そのOSは自らをサマンサと名づけ、セオドアと会話をはじめた。会話によって成長するサマンサは徐々にセオドアと打ち解け、少しずつお互い惹かれるようになる…
近未来を舞台に、人間とAIの恋を描いたラブストーリー。直球のSF的題材ながら古典的なラブストーリーとして秀逸で「これぞ映画」と言いたくなる名作。
「近未来」と聞いて何を想像するだろうか。今より少し便利な未来、今より少し快適な未来、あるいは今よりさらに息苦しい社会。いずれにせよ、近未来と今との変化の幅は小さい。それが人間が想像する「近」未来ということだ。この映画は、その観客の期待に見事に答える。イヤピースをするだけでコンピュータと会話が出来る端末、余計なものが排除されたシンプルな建物、空中に浮かんでいるかのようなディスプレイなどなど。
そして、その中でAIとの恋愛という未来的な話が始まる。これだけを聞くと、この映画はSF以外の何物でもない。しかし、映画を見ているとだんだんそのSF的な要素は意識から離れていく。心にとまるのは、サマンサとセオドアという2“人”が紡ぐラブストーリーだ。
そして、そのラブストーリーは障害を乗り越えようとする男女という古典的な形式を取る。この物語における最も大きな障害は、サマンサが「肉体を持たない」ということだ。それで本当に恋愛が可能なのかというほど大きな障害、そのようなものが存在するにもかかわらず、この映画が感動的で引き込まれる物語になっているのは、周到な舞台設定によるところが大きい。
この映画で使われる近未来の技術について先に上げたが、その中でも特徴的なのは音声認識技術の進歩だ。この映画の中で主人公は最初から発話をよどみなく文章にしていくコンピュータと対話をしている。つまり、この世界は人間とコンピュータが発話によって人間同士と同じようにコミュニケーションできる世界だということをはっきりと示しているのだ。だから、サマンサも「会話」というところだけを取れば人間とほとんど変わりがない。しかも、会話というのは人間と人間が理解し合う上で最も重要な要素でもあるのだ。だから、セオドアはサマンサを意外とすんなりと受け入れられるのだ。
しかし、人間は同時に社会的な生き物でもある。別の人との関係の中で自分と相手との関係を見直し、それを評価し直す。それはセオドアにとってのサマンサとの関係についても言える。いつも会話をしているセオドアにとってサマンサはリアルな存在に他ならないが、あくまで「OS」だと思っている周囲の人にとっては仮想的な存在でしかない。それも二人の関係における障害になる。でも、それも実は現実の人間同士の恋でもありがちな障害だ。ここでもこの物語は古典的な面を見せる。
この古典的な物語展開に加えて、近未来であるにもかかわらず私たちに懐かしさを感じさせるのがその映像だ。見始めてすぐに気づくのは登場する男性たちのハイウェストのファッション、こんなファッションが流行ったことがあったのかどうかは分からないが記事やテキスタイルは懐かしさを感じさせるものが使われている。ファッションというのは変化が早いものなので、未来を描くときに難しい要素になるものだが、この映画はその部分も見事にクリアしている。
このようにあらゆる要素が計算されつくされ準備されているのは、、私たちが今いる現実とは違うこの近未来の世界に、没頭できるようにするためだ。
DATA
2013年,アメリカ,126分
監督: スパイク・ジョーンズ
脚本: スパイク・ジョーンズ
撮影: ホイテ・ヴァン・ホイテマ
音楽: アーケイド・ファイア、オーウェン・パレット
出演: エイミー・アダムス、オリヴィア・ワイルド、スカーレット・ヨハンソン、ホアキン・フェニックス、ルーニー・マーラ
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