あん
街角で小さなどら焼き屋をやっている「千太郎のところに一人の老婆が訪ねてきて、「働かせてくれないか」と言ってくる。確かにバイトは募集していたが、年寄りには無理だと考えたせんちゃんはその申し出を断る。しかし、その老婆・徳江は、この店は餡がいまいちだからと、自分が作った餡を店主に食べてもらおうと持ってくる。その餡を食べた千太郎は美味しさに驚き、働いてもらうことにし、お店も繁盛するのだが…
街角で小さなどら焼き屋をやっている「千太郎のところに一人の老婆が訪ねてきて、「働かせてくれないか」と言ってくる。確かにバイトは募集していたが、年寄りには無理だと考えたせんちゃんはその申し出を断る。しかし、その老婆・徳江は、この店は餡がいまいちだからと、自分が作った餡を店主に食べてもらおうと持ってくる。その餡を食べた千太郎は美味しさに驚き、働いてもらうことにし、お店も繁盛するのだが…
映画の「時間」というのは基本的には物理的な上映時間を示すわけだが、それ意外にも映画が描いている「時間」というものがある。ほんの短い数時間を描いたものから、悠久の時を描いたものまで、そのバリエーションは様々だが、その時間の経過の仕方というのは、映画を見終わった後に感じる「長さ」に影響をあたえる気がする。
そんなことを言うのも、この映画を見終わった時、なんだかすごく長い時間が経ったような気がしたからだ。上映時間も165分と長いのだけれど、描かれているのも6才の少年が18才になるまで。しかもそれを演じているのは1人の役者で、実際にその時々にその年令の役を演じている。つまり、撮影に12年もの時間がかかるという壮大な規模の作品なのだ。
ドキュメンタリー映画の中には、いわゆるマスメディアではこれまで注目されていなかったような人にスポットを当て、その結果、その人達が有名になるというような話が結構ある。特に海外の作品では、日本では全く知られていないような人が、日本で有名人になったりすることがある。
例えば、『ハーブ&ドロシー』なんかはその好例で、アメリカの美術界では知る人ぞ知る存在だった普通の人達が一躍有名人になった。
この『アドバンス・スタイル』も、ただのファッション好きでしかなかった高齢の女性たちが、ブログや映画を通して有名になり、有名ブランドのモデルに成ったり、全国ネットのバラエティーショーに出るようになったりするという映画だ。
この映画の見どころは一番最初にある。そして、おそらく撮りたかった映像というのも最初にあるのだろう。それは裸の男。この映画の監督・脚本・主演を務めるペトリの裸がこの映画のクライマックスなのだ。
映画の内容は、一人の男がすべての持ち物を貸し倉庫に預け、1日に1つずつそこからモノを取り出すというチャレンジを1年間やる姿を追ったもの。家具や生活用品だけでなく、服も何もすべて預けるので、最初に登場するペトリは全裸で裸足。そのまま雪のちらつく道に出て、新聞紙で股間を覆って貸し倉庫まで走っていく。では、最初に彼が取り出すものは何か…
この映画はタイトル通り「ダム」の映画だ。巨大なダムの完成を祝うルーズベルト大統領の演説から始まり、19世紀から作られてきたアメリカのダムの歴史も紹介され、地図上に示されると驚くべきとしか言うしか無いほどの数のダムがアメリカに存在していることもわかる。
他方で、この映画は「サーモン」の映画でもあるといえる。サーモンはネイティブ・アメリカンにとって重要なタンパク源で、先祖代々の漁法によって資源量も維持しながらずっと獲ってきたが、ダムの建設によって資源量が激減し、映画の舞台となるワシントン州では1匹しか遡上してこない年もあったといい、それが建設時に魚道を作るなどとしていた保護の約束が果たされていないことに起因することもわかる。
家でも、学校でも存在を無視される女子高生の樹里は、実は自殺して霊となって漂う存在で、もう誰からも見えなくなっていた。その樹里が、自殺する前、親友だったミドリと幼なじみの潤也との高校生活を思い出す。そんな彼女には、もうすぐ死にそうな人に取り付く“虫男”の姿が見えた。
樹里は、幸せな高校生活を送っていた。しかし、思春期にありがちなネガティブな思いから自殺してしまう。具体的にその理由を説明することのない樹里だが、死んでしまった今ではそのことを後悔している。
アレハンドロ・G・イニャリトゥというと、『アモーレス・ペロス』は面白かったけど、『バベル』とかはどうなんだろうという感じで、そういえば『BIUTIFUL ビューティフル』は見たっけな?
それでも、実は意外と好きな監督で、最新作が公開されると言われれば気にはなる。他にはないというか、独特の「空気」が映像からにじみ出てくるようで好きだ。
その「空気」というのはどちらかと言うと暗い感じの空気で、それは、人間の心の闇のようなものを描いているというのもあるが、同時に色彩を多く使いながら、それを重ねあわせることで、多すぎる色が混ざり合ったキャンバスのような暗いトーンの映像を生み出しているという事も言える。
舞台は1979年のアメリカ、自分がゲイであることを押し殺して来たと思われるポールが、ゲイバーでダンサーとして踊るルディに出会い、惹かれてしまう。ポールはゲイの世界に飛び込むことを躊躇し、ルディに対して煮え切らない態度を取る。
一方、ルディの方は、アパートの隣の部屋でドラック漬けの母親と暮らすダウン症の少年マルコに出会う。母親が逮捕され、マルコは施設に送られるが、施設を逃げ出してきたマルコをルディは自分の家に連れ帰り、検事局に勤めるポールに相談する。
そんな経緯からカップルとなったポールとルディはマルコと幸せに暮らすが、マルコを取り上げられることとなり、2人は弁護してくれる黒人弁護士のロニー・ワトソンと出会う。
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映画はパーティーの風景で始まる。その準備をいそいそとするマリアが、主人公なのだが、驚いたことにそのパーティはマリアの50歳の誕生日パーティー。彼女は自分の誕生日パーティーの準備を自分でして、お客さんをもてなしていたのだ。
夫や息子はマリアが世話をするのが当然と思っていて、マリアもそのことに特に疑問を持ったりはしていないように見える。そんなマリアが誕生日プレゼントにもらったジグソーパズルに思わずハマってしまい、パズルショップで見かけた「大会のパートナー募集」の広告に応じるのだ。
夫には「時間の無駄」だと言われたので、大会に出ようとしていることは隠し、おばの看病だと嘘をついて、パートナーのロベルトの家に通う日々。マリアはどんどんパズルにはまっていく。と、同時に裕福な独身男性のロベルトのアプローチにも心動かされる。
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友だちのいない少年がクリスマスプレゼントにクマのぬいぐるみをもらい、少年の願いが通じてそのぬいぐるみがしゃべるようになる。一般的なファンタジーならその少年はそのことを隠し、自分だけの友だちとして過ごしそうなものだが、この映画ではそのことは公表され、ぬいぐるみのテッドは人気を博しセレブになってします。そしてそれから20年後…
クマのぬいぐるみがマリファナをやり、シモネタを連発するという設定でもう笑える。セス・マクファーレンはこの作品が初監督作品だというのだからかなりの曲者だ。コメディというのはなんといっても意外性とかギャップというものが重要で、この作品はアイデアひとつでその重要なポイントを簡単にクリアしてしまう。
あとは、バカバカしいコメディに、主人公のジョン・ベネットの成長物語というスパイスを効かせれば出来上がり。大人になれない男というのもこういうコメディ映画では鉄板の主人公だ。