永遠と一日
Mia Eoritita Ke Mia Mera
1998年,ギリシャ=フランス=イタリア,134分
監督:テオ・アンゲロプロス
脚本:テオ・アンゲロプロス
撮影:ジョルゴス・アルヴァニティス、アンドレアス・シナノス
音楽:エレーニ・カラインドロウ
出演:ブルーノ・ガンツ、イザベル・ノー、アキレアス・スケヴィス、デスピナ・ベベデリ、イリス・ハチャントニオ
余命幾許もない小説家のアレクサンドル(ブルーノ・ガンツ)は旅にでようと決意するが、犬を預けようと立ち寄った娘の家で娘の夫から、思い出の家を売り払ったことを聞かされ、犬を預けるのも断られる。そんな時、車の窓拭きをして暮らすホームレスの少年に出会う。
人間の孤独感と疎外感をゆったりとした映像で描いたアンゲロプロスの力作。アンゲロプロスらしい幻想的な映像展開はさすが。アンゲロプロスというのは鋭い映像感覚と独特な世界観を持った作家なのだと改めて感じさせられた一作。
物語からいえば、孤独あるいは疎外ということに貫かれた物語。子供のころの映像や若い頃の映像は明るく活気に満ちており、現在の映像がいつもくもり空で薄暗いということを考えると、孤独感というのは現在に至って(つまり妻が死んで)生まれてきたように見えるけれど、物語を見てゆけば、実際は孤独を楽しめたかどうかという問題でしかないということに気がつかされる。若い頃、決して孤独に気づかず、孤独を苦にせずむしろ楽しんでいたために逆に妻を苦しめていたことを、現在、自分自身が孤独を怖れるようになって知ったアレクサンドル。それに対して、すでに孤独であることに気づき、またそれを怖れてもいる少年。二人は互いに孤独を癒されることはないことを知りながら互いに寄り添ってすごす。そこに物語が生まれるのだ。そして「詩人」の存在。バスの「幻影」(二人が同時に見ているように見える現実ではない風景。それはいったい何を意味しているのか?)
映画という視点から言えば、この映画はとにかくワンカットが長い。ゆっくりとカメラが移動しながら、カットを切ることなく、違う場面をつないでゆく。特に川べりで詩人の話をするところには度肝を抜かれた。時代が異なる二つの場面を川面をゆっくりとパンすることでつないでしまう。あー、かっこいい。そして去ってゆく馬車をゆっくりと追いかける。ゆっくりと、決して近づかず、遠ざからないスピードで。
どこかで映画から抜け出そうとしている姿勢を感じさせるアンゲロプロスは案外ヴェンダースと似ているのかもしれない。ヴェンダース作品でなじみのブルーノ・ガンツが主人公なせいでそう思ったのかもしれないが。