シャンドライの恋

Besieged
1998年,イタリア,94分
監督:ベルナルド・ベルトルッチ
原作:ジェームズ・ラスタン
脚本:ベルナルド・ベルトルッチ、クレア・ペプロー
撮影:ファビオ・チャンケッティ
音楽:アレッシオ・ヴラド
出演:デヴィッド・シューリス、タンディ・ニュートン、クラウディオ・サンタマリア

 ローマの古びた邸宅で家政婦をしながら医学生として暮らすシャンドライ。彼女はアフリカのとある国で夫が政治犯として逮捕され、イタリアにやってきた。彼女の暮らす邸宅にはピアニストのキンスキーがひとりで暮らしていた。キンスキーはやがてシャンドライに思いを寄せるようになるが…
 大作で知られる巨匠ベルトルッチが撮った小品。ベルトリッチらしい緊迫感がありながらシンプルで美しいラヴ・ストーリーに仕上がっている。ベルトリッチが苦手という人でもきっとすんなり受け入れられるはず。

 言葉すくなになります。ベルトルッチの映画はいつも言いようのない刺すような緊迫感が画面から漂う。彼の映画のほとんどは緊迫した場面で構成される映画だから、それは非常にいい。しかし、他方で彼の映画は強すぎ、見るものをなかなか受け入れようとしない。「1900年」の5時間にわたる緊張感を乗り切るのは非常につらい。
 この映画は同じ緊迫感を漂わせながら、何に対する緊迫感であるのかがはっきりしない。シャンドライがクローゼットを開けるとき、彼女はなにを恐れるのか?このシンプルなドラマに対する過剰な緊迫感。そのアンバランスさはともすれば映画全体を崩しそうだが、ベルトリッチはそれを食い止め、セリフに頼ることなく物語ることを可能にした。
 ほとんど語り合うことなしに、コミュニケーションを続けるシャンドライとキンスキーの間の緊迫感は2人の感覚を研ぎ澄まさせ、その研ぎ澄まされた感覚が感知した雰囲気をわれわれに伝える。それを可能にしたのがベルトリッチならではの緊迫感というわけ。たとえば、シャンドライの視点で語られる(言葉で語られるわけではないけれど)場面で、画面にシャンドライ自身の影がすっと入ってくるとき、われわれはその黒い影にはっとする。それはつまり画面に対する感覚が鋭敏になっていることを意味する。ベルトルッチの映像が美しいと感じるのはただ単に彼の画面作りがきれいだからというだけではなく、そのような緊張感の下に置かれたわれわれの感覚が平常より深くそれを感じ取ることができるからでもあるだろう。
 わたしはいままでベルトリルッチの作品を見ながらその強さに太刀打ちできなかったが、この作品を見てその理由が少しわかった気がする。彼の作り出す緊迫感は見る側の感覚を研ぎ澄ませるためにあるのだと。果たしてそれを長時間維持できるのかはまた別の話…
 90分くらいなら持つけど、5時間はやっぱり無理かもね…