The Watermelon Woman
1995年,アメリカ,80分
監督:シェリル・デュニエ
脚本:シェリル・デュニエ
撮影:ミシェル・クレンショウ
出演:シェリル・デュニエ、グィネヴィア・ターナー、ヴァレリー・ウォーカー、カミール・パグリ、アリサ・マリー・ブロンソン

 「GO fish」に影響を受けたと思われるシェリル・デュニエが、レズビアンと黒人女性という二重のマイノリティ性を問題化した作品。30年代のハリウッド映画で“ウォーターメロン・ウーマン”とクレジットされている黒人女性を発見したレズビアンの映画作家志望シェリルは彼女の生涯を映画にしようと考える。その映画作成の過程を映画として作り上げた。
 「GO fish」と比べると、レズビアンや黒人女性というものを問題化する意識が強いように見える。ハリウッドで黒人女性とレズビアンが無視されつづけてきた状況を問題化することこそがこの映画の目的なのだろう。映像や物語のつくり、映画としてのつくりを見ると「GO fish」のほうが明らかに上だが、この映画も「黒人」独特のリズムがあって飽きることはない。

 「GO fish」の脚本と主演を担当したグィネヴィア・ターナーがシェリルの恋人ダイアナとして「ウォーターメロン・ウーマン」に登場する。「ウォーター」の舞台はフィラデルフィアだが、ダイアナはシカゴで映画を取っていたという設定。「GO fish」がシカゴの映画であることを考えると、ダイアナは「GO fish」の作家として「ウォーター」に登場していると解釈できる。それぐらいこのふたつの映画のつながりは深い。
 「GO fish」が映画として完成されていたがゆえに、一般に受け入れられ、それによって「ウォーター」はより深い問題を扱うことができた。そんなことを考えながらも、「レズビアン」という問題は映画で扱われることがあまりに少ないんだと実感せざるを得ない。 

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