The Talented Mr. Ripley
1999年,アメリカ,140分
監督:アンソニー・ミンゲラ
原作:パトリシア・ハイスミス
脚本:アンソニー・ミンゲラ
撮影:ジョン・シール
音楽:ガブリエル・ヤーレ
出演:マット・デイモン、グウィネス・パルトロー、ジュード・ロウ、ケイト・ブランシェット、セルジオ・ルビーニ

 ルネ・クレマンが『太陽がいっぱい』という題名で映画化したパトリシア・ハイスミスの小説(日本語の題名は「太陽がいっぱい」だが、原題は、『リプリー』の原題と同じ“The Talented Mr. Ripley”)の再映画化。厳密に言うとリメイクではないが、一度映画化された作品の再映画化なので、前作を意識しないわけにはいかないだろう。
 物語は、友人の代理でピアノを演奏したトム・リプリーは、その場に居合わせた大富豪から放蕩息子のディッキーをアメリカに連れ戻すよう頼まれる。リプリーはその仕事を果たすためイタリアへ。ディッキーと婚約者のマージに近づくことのできたリプリーだったが、なかなか彼を説得できない。
 マット・デイモン演じるリプリーが何を考えているのかわからないところに、言い知れぬ恐ろしさがあるサスペンス。

 『太陽がいっぱい』との比較はおいておくとして、映画としてはよく出来た映画ではある。ストーリーのひねりも効いているし、マット・デイモンの何を考えているのかわからないキャラもいい。ジュード・ロウは妙にイタリアの海岸にマッチしているし。
 しかし、しかしですね。ちょっとうるさい。すべてがうるさい。表情を映すための執拗なクローズアップもうるさいし、いかにもイタリアらしい風景もうるさい。音楽はよかったけど。ビデオで見れば気にならなかったと思われる、クローズアップの連続は、スクリーンではうるさすぎる。そんなに大きくしなくても、表情はわかる。クローズアップで効果的に表現したいのはわかるけれど、それはあまりにこらえ性がないというもの。風景だって、いちいち上から映さなくたって、イタリアだってことはわかってるよ。いちいち車がアルファロメオなのも気になった。これらのうるさいものたちを切り詰めていけば、30分は短くなって、気持ちよく見られることができたのではないでしょうか? ドラマとしての質はいいのにもったいない。
 と、一通り文句を言ったところで、今度は擁護に回りましょう。ジュード・ロウはよかった。ひどい男なんだけど、好きになってしまう。それはマージしかリ、リプリーしかり、なんだけれど、そんな男をジュード・ロウうまく演じきっていた。音楽はよかった。最初は50年代という設定がわからなくて、「ジャズ=反抗的」という図式がのめこめなかったけれど、時代設定を納得すれば、音楽の使われ方に非常に納得。
 この映画、前半まではかなりよかった。ジュード・ロウが死ぬあたりまで。マット・デイモンのミステリアスな行動や表情も思わせぶりだし、三人の関係の微妙さ加減がよかった。しかし、いたずらにジュード・ロウが魅力的だったせいか、彼が死んでからは物語に入り込めない。その後の展開もどうでもよかった。ディッキーがいなくなってしまったら、もうどうでもいいんだよ。本人に成り代わったところでその隙間を埋めることはできないのだよ。後半を見て思ったのはそれだけ。それを納得させるためだけの1時間なのだとしたら、それはあまりに不毛なのではないでしょうか? あれ、やっぱり擁護してないや!

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