Para Recibir el Canto de los Pajaros
1995年,ボリビア,104分
監督:ホルヘ・サンヒネス
脚本:ホルヘ・サンヒネス
撮影:ラウル・ロドリゲス、レルモ・ルイス、セサル・ペレス
音楽:セルヒオ・プルデンシオ
出演:ジェラルディーン・チャップリン、ホルヘ・オルティス、ギド・アルセリ、ネス・エルバス
ボリビアのある映画製作集団が16世紀のスペイン人の征服を批判的にとらえなおす映画を撮影する。そのため映画製作集団は山奥の村の村長に約束のとりつけ、取材のために村へと入ってゆくのだが、村人たちは非協力的で撮影に協力しようとしない。一方村では祭りの準備が進み、撮影隊はその祭りを撮影したいという希望を持つのだが…
ウカマウ自身が『コンドルの血』を撮影する際に出会った障害をもとにして、街に住む白人たちと農村に住む先住民たちの価値観の違いを描いた作品。さまざまな「偏見」がモチーフとなっている。
全体に映像が非常に美しく、詩的な作品に仕上がっている。
サンヒネス監督はこの作品について、さまざまな人がさまざまな「偏見」を持っているさまを描いたといっていたがまさにその通り。先住民たちのために映画を撮っているという自負を持っている撮影隊が実は先住民たちに対してさまざまな「偏見」あるいは「差別」を持っているということ、それはボリビア社会が抱える大きな問題なのだろう。その中でもさまざまな「偏見」の形があり、例えばプロデューサーは最初から明らかに差別的な態度をとり、監督はかなり理解を示しているように見えるが、実際はなにも理解しておらず、先住民たちに取り囲まれた時についにその差別意識を露呈する。外見的には先住民であるクルーのひとりは「インディオ」と呼ばれたことを侮辱と感じる。
そのような偏見や差別のいくらかかが解きほぐされ、なくなりはしないけれど和らいでゆく過程。そのクライマックスとしてのインディオからの贈り物の場面。この場面は感動的だ。ヤギや鶏やさまざまな贈り物をもらって喜びとも当惑ともつかない表情をするクルーたち。しかし彼らは贈り物をしっかりと抱いて坂を登ってゆく。最初から最も偏見が少なかったといえるフェルナンドが鳥の歌(先住民の声のメタファーだと思われる)が聞こえるお守りをもらうのは非常に象徴的だ。
イデオロギー的な面を離れていると、この映画は素晴らしい色彩に溢れている。ウカマウとしては3作目のカラー作品だが、前作の「地下の民」の色彩より更に研ぎ澄まされた色彩感覚が見られる。「地下の民」の仮面のはっとさせられるような色合いが広げられ、全編に塗り込められたようなそんな色彩感。特に祭りに使う鳥の張りぼての色彩は心に残る。そしてやはりアンデスの山麓の村の風景は非常に美しい。おそらく標高4000メートルを越える場所にある村の澄んだ空気感までが伝わってきそうな映像だった。
そう言えば、中の映画でインディオたちの家を焼き討ちする場面、インディオたちの家が草で出来ていたこともかなり不思議だったが、そこのインディオたちが裸だったのには度肝を抜かれた。あんなとこで裸で暮らしたら凍死するぞ。てなもんだ。このエピソードは映画クルーたちの偏見あるいは無知を象徴するエピソードのひとつなのだろうけれど、かなり不思議なところだった。
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