2000年,日本,121分
監督:篠崎誠
脚本:篠崎誠、山村玲
撮影:鈴木一博
音楽:リトル・クリーチャーズ
出演:三橋達也、大木実、青木富夫、内海桂子、風見章子

 老境を迎えた三人の戦友。飲食店を営む、家族に疎まれながらすごす、一人引きこもる。 それぞれの老後を過ごす3人が「金山」という戦死した戦友の思い出をきっかけに再び誇りのために立ち上がる。
 『おかえり』で多数の国際映画祭で賞を受賞した篠崎誠監督の長編第2作。今年のナント三大陸映画祭で男優賞と女優賞をダブル受賞。

 こういう地味な映画がヒットしないのは仕方のないことだと思いますが、日本映画が好きな人なら、きっと引っかかる隠れた豪華キャスト。三橋達也に大木実に青木富夫、それに風見章子とはね。50年(青木富夫は70年)も映画俳優としてやってきたキャリアは伊達ではありません。小津に成瀬に川島と名だたる監督とともに仕事をしてきた人たち。そんな名優たちが埋もれたままではもったいないということなのだと思います。ということなので、やはり彼らの存在感・キャラクターはこの映画の中でも際立っている。
 なのでもちろん、彼らを中心に映画は展開されていくわけですが、そこから見えてくるものは何か? それは戦争体験の重み、戦争を体験していないものとのギャップ、生きていることの重み、他人というものの捉え方の違い。戦争を体験していない者には本当には理解できないその体験の重み。
 それを映画全体のメッセージと受け止めるのはあくまで私の見方ですが、このように戦争の記憶というものが前面に押し出され、現在との対比がなされると、そのようなことを考えずにいられない。その本当には理解できない体験の重みを、それでもあきらめずに理解しようと感覚を鋭敏にしていなければならないと思わせられたわけです。
 とはいっても映画全体は全く重苦しいものではなく、むしろ明るい感じ。それもまたお年寄りたちの明るさがなせるわざ。劇中で百合子が言っていた「元気をもらう」という言葉、それがまさに画面にあふれている感じ。
 あとは細かいところまで配慮が行き届いていてよかったということ。本筋とは関係なさそうなところまで含めて、何かひっかればいいという意図が感じられます。たとえば、病院の屋上で百合子が後輩の看護婦と話をするところなど、プロットとは無関係ですが、なんとなく意味のあるメッセージがこめられているような気がする。そのようなところが結構ある。ケンの存在もそうだし、店にやってきた2人連れのヨッパライとか、伊藤の家の家族とか、金山が朝鮮人であるらしいこととか、そういったいちいちがなにかメッセージを持っていそうな気がする。
それは人それぞれ引っかかるところが違うということも意味するような気がします。それは同じ人でも見るたびに引っかかるところが違うということも意味するかもしれない。まあ、とにかくいろいろに考えることができるということでしょう。映画は哲学するのですよ、やはり。

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