1953年,日本,136分
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧、小津安二郎
撮影:厚田雄春
音楽:斎藤高順
出演:笠置衆、東山千栄子、原節子、杉村春子、香川京子

 尾道、老境に差し掛かった夫婦が旅支度をしている。彼らは息子たちが住む東京へ旅行に出発し、一人家に残る末娘の京子がそれを見送った。果たして東京に到着した老夫婦はまず長男の家に厄介になり、続いて長女の家に厄介になりながら東京で過ごす。
 東京の子供たちを訪ねる旅を通して、親子の関係をじっくりと描いた歴史的名作。今見てもすごく感動的で、時代や地域を越えてたくさんのファンを持つ映画であることもまったくうなずける本当の名作。見てない人はいますぐビデオ屋へ。いや、ビデオじゃもったいないかも…

 最初、尾道の場面、笠智衆の一本調子の台詞回しと、すさまじいほどの切り返しで映される顔のアップに戸惑い、違和感を感じる。それは東京に行っても続き、出てくる人々はみなが無表情で一本調子、そして会話はほとんどを顔のアップの切り返しで捉える。
  しかし、それも見ているうち徐々に徐々に気づかぬうちに、その違和感は薄れ、その無表情な表情のわずかな変化の奥に隠れた感情を読み取れるようになっていく。それはもう本当に映画の中へ入り込んでいくような感覚。あるいは気づくと映画世界につかりきっている自分に気づく感覚。
  もちろん、笠智衆と東山千栄子と原節子の3人の関係を描くところで特にそれが顕著になるのだけれど、それ以外の部分もすべてが間然に計算され尽くしていたんだなぁ… と自分の心にも余韻が残るような素晴らしさ。

 物語は、小津の定番である父娘というよりは、大きな家族関係の物語になっている。「核家族をはじめて描いた映画」といわれることもあるように、東京に住む人たちの間で家族関係や近所との関係が薄れていく様子が見事に描かれている。近所との関係といえば、尾道での冒頭のシーンで、隣のおばさんと思われる人が軒先から顔を出して、世間話をする場面がある。そして、このおばさんは葬式のシーンにも登場し、最後にも映画を締めくくるように登場する。これは単純に尾道の社会というかご近所さんの関係の緊密さを表しているだけなのだが、この関係性こそが物語を牽引していくエッセンスであるのだ。
  と言うのも、このような尾道の人間関係に対して、長男の幸一と長女の志げの近所の人とのつながりは非常に希薄である。交流があるにはあるのだが、その関係は医者や理容師という職業によるものでしかない。社会の観察者としての鋭い視点を持ち続ける小津は、そのような人間関係の変化を敏感に感じ取り映画に刻み付けた。家族の核家族化とともに、近所のつながりも希薄化し、その多くは商売を通すものになってしまった。
  これとは少し違う形で描かれているのが紀子の住むアパートである。このアパートでは近所との関係が濃い。このアパートは同潤会・平沼町アパートに設定されているらしい。つまり、紀子と近所の関係の濃さはこの同潤会アパートの特色によっているということであり、これもまた時代性を感じさせる味であるといえるのかもしれない。

 とにもかくにも、そのように家族や近所との関係が希薄化していく時代にあって、小津は家族を描くことで何を語ろうとしたのか。小津はその変化をどう思っていたのか。
  それが鋭く現れるのは、映画も終盤になり、原節子がいよいよ東京に帰ろうというときに香川京子にはくセリフである。香川京子演じる次女の京子は、とっとと東京に帰ってしまった兄たちに不満を言い、「親子ってそんなものじゃない」と言う。これにたいして原節子は「年をとるにつれて自分の生活ってものが大事になるのよ」と言う。そして続けて「そうはなりたくないけど、きっと私だってそうなるのよ」と言うのだ。これは、家族を中心とした関係性の希薄化に対する諦念なのではないだろうか。核家族化し、家族の生活が分離していけば、それぞれはそれぞれの生活が大事になり、お互いの関係は薄くなってしまう。それは仕方のないことだと考えているのではないか。
  笠智衆に「東京は人が多すぎる」とも言わせているし、小津にしてみれば拡大していく東京が人間関係を希薄化させるものであることは憂うべき事実であったのだろう。小津は下町生まれの江戸っ子だから、古きよき東京の温かみを知っていたはずで、それが東京からは失われ、田舎に求めるしかないことを寂しがっていたのではないだろうか。
  物語からはそのような社会の観察者としての小津の一面が見えてくる。一貫して「家族」をひとつのテーマとしてきた小津としては、まったく正直でストレートな主題であると思う。

 そのように物語を分析してみるのも面白いが、この映画の面白みは、物語だけにあるのではなく、むしろ細部にこそ本当の味わいがある。それを最初に感じたのは杉村春子演じる志げが夫の中村伸郎に対して「やだよ、豆ばっかり食べて」というセリフである。このセリフは物語とはまったく関係がないが、その場にすごくぴたりと来るし、志げの性格を見事に示す一言になっているのだ。しかもなんだか面白い。このセリフに限らず、志げはたびたび面白いことを言う。キャラクターとしてはあまりいい人の役ではなく、少し強欲ババアという感じもするが、完全な悪役では決してなく、この生きるのもつらいような時代を生き抜いた人には当たり前の生活態度だったのではないかとも思わせる。戦争が終わって10年足らず、その段階ですでに使用人を使って理髪店を経営しているということは、戦争の傷跡が残る中、懸命に働いてきたのではないかと推測される。何もない焼け跡にバラックを建て、細々と再開した理髪店を懸命に大きくして、いっちょまえの店にした。そんな苦労がしのばれるのだ。しかし、その苦労が彼女を変えてしまった。
  両親が映画の後半で「あの子も昔はもう少しやさしかったのに」と言うその言葉からは彼女のそんな10年間が見て取れる。そしてそれは彼女が本来的に強欲ババアのようであったのではなく、時代がそうさせてしまったということを示しているのである。
  そのような志げの性格を小津は映画の序盤のたった一言のセリフで表現してしまう。そのような鋭く暖かい視線がこの映画の細部にはあふれているのだ。

 そのセリフにとどまらず、杉村春子の役柄には様々な含みと面白みがこめられていて、私はこの映画で一番味のあるのは杉村春子なのではないかと思った。笠智衆、東山千栄子、原節子の3人がもちろん物語の主役であり、この映画のエッセンスを伝える人たちであり、映画の中心であるわけだが、彼らを活かすのは杉村春子のキャラクターであり、見ていて面白いのも杉村春子と中村伸郎の夫婦である。主役の3人はいうなれば前時代に生きている。原節子は現代的でもあるのだが、過去に引きずられていることもまた確かだ。しかし、杉村春子夫婦はすごくモダンだ。スピードからして3人とは違い、60年代のモダニズムで描かれるような都市的な人々の先駆けであるように映る。しかし、彼女には温かみもある。最初の話に戻るが、香川京子が東京に帰る原節子に対して「親子ってそんなもんじゃない」というシーンで、彼女は死んですぐ形見分けを求める杉村春子を槍玉に挙げるが、原節子はそれを「悪気があって言った訳じゃない」と言う。それはまさにそうで、杉村春子の生活に流れる時間と、香川京子の生活に流れる時間が違うことで、そのような誤解というか、行き違いが生まれるのだ。杉村春子も彼女なりに母親痛いする愛情を示したはずで、行き違いがその捉え方の部分にあったというだけの話であるはずだ。原節子はその二つの時間の両方を理解していて、二人の行き違いに気づいている。
  このシーンは、尾道に暮らす3人の代表としての香川京子と、大都市に暮らす3人の代表としての杉村春子の衝突/齟齬を原節子がうまくとりなしているシーンなのである。それは田舎と都会という2つの社会の対比であり、なくなり行く社会とこれからやってくる社会との対比である。
  そして、都会/未来の象徴である杉村春子を面白いと感じるのは、彼女がそのように都市的で現代的であるからなのではないだろうか。つまり彼女は現代から見て一番理解しやすい存在であるということだ。映画としては原節子が全体の関係性の中心に来るように設定されているのだが、現代から見るならば杉村春子を中心とすると見やすいのかもしれないし、自然とそのように視点が行く。
  小津が未来を見通してそんな作り方をしたとは思わないが、社会の変化をあるスパンで捉え、それを親-子関係や、都市-地方関係といった様々な形に置き換えて表現したこの映画は、変化してしまった先にある社会から眺めると、また違う相貌を呈し、違った形で面白いものとして見えてくるのだと思う。
  だからこそ、作られて50年がたった今でもわくわくするくらいに面白く、何度見ても涙なしに見終えることができない。名作とは、繰り返し見ることで、それを見る自分の立ち居地の違いを感じ取ることができ、それによって新たな発見をすることができるものなのだという感慨を新たにした。それは映画でも小説でも変わらない「名作」なるものの真実なのではないかと思う。

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