1959年,日本,87分
監督:増村保造
原作:川口松太郎
脚本:田中澄江
撮影:村井博
音楽:塚原哲夫
出演:杉村春子、山本富士子、若尾文子、川口浩、野添ひとみ、川崎敬三、勝新太郎

 東京近郊で花の栽培をしている吉野家に東京で踊りをやっている長女菊枝が踊りの師匠を連れてたずねてくるところから映画は始まる。物語は次女敬子、使用人の忠夫と周作、忠夫の妹かおる、などなど山ほどの登場人物が出きて、さまざまな恋愛模様を展開する。
 増村には珍しい群像劇でヒューマンドラマ。あまり増村的ではなく、大映的でもないように見えるのは杉村春子の存在感か。しかし、増村をはじめてみるという人には気軽に見れる一作かもしれない。

 いまから見ると本当に「増村らしからぬ」と見えてしまう。お涙頂戴のヒューマンドラマ、誰が主人公ともわからない群像劇、ゆったりとしたテンポの物語、そしてハッピーエンド。
 しかし、面白くないかといえばそんなことはない。これだけいい役者がそろって、とてもいい話。映像も自然で映画の世界にすっと入り込める。
 しかししかし、増村を見に行った私には物足りない。もっとすごいもの、もっとすさまじいものを期待して来ているのだから。だからあえて言えば、これは増村にとって初期から中期への過渡期の作品なのだと。初期の「超ハイテンポ日常活劇」から、中期の「男を狂わす女の映画」への。そう思わせるところはいくつかある。
 ひとつはこの映画の主人公ともいえる3人の女性のキャラクター、山本富士子・若尾文子・野添ひとみ、だれもが自分の信念は曲げない強さを持ち、最後には男を自分のものにする女性。しかし、男に頼らずに入られない弱さも併せ持つ女性。それは中期の「男を狂わす女たち」へつながら女性像。
 もうひとつは、フレーミング。川口浩と若尾文子が盆踊りを見ているシーン、川口浩がほぼ真中にいて、画面の右端に若尾文子、川口浩は後ろ向きで立ち、若尾文子はこっち向きでしゃがんでいる。そして主にしゃべっているのは若尾文子このしゃべり手が画面の端にいるというフレーミングはこの頃から以後の増村保造に特徴的なフレーミングである。
 そんなこんなで、(大映時代の)初期から中期への過渡期の作品と勝手に位置付けてみました。

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